情け
絶叫が聞こえたかと思うと、血がほとばしり、辺りを赤く染め上げる。
「これで、全員…です…か…。悪いですが、自害したように、させてもらいますよ」
息も絶え絶えに言いながらも、桃太郎は小刀を取り出し、二人の鬼の腹と首を掻き切った。
黒衣は赤に染め上がる。
目は赤く、頭からは日本の角が生える。
「終わったな…」
いつの間にか人型になった鴉が部屋の隅にもたれかかったまま桃太郎に声をかけた。
桃太郎は、弱弱しく微笑む。
「あぁ…。こうなったからには、後戻りは出来ないが…。もう、いい」
「そうか…。お前がそういうなら、良かった。次からは一人で頑張るんだぞ」
ふと、鴉が微笑んだ。
桃太郎は、全てを分かりきったかのように、悲しそうに頷く。
「…それじゃあ、お別れだ。さよなら、相棒。私の、片割れ」
ざぁ………と、鴉の姿が黒い光の粉となる。
風が窓から入り込み、その光を窓の外へと追いやった。
一人残された桃太郎は、静かにそのばにへたり込む。
「泣けたらどれだけ楽になれるものか…。だが、もう、何も残ってない。
鴉。今まで、ありがとう…おやすみなさい。そして、さようなら」
満はその時確かに見た。
桃太郎のその陶器の様な白い肌に、一筋の雫が流れるのを。
白い光が再度、部屋を満たす。
桃太郎の姿が徐々に消えて行く。
最後に見たその姿は、徐々に禍々しく黒き光を放ち、切った筈の髪は伸び、獣の様な爪が生えていた。
そこに、満の知る一人の侍はいない。
『完全に、鬼と化しちまった様だな…』
夜一が呟く。
そこに立っていたのは、美しくも禍々しき美鬼。
人の形をしながらも、纏う気は深淵の如く暗く深い絶望の光。
地を蹴り、鬼は何処かへ消えた。
完全に白い光が部屋を満たし、満達を現実へと引き戻す。
「桃を、止めないと…」
『鬼は、血を求める。行く場所は、自ずと知れる。しかし、まずは『姫巫女代理』が集めていた玉とやらを見つけるのがさきじゃないか?それが目的で、此処に来たわけだから…』
「その必要はない」
声がした方を振り向く。
そこには、雅が立っていた。
「雅さん…」
「とにかく、説明は後だ。今は桃を探すぞ」
やや焦った顔で、雅は階段を下りる。
表門からそのまま外へと飛び出す。
「なっ…何ですか、これは…」
満は外の光景を見て、絶句する。
敵兵は数えきれないほど地面に倒れている。どれも皆、死んでいた。
戦場だ。だから、仕方がない。
それで切り替えられるほど、その死体の損傷はあまくはなかった。
「満、もっと有り得ない光景が広がってるぞ。見ろ」
夜一に促されるまま、指さされた方角を見る。
そこには、朱菊や要を筆頭とする四鬼神勢力が決死の表情を浮かべて何かと闘っていた。
しかし、よくよくみれば、中には敵兵も混じっているではないか。
時に、助け合い、庇いながら目に追えない何かと方間を交えていた。
それをあざ笑うかのように、疲れ切った兵ばかりを狙っている。
「まさか、今闘っているのって…」
「あぁ。そのまさかだよ。今、鬼達を襲っているのは桃だ。四鬼神達も、四神が呼び出せないとなるとキツイようだな。桃が集めたあの四つの玉は、四神をこの世に具現化する為の玉だった。
丁度、黒鬼が誕生した頃にその力は強まった。その呪いの力で。その強すぎる力は、人を鬼にし、鬼を人に変えた。
…あれが黒鬼の本性で、内に秘めていた恨みで、痛みで、嘆きだ。この世に産み落とすべきでない存在を、俺らは産んでしまった。黒鬼の力は、人の負の感情。そして、その呪いによって、死ぬことはない。…だから、もう、楽にしてやってくれないか。満ちゃん」
すがる様な目で雅は満を見た。
「何でですか…。仮にも、お父さんでしょう?咲夜さんだって、桃を助けてくれって…!」
「桃は、ずっと耐えてきた。生まれた時、本当は封印した出雲の魂が表に出る筈だったんだ。桃の魂を潰してな。だが、皮肉にも出雲との融合によって桃は赤子ながらに自我と、知識を手に入れた。
幾度となく表へ這いずろうともがく出雲を必死に押さえ、黒鬼という鬼を知りつくそうと色々学んださ。
何故、椿が彼を『桃太郎』と名付けたか知っているか?」
「川から流れて来たからでしょう…?」
雅はこくりと頷いた。
「表向きはな。だが、鬼で『黒鬼』の存在を知らない者はいない。
皆、知っていた。だから、椿はさぞ驚いたことだろう。最強の鬼を抑え、未だ自我を保ち続ける童の姿に。だから、鬼を退治する者『桃太郎』と名付けた」
満は一ニ歩後ずさる。
何で知っているのだという様に。
「出雲はお陰陽師だと未だ思っているようだが、それは間違いだ。まぁ、確かに誰も鬼が陰陽道を体得しているなんて思わないからな。あの日、黒鬼出産にいた陰陽師…いや、鬼は、私達四鬼神。そして、白鬼。お前の母親だ」
「嘘です…!母様はそんな酷い事をするような人ではありません!!
…もし、仮にそうだとしても、彼方たちはその始末を私に頼っているだけです。あれは、彼方たちが生んだ鬼です。彼方の様な鬼は、彼に滅ぼされればいい!」
「それは、仕方のないことだ。始末を頼もうとした矢先、白鬼は死んでしまったのだから。
だから、こうして頼んでいるんじゃないか。桃は、あの玉を使って人になることも出来た。しかし…」
「そ、そんな…」
その時、断末魔が響いた。
この声は、要のものだ。
見えば、黒い刀を深々と腹部に刺された要の姿があり、その目に既に光はない。
朱菊は倒れている。血が流れていないことから死んだ訳ではないらしい。
「このまま放っておけば、お前も死ぬぞ。だから、殺せ」
「み、雅さんは…桃を自分の子だと思っていないのですか…!?あれほどまでに桃は彼方に懐いていたじゃないですか!」
「猛獣使いを知っているか?どんな恐ろしい獣でも、一度懐かせれば恐れるに足りぬ」
満は無言で刀を抜く。
桃太郎を斬り殺す為ではない。
この、目の前に居る男を殺す為に。
これが、初めてで、そして最後の人斬りだ。
『馬鹿女が…。お前が手を下すまでもない』
そんな声が風と共に聞こえ、砂埃が視界を覆う。
風が去った時、黒い靄が空の彼方へ消えゆく。
短く堪える様な吐息が、直ぐ側で聞こえた。
「さようなら、父様」
そこにはいつの間にか雅の腹に剣を突き刺した桃太郎の姿があった。
その顔は笑っている様にも怒っている様にも、憐れんでる様にも見えた。
そこに、悲しみの色はなかった。
そして、黒鬼は満を見た。その口が静かに動く。
初めから分かっていたとでも言いたそうな表情で。
黒い粒子となって消えて行く義父の姿をただ見ていた。
そして、いつもと変わらぬあの表情で笑うのだ。
何一つ、傷付いてないと言う様に。
さようなら、満さんと…。