夜が終わる頃
一時間程前。
まだ、三人が巨神と奮闘している頃。
「俺は狭霧殿の様子見てくるから、満は皆のところへ行っててくれ。俺は向こうの手伝いをする」
「分かりました。あっ、兄様。これ、持ってて下さい。あの鬼の妖気、人には害を成すみたいです」
そう言って満はお守りを泰光に渡した。
泰光はこくりと頷くと、お守りを懐にしまい、狭霧殿へ駆け出した。
残された満は、巨神の元へ向かうべく駆け出したが、残念ながらも彼女は方向音痴である。
どんどん反対方向、すなわち泰光の後を追う様に走っていることに、彼女は気付かない。
『おいおい、満ぅー。そっちは、狭霧殿の方だぜ?逆だ、逆』
ひょっこっと、彼女の懐から小さな天狗が顔を出す。
妖怪の性別など無きに等しいのだが、こんな言葉遣いをする女子など存在しない。
「きゃあああああーーー!!」
ベシンッと大きな音が響き、ぐぇ…と死にそうな呻きが聞こえた。
怪力である満の平手打ちにより、地面へ叩きつけられたからである。
『誰もお前のまな板の様な胸なんかに興味はねぇよ…。そん、な…こと…よ…。ご…めんな…さい…』
ぎりぎりと鷲掴みにされたあげく、絞めつけられる。
「まぁ、良いでしょう。というか、夜一。彼方、狭霧殿に居たのでは?」
走りながら満が言うと、夜一は満の頭の上へとよじ登った。
『あの鬼の妖気が思ったより酷い。結界をすり抜けてきやがった。あの中に居たら、また真っ黒になっちまうぜ。星巫女は、帝の身を案じて外出しているから良いものの、陰陽師でさえ結構ヤバそうだ』
「そんなっ…!兄様が向かっているのに…。止めなければ、危険です!」
ぴたりと満は足を止めた。そして後ろを振り向く。夜一は羽根でぺちぺちと満の頭を叩きながら先を促す。
『別に、命に関わることじゃねぇんだ。害はあるけど、そういうのじゃない。
お前は、今はあの人のところに行くべきだ』
「今、向かってます!」
『だ・か・ら、『姫巫女代理』の所にだよ!』
「桃の所に…ですか?」
『あぁ。ほら、早く行け。あぁ、そこ曲がって』
夜一に案内されるがまま、満は江戸を駆けて行く。
その頃、靖正達は打倒巨神の策を練っていた。
雪は降り止み、気味の悪い色の空が顔を出す。まるで血をこぼしたかの様な色だ。
それをしかめ面で見ていた靖正は、次に椿を見る。
「んで、どうするんだ?」
「陰陽師って、言わば鬼退治の専門だろう?だから、お前らが使っている札の中に鬼の防御を弱める効果のある札は無いかと思ってな」
椿はそう言いながらも、地面に転がる片腕を見つめていた。
「確かにあるが…。どうするつもりだ?」
靖正が札を扇形に広げる。
「全部で何枚ある?効力はどれ位だ?」
「ひぃ…ふぅ…みぃ…。五枚だな。一枚で、やっと刀傷が付く位だ」
「足りないな。せめて、穴が開く位じゃないと。後、十五枚は必要だ」
「あっ、椿さんー!桃太郎、知りませんかー?」
「ん?満ちゃんか。桃なら見てないぞ。だが、片腕なら此処だ」
息を切らせて駆け寄って来た満に、椿は片腕を差し出す。
蒼白の肌に、細い華奢な腕。指は女の様に長く、細い。
彼を良く知る者なら、この腕が正真正銘彼の腕であると確信が持てるだろう。
「傷がないから良く分からないのだが…」
「傷…?」
満が問うと、椿はこくりと頷く。
「あぁ。前の腕にはあったぞ。何でも、村八分にあった時の傷だとか。
だから、滅多に肌をさらけないぞ。夏でも必ず」
「この前、生え変わったからだろ」
思わぬ靖正の答えに、二人して目を瞬かせる。
満に至っては、柏手を打っていた。
「「どうした?」」
「あっ、雅…さん?」
満が振り向くと、雅が立っていた。二人程。
一人は何故かお縄に掛かっている。
椿や靖正も驚いた様に二人を見ていた。
「これは、どういうことでしょうか?分身の術が使えたのですか、雅さん」
お縄に掛かった方の雅(?)に聞くと、困った様に口を噤む。
「こっちだ、こっち。本物、こっち。髪の短い方が、雅だ」
「そうですか。雅さん、この片腕、桃の何ですか?」
満が丁寧に布に腕を包んで見せる。
「だから、そっちじゃないって」
「だって、こっちの偽雅さん、顔真っ青ですよ」
満が偽雅の顔を覗き込む。
「主犯だからな。真っ青にもなる」
淡々と雅が言うと、椿が偽雅に掴みかかった。
「お前っ…て、本当に真っ青だな。死にそうだぞ、大丈夫か」
「罪悪感に押しつぶされそうなんだろ。色々な」
すると、偽雅が地面に頭を付けた。
いきなりの出来ごとに、雅を除く皆が退く。
「謝って、済むことじゃないのは重々承知しているし、赦されるとも思っていない」
声をかけようとした椿を、雅が制す。静かに、聞いてやれと呟いた。
「命じられようと、助ける術はいくらでもあったはずだ。救えたはずだ。御兄弟には、誠に申し訳ない事をした。…だから、私を斬る権利がある。気が済むまで殺すと良い」
「お前、王か…」
靖正が呟き、椿はギリッ…と歯を軋ませる。
「馬鹿かっ!お前は!お前が死んで、弟達が帰って来るのか!?お前が死のうと何も解決しない!
償う気があるならっ、弟達の分まで生きろっ!そう易々と死を口にするなぁっ!」
「だが、気は済むだろう。生憎、死なない質でな。斬られたところでどうということは無い」
「あんた、墓参りに来たか?」
「墓の場所が分からなかった。だから、彼等が好きだった異国の花を託した…。数週間前の話だ」
異国の花には心当たりがあった。
雪の降る寒い日。
墓参りに行くと、先客が居た。
「何だ、桃。来ていたのか」
「師匠こそ、今日は来ない日ではなかったんですか?」
桃太郎は静かに手を合わせて祈っていた。
そして、大事そうに抱えた色とりどりの花を墓の前へ置く。
「ある人に、頼まれまして。綺麗な花々でしょう?冬なんて綺麗な花、咲いてないものですから。
何でも、お二人の好きだった花らしくて…、参り来たいのですが生憎墓の場所を知らないというもので。お二人の死は、私の責任ですから。怨んで下さって、結構ですよ」
「そんなことは無い。俺も、何も出来なかった。兄なのに、情けない」
ふと、桃太郎が天を仰ぐ。
「情けないですよね。結局、何の役にも、支えにもなれない。とても、歯がゆいことです。
さて、私はそろそろ戻りますね。師匠も、風邪に気を付けて」
傘も持たずに墓参りに来たらしく、肩や頭に雪が降り積もっている。
数週間前の、丁度、修行に行く前のことだったか。確か、そんなことを言っていた。
「赦すつもりはない」
「…そうか。それでいい」
王は静かに目を伏せる。
「だが、桃に免じて…そうだな。必ず墓参りに行くなら、何億万年先で赦してやろう」
「長いな」
乾いた笑みを浮かべて王は笑う。
「鬼ならそのくらい生きてみろ」
「それには及ばないが、それくらい長く生きて来たさ。…札が、必要だと言ったな。五枚だけ、かすめてきた」
ごそごそと縄を解き、懐から札を取り出すと椿に差し出す。
「後、五枚。満ちゃん、持ってないか?」
「一枚だけ、貰いました」
「十一枚…。これで、倒せるかどうかだな」
空を仰ぎながら雅が言う。
「十分だろう。その札を使って銃撃し、我々は妖刀を振るえば良い。それだけで動きは封じれる。
後は、白鬼に力添えを頼むとしよう。彼女なら、封印出来るさ」
「分かった。頼んだぞ、満ちゃん。それと、有り難う…」
椿が名前を言い淀んでいると、王は困った様な笑みを浮かべて言った。
「みや…いや、咲夜だ」
「そうか。感謝するぞ、咲夜」
「そもそも、お前の手下みたいなものなんだから、何とかならないのか」
靖正が訊ねると、咲夜は首を振る。
「無理だ。確かに私が作ったこととなっているが、アレを作ったのは私では無い。
ある程度の命令は下せるが、アレは後一刻程で爆破することになっている。封印する以外の方法は無い」
至って真面目に言う咲夜を雅が小突く。
「そういうことは先に言え。早くしないと、桃の所にさえ行けなくなるぞ」
その言葉にやっと満は此処に来た目的を思いだした。
だが、封印には自分の力が必要である。
なかなか言い出せないでいると、もぞもぞと頭の上で何かが動いた。
『ちょっと、待ったぁぁぁぁーーーー!!』
意外に大きな声だった為、皆が耳を塞いだ。
「む。子天狗か?」
咲夜が夜一に近づき、軽く指で突く。
その顔はほんの少し嬉しそうだ。
そういう反応は、実に桃太郎そっくりである。
微笑ましく見ていると、夜一が喝を入れる。
『話を聞けぇ!満は、『姫巫女代理』の元へ行くんだよ!だから、封印手伝えないのっ!』
ぺちぺちと羽根で咲夜を叩く。
「それは困ったな。満ちゃんの代わりになる巫女なんて…」
椿がそう言った時、空から物凄い速さで何かが近付いてきた。
それは速度を緩めることなく、巨神の光線を潜り抜ける。
「私が代わりになるわ!」
土煙を上げながら何かが降り立つ。
だが、その声で誰なのか皆には分かっていた。
「星巫女様っ!あっ、兄様も…」
満が嬉しそうに言う。
夏に見た惣花輦が置いてあり、中から星巫女が降りてきた。
中を覗いてみれば、泰光が唸りながら気を失っている。悪夢でも見ているのだろうか。
「狭霧殿にいた者は皆、こんな感じよ。倫は違ったけど。今はあの子に任せておいて、私は彼方たちの様子を見に来たのだけれども…中々、大変なことになっているわね。満、桃のことは頼んだわよ」
「わ、分かりましたっ!皆さんも、どうか御無事で!必ず、桃を連れ帰りますからねっ」
『よし、そうと決まれば乗れ!満っ!』
夜一が見る見るうちに大きく膨らんでいく。
それはいつも桃太郎が乗る様な鴉と同じよう位の大きさになった。
「それじゃあ、行ってきますね!」
徐々に満の姿が小さくなっていく。
やがては見えなくなった。
「良いのか、星巫女。予知通りになるかもしれないんだぞ?」
「大丈夫よ。あの子は、桃を殺す様な真似はしない。私は彼女を信じるわ。他の白鬼とは違う」
まるで元から知り合いだったかのように、星巫女と咲夜は話す。
咲夜の言葉に、星巫女はくすりと笑った。
「ふふっ。今年も、息子の晴れ舞台を見に来るのかしら?」
「あの子はもう代理ではないと、お前自身が言ったんだろう」
「えぇ。次の姫巫女が現れるまでの、正真正銘、姫巫女本人よ」
傍から見ていた皆は、かなりの戸惑いを見せていたが、一番戸惑っていたのは靖正だった。
その肩を椿がぽんぽんっと叩く。
「さて、鬼退治を始めましょうか」
星巫女は赤い紅の付いた唇をぺろりと舐めて、そう宣言した。
いつのまにか辺りは明るくなり始める。
闇の支配する時間は終わりを告げようとし、朝の光が追い打ちを駆ける様に闇を祓う。
江戸の夜明けは直ぐそこまで来ていた。