開戦の咆哮
カタ、カタ、カタ…。
僅かな揺れが起こっていた。
「…貧乏揺すりを止めんか。揺れてるぞ」
「いやいや、地震だ。最近、何とも無かったが…。十数年ぶりか?話が変わるんだが、桃は何処へ?」
「…本人曰く、朝の散歩だ」
早朝、時刻は明け六つより、少し早い時間。
日はまだ昇らず、辺りは薄暗い。
寺の前で桃太郎の帰りを待つが、気温は低く吐息が見えるほどだ。
直ぐに歯の根が合わなくなり、ガチガチとなる。
「煩い」
「そんな事言ったって、寒いものは寒い。あー、羽織持ってくれば良かった。おっ、降って来たな。道理で寒い訳だ」
曇天の空から白い光が降って来る。
掌に乗せると、それは直ぐに溶けてしまった。
鬼法炎寺本堂。
辺りは相変わらず静まり返っていた。
「……雪、ですね。懐か、しい…」
「…そうですか。しかし、予想外に早かった」
桃太郎は静かに呟いた。
その呟きに夷隅は軽く微笑んだ。そして、呆れたように言う。
「彼等が、彼方に真実、教える筈、ないじゃ、ありませんか…。お馬鹿さんで、すね。全く…」
「それもそうですね。…貴方も、馬鹿だと思いますよ。逃げれば、良かったじゃないですか。分かっていながら、態々…」
そこまで言って、不意に言葉を止める。
手に血が触れた。夷隅の方に目を向けると大分出血しており、血の水溜りの中に顔が浸かっている。
それもそのはずで、斬られた場所は首。そんな状態で喋っているのを、密かに感心していた。
瞳は虚ろだが、その瞳にはしっかりと降り続く雪が見えているようだ。
「しかし、全てが陰、陽師だった訳では、ありま、せんよ…。ふふっ…、彼方の父、親に言われた、通り、いや、…正確には違いますけど…。ちゃんと、やりましたから…。奴ら、弟子の事までは、眼中に、無いみたい、ですから、好都合です…。ほら、そろそろ、行きなさい…。態々、見届けて…本当に、馬鹿ですね…」
「父の代わりに、大義であったとでも言っておきましょう。では、さようなら。
…一つ、余計な事を。陰陽師はまだ、この寺の中にいます。書物やらなんやら、探しているみたいですよ。まぁ、私としては、どうでも良いことですけどね」
その言葉に、夷隅は擦れた声で笑う。
「…彼方は、父親そっくり、ですよ。本当に…。くく、ほら、さっさと、行きなさい…。
巻き込まれても、責任は、とり、ませんよ…」
「どうも。それでは、さようなら」
足音が遠ざかって行く。
溜息なのか、安堵なのかよく分からない息を吐いて、外を見る。
そして、静かに笑った。
ゴォォォォーー……。
それが合図の様に寺は炎に包まれる。
「何だっ!?何が起きた?寺が燃えてるぞ!」
「…見れば分かる。桃は、まだ中か?」
雅が寺の中へ向かおうとした時、炎に巻かれた寺の中から歌声が聞こえてきた。
それは透明で哀愁に満ちており、悲しい歌だった。
歌声はやがて小さくなり、いつのまにか聞こえなくなった。それと同時に炎の中に人影が見えた。
「…お待たせしました。さて、帰りましょうか」
「桃…、夷隅様は?」
椿が少し戸惑いながらそう訊ねる。
桃太郎は無言で寺を振り返った。
「…行こうか。そろそろ日が昇る」
雅はそう言って山道を降りて行く。椿もその後に続いた。
「先に行くよ、鴉…」
桃太郎はそう呟くと、二人の後を追った。
燃え盛る本堂に、夷隅は横たわっている。
「あぁ…、雪…。鈴、鹿、僕を…赦さない、でくれ…。しかし、君は、優しい子…だね…。
ありが、とう…。赦してくれて、ありが、とう…」
風に運ばれて雪が目の前に落ちた。
それは直ぐに溶けて水になる。
彼女が好きだった雪が、罪を洗い流すかの様に降り続く。
今日、この日に降ったのは、偶然かも知れないし、運命の悪戯というやつなのかもしれない。
あぁ、それでも…感謝せずにはいられない。
償うために悟りを開き、償うつもりだった。
だが、弱い己の心は誘惑に負け、本能のままに従い今、粛清された。
君は、それをどう思うだろうか。救いの無い奴だと呆れるだろうか。
もしも、この魂が業火に焼かれてまた再びこの地へ還るその時は。
「次こそは、鈴鹿。君を…」
その時、視界の隅で何かが動いた。
擦れてよく見えないが、陰陽師でないことは動きで分かった。
それは、真っ赤な瞳で、真っ黒で、頭に二本の角を生やしている。
「罪は、罪を以って祓う…か…。私に、相応、しい、末路だ…。一本、取られたなぁ…。そうだ、なぁ、最後に、言い、残すとす、るならば…」
小さな笑みを浮かべる。引き攣った醜い笑みだが、本人の精いっぱいの笑顔だ。そして、目を閉じる。
「『嘘つき』と…あえて、言おう」
視界に真っ赤な瞳が映る。
その後のことは誰も知らない。ただ、何かを噛み砕く音が延々と響いていた。
「ー………。」
「何じゃ桃。久しぶりに帰って来たと思ったら、それは機嫌が良いのか?それとも、すこぶる悪いのか?」
鼻歌を歌ったまま、ずっと縁側に座り外を見ている桃太郎に、鬼菖丸がそう訊ねる。
桃太郎はちらりと鬼菖丸を見て、その頭を撫でた。
「何ですか、鬼菖丸。父様方にでも頼まれましたか…?だとするなら、その思惑は成功ですね。
体調はとても良いんです。だから、機嫌が悪いんです」
「…誰か、喰ったのかぇ?」
「……私は、喰っていませんよ」
鬼菖丸は隣に座る。そして、子供とは思えないほど冷静な口調で言う。
「鬼が人を喰うのは、当たり前のこと。…鬼を喰うも同じ。何故、最上級と呼ばれる鬼が出来たか。それも同じ。人であり、鬼であり、皆、死ぬ時は独り。しかし、いつからか鬼は群れを為すようになった。
『情』の芽生えもまた同じ。今では、鬼を喰うことは禁忌とさえ、誰一人として行わん。
先の曲がった刀の様に、何も出来ん。それが人。鬼は今、その一途を辿ろうとしている。いや、既に辿っている」
「…それが、紛いですか。何であれ、堕ちる先は皆同じとでも言いたいのですか」
「その逆もまた然り。一定を越えれば皆、化物じゃ。だから、人は鬼になる。…わしなりの考えじゃ」
「お見事。的を射抜いておりますよ。それが、最も近い答えでしょう。
一つ、気になったんで言いますが、鬼菖丸は子供じゃなくて、とても長生きしたじ…」
桃太郎が、言いかけたその時、鬼菖丸は静かに言う。
「世の中には、言わない方が命拾いをすることもあろう?若者よ」
「全く、理不尽な世ですね。息が詰まりそうです。…あんまり満さん達にベタ付かないで下さいよ」
そして長い溜息を吐いた。
「近々、もしかしたらもう起こっているやも知れぬ。戦争が、始まるぞ」
「…彼方はどれ位の規模だと思いますか?」
鬼菖丸は静かに目を閉じる。
「恐らく、四鬼神の勢力全て…いや、黒鬼と白鬼を除く全ての鬼が兵となるじゃろう。
ふむ、そう考えるとこの戦争の行く末には、何が残ろうか。同族殺しに他ならん行為を戦争と憎しみをもって犯そうとしている。四鬼神の奴ら…特に朱菊なんかは怒りで我を忘れているみたいじゃからのぉ。
また、同族が死んでいく。時に思うのだ。我らは、何かの意思で滅びに向かわされているのではないかと…」
「何を思おうと、もう遅いですよ。避けられぬことです。だから、止めるんですよ」
そう桃太郎が言うと、鬼菖丸はにたりと笑った。まるでその言葉を待っていたかのように。
「止められるのか?」
「保証は出来ませんが、私がけりを付けますよ。大罪を犯すのも、止めるのも、独りで十分です。
早朝の地震。あれが合図です。…もう、戦争は始まっているんです」
そう言って桃太郎は立ち上がる。
「直、江戸に鬼が攻め入って来るでしょう。しかし、戦地は此処じゃない。奴らは、市民に恐怖を与えるのが目的で、達成後何らかの伝令を寄越す。残念ながら、それはもう、止められません。だから、任せて良いですか?」
振り向かず桃太郎は鬼菖丸に問う。
「修行に失敗した奴が何を言おうと片腹痛いのじゃが、事が事である以上仕方がない。
はよう、行ってまいれ。お土産、忘れるなよ」
「有り難うございます。いってきます」
一度だけ振り向く。
そして、一礼してまた歩み出す。
「あれ、桃太郎。帰ってたんですか?」
「満…さん?」
目の前に、満が立っていた。何だかとても懐かしく思える。
「修行、頑張ったんですよっ!桃にも、成果を見せたいほどです。…何処か、お散歩にでも?」
首を傾げながら訊ねる満に、桃太郎はふと、笑みが零れる。
「そうですか。少し、用がありまして。出かけてきます。それじゃあ、行ってきます」
「あっ、待って下さい。これ、桃にあげようと思って。手作りのお守りです。効力は保証できませんが。
…それじゃあ、行ってらっしゃい」
満が桃太郎の首にお守りを下げる。
桃太郎は泣きそうな顔でそれを握った。
「有り難うございます。…行ってきますね」
どんどん桃太郎の姿が遠ざかっていく。きっと、唯の散歩ではないのだろう。嘘がバレバレだ。
満は何だか二度と会えない様な、そんな気がして力の限り叫んだ。
「待ってますからっ!桃が、帰って来るのをっ!ずっとずっと、待ってますからっ!!」
彼が一度だけ、振り向いた気がした。
そして遂には見えなくなった。
「ん、満?久しぶり…ってどうしたんだ?そんなに泣いて…」
いつのまにか泰光が自分の後ろに立っている。
「…ずっと、待ってますから…」
「…よしよし、良く分からないが、とりあえず家で待とうか」
満の肩を抱き、支える様にして足利家の門を潜る。
満は、何度も後ろを振り向いていた。
「……桃」
控え目に呼ばれた声に振り向くと、壁に寄り掛かる鴉の姿があった。
呼吸は乱れ、相変わらず玉の様な汗が額に浮かんでいる。髪は乱れ、黒衣は赤く染まっていた。
「大丈夫だよ。おいで。…丁度、待っていたところだ。一仕事、頼んでも良いか?」
「桃、すまない。本当に、すまない…。ごめん、ごめんな…」
桃太郎は子供の様に泣きじゃくる鴉の頭を撫でながら、あやす。
「まだ、天候が良くないからもう少し待とうか。…大丈夫、俺に対して何一つとして謝ることは無い。
寧ろ、謝るべきは俺にある。すまない」
小刀を取り出し、自分の首に宛がう。
その行動を鴉は訝しげに見つめていた。
「まだ、その時じゃないか。さて、そろそろ行こう。手遅れになる前に」
鴉は静かに頷き、鳥の姿へと変わる。
桃太郎はその背に乗ると、未だ止まぬ雪降る空の彼方へと飛び去った。
それと同時刻。
突如、空は赤色に染まる。
「江戸に鬼が押し寄せて来たぞっ!お前ら、退治手伝えっ!」
廊下から大きな足音が聞こえたかと思うと、障子が開いた。
そこには、血相を変えた靖正が立っていた。
呼吸は荒く、走って来たということが一目瞭然である。
「全く、結界が仇になったな…。開戦の狼煙が全然聞こえてない」
「開戦の狼煙?」
満達が足利家の外へ出ると、逃げ惑う人々や泣き叫ぶ子供の声が聞こえてきた。
不気味な鳴き声が何処からか聞こえてくる。
それは、桃太郎と最初に出会った時の下級の紛い鬼の鳴き声に似ていた。
「既に陰陽師が退治にかかっているが、数が多すぎるっ!泰光は市民を安全な場所へ誘導してくれっ!
そこの鬼二人は退治手伝えっ!満は怪我人の手当て頼む。鬼菖丸はその手伝いだ」
靖正の指示に全員が頷く。
雅は血の様な空を見上げた。赤く染まりつつも、雪は止まない。
「…おい、どうやら少し厄介なのが来るぞ」
雅の目が鋭くなる。それと同時に耳をつんざく様な咆哮が聞こえた。
ゴォォォォォーーーーー………!!!
「な、何だ…。あれは…。本当に鬼なのか…?」
泰光がその姿を見て絶句する。
皆、その姿に物言えぬ状態だった。
その鬼は今までに見たことが無いくらい大きかった。
そう、もう少しで天に届きそうなほど、その強靭な身体は禍々しい妖気を放っている。
目は金色の光を放ち、その身体は黒く、影の様。
手には槍が握られている。
「光線が出せそうだ」
「何日間で滅びるでしょうかね?」
「こいつは最後の奴か?」
上から順に靖正、満、泰光がそれぞれ好き勝手なことを言って騒ぐ。というよりか、はしゃぐ。
「三人とも、時代が違うぞ。そのネタは。いや、それ以前の問題だ」
「黒鬼か?」
「…いや。黒鬼じゃない。俺たちと同じ上級の鬼だ。あの姿は、何人も鬼を喰ったという証。
故に禁忌とさえ、長年封じられてきた。だが、どうやら解けたみたいだな。今朝の地震がそうか」
椿の問いに雅は冷静に答える。
「…一つ忘れているが、桃は何処行った?」
「既に向かっておる。現地にの」
鬼菖丸が意地悪な笑みを浮かべて雅を見た。
はぁ…と溜息をつきながら雅は頭を掻いた。
「とにかく、あれの退治が優先だ。行くぞ」
「「「おう」」」
三人が声を合わせて言って、鬼退治へと向かう。
それを嘲笑うかのように、一際大きな咆哮が江戸に響き渡った。
階段二段飛ばしくらいの早さで進みましたね。強引な進みでした。
本当にすみません。
予定としては、次章は半分は江戸で、残り鬼ヶ島って感じですかね。
今のところの予定としては。
毎回ですが、長くなって、誠に申し訳ございません。次章からはこの長さが続くと思います。
読んで下さってありがとうこざいます。