感
「「人間?」」
二人の声が重なる。満さんも、泰光も、驚愕した表情でこちらを見た。
認めたくはないのだろう。自らが否定し、避けてきた元凶は同じ同胞であることを。
「桃太郎さんは、私を白鬼と呼びました。…私は、『紛い鬼』なのですかっ!?」
大きな瞳を潤ませて満は桃太郎を見つめる。
生まれ持った怪力故、幼いころから村人に白い目で見られ、家族で日々支えあってきた。
辛く、悲しく、貧しい毎日だったが、それでも幸せだった。
鬼が現れ、家族を失くし、足利家の養女になった今も、鬼への憎しみは癒えない。
なのに、どうして…。
「違いますよ」
きっぱりと桃太郎が言う。拍子抜けしたような表情だった。
「満さんは、勘違いしている。まぁ、今は黙って聞いてください。
鬼が人になる。また、人が鬼になる。確かに昔から稀ですが、そういうことはありました。
『紛い鬼』と呼んでいますが、私のように暴走せず、人の姿に戻る例もあります。
昨夜、出現した鬼ですが、何色でしたか?」
「「赤」」
また、二人の声が重なる。
「人が鬼になる。鬼が人になる。それはすべて『喜怒哀楽』の感情によるもの。
そして、そのどれかの感情が一定値を超えた時…」
「鬼が人に変わり、また、人が鬼になる」
泰光が納得したように呟いた。
「実際、あの村人の一人が消えています。
その村人は、犯してもいない罪を被せられ、投獄。下手人として斬首も決まっていましたが、執行の日
逃げ出したと書いてありました」
「人の力ではけして逃げることはできない。しかし、彼が鬼ならば…」
拷問で弱った体で逃げることはできない。
腕を組みながら、泰光が唸る。
「彼は自分を下手人にした者に心当たりがあった。強い復讐心が彼を鬼に変えたと思います。
『喜怒哀楽』の感情で表すなら、『怒』。すなわち、赤鬼。
どこかの子守唄にあるんですよ」
そう言って、桃太郎は静かに口ずさむ。
一つ 赤い 真っ赤な 怒りの炎 かの者を 赤鬼へと誘なわん。
二つ 蒼い 静かな 悲しみの涙 かの姫を 蒼鬼と変わりけり。
三つ 白い 喜びの 淡く白い かの少女 白い鬼とて 幸あらん。
「他にもあるのですが、うろ覚えでして…」
「お前、女か?」
驚いたように泰光が言う。
それほどに、桃太郎の声は少女のように高く、澄んでいた。
『これで、七十一回目だな』
楽しそうに鴉が笑う。
「笑いごとではないのですが…」
溜息混じりに桃太郎が言う。
「三番にありましたが、白鬼は…」
その言葉を聞き、桃太郎が嬉しそうに微笑んだ。
「周りから祝福され、生まれた子を指します。その子の無垢で清らかな心は、周りをも幸せにするという言い伝えでして、信じる鬼も少なくありません」
そして、一拍置いてから桃太郎は言う。
「たとえ、周りが避難しようと、白鬼は祝福の子。どんな困難が襲っても、貴女がそれを悔やむことはありません。それは貴女のせいではないのですから。誰のせいでもないのです。忘れろとは言いませんが、少しは自分を許してもいいのでは?」
たしなめるように桃太郎が言う。
満は目を見開いた。
目から涙が溢れ、頬を伝う。
「ありがとう。しかし、私は…」
その先の言葉を制し、桃太郎が頭を下げた。
「すみません。何も知らず、おこがましいとお思いでしょうが、最初会った時、その…、昔の自分に似ていたものですから…。私の恩師が言ってくれた言葉ですが、それで貴女が少しでも救われれば良いと思いまして…」
赤面しながら桃太郎が恥ずかしそうに頭を掻く。
そして、桃太郎は微笑んだ。
その笑みはとても綺麗で、彼がもし女だったら、ほとんどの男が赤面するほどのものだった。
「白鬼…、いえ、満さん。私は、これから貴女を狙うであろう鬼を、退治しに参りました」
彼が恋慕に関して疎い故、それが告白に近い言葉と気付くことはなかったが、
満は顔を真っ赤にし、どちらの意味でしょうか?それとも両方…、いえ、あれはそういう意味じゃなく、単純に…と呟き、ずっと俯いていた。
一方、兄の泰光は妹への愛の告白ともとれる言葉にド肝を抜かれていた。
そして、自分の歳を考え、これくらいの言葉が言えるように精進せねばなぁとひとりごちていた。
江戸の一角に静かに佇む、足利家の平和な昼下がりの事であった。