記憶の邂逅
炎に魅せられたかのように。
二つの屍の影が、踊り狂う。
夜風に吹かれて、右へ左へ。
ある者は叫び、ある者は狂喜した。
「…だから、彼方は」
何処からが、間違いで。
何が正しかったのか。
「どうか…、私達の分まで」
そこに、救いは無く。
果てなく続く彼等の欲望のみ。
「生き延びて…」
この心の様に、果てなく続く絶望と。
後ろで揺らめく黒い影。
狂人達の乱舞と、村を覆い尽くす炎。
「あなた、は…」
脳裏に焼きつくは、優しい面影。
怨みもせず、殺意さえ無い。淑女の様な優しい笑顔。
逞しい大きな手。
乱暴に撫でられた感触がまだ残っている。
初夏、刺す様な鋭い日差し。
蝉の声が何処からか聞こえてくる。
田畑を耕す音と、清らかな小川の音に耳を傾ける。
音が止む。何事かと薄目を開けた。視界が霞む。
「そんなところで寝てると、風邪ひくぞ?チビ助」
日に焼けた肌、日をたっぷりと浴びた明るい茶髪は、汗を滴らせている。
滝の様に流れ出る汗を首に巻いた手拭いで拭うと、太陽の様な笑みでにかっと笑った。
「いつ、寝てた?」
「いつのまにか寝てたよ。俺が畑耕す前には多分寝てた」
頬に張り付いた黒髪を、手で払いのける。
肩まで伸びたこの髪を最近は鬱陶しく思った。
「ほら、昼飯食うだろ?こんなに暑いんだ、水くらい飲め。神無が心配してたぞ」
がしがしと乱暴に頭を撫でられる。
手を引っ張られながら、近くの小屋に入って行った。
「尚吾さん、チビ助くん。おかえりなさい。暑かったでしょう?」
朗らかな笑みを浮かべ、黒髪の綺麗な女性が迎え入れる。
彼女が尚吾の妻、神無だ。
商人の家系の娘でありながら、その性格は穏やかで明るい。
拾われて一年経つが、怒っている姿を一度も見たことが無かった。
粗末な着物でも、その美貌を損なってはいなかった。
農民の出である尚吾と、商人の出である神無。
彼女の腹には、新しい命が宿っていた。
尚吾は、愛おしそうに神無の徐々に膨らんできた腹を撫でる。
「男の子か、女の子か…どちらだろうな。楽しみだ、早く生まれて来いよ」
「あらあら…。そう急がなくても大丈夫ですよー。これで、チビ助くんもお兄ちゃんですね」
「子が生まれたら、チビ助っていう名前も改名な!」
やや怒りながら抗議すると、尚吾ははははっと笑いながら頭を撫でる。
「生まれた子が、男の子だったらその名を継がせるのも良いな」
「…それは、可哀想だから、ちゃんとした名前付けろよな」
色々あって、この九十九村へ来た。
正確には、空腹で倒れているところを拾われて来たと言った方が正しい。
九十九村は、何故か九十九人しか人が居ない。だから『九十九村』と名付けられた。
と言っても、自分が来たため百人になった。
それが原因なのかは分かりかねるが、村人の反応は依然として芳しくない。
村八分にでもあっているかのような薄気味悪さというか、『悪意』を感じずにはいられないのだ。
「それじゃあ、出かけてくる」
「何だ、また散歩か?絶対に村には近付くなよ」
尚吾の忠告を背中で聞きながら、畑の横の細い道を駆け抜け、小川を渡り、山道を下る。
尚吾の家は、村から少し離れた山の中にある。一応、一本道なので迷うことは無い。
尚吾の家の近くには、御神木の様な大きな木があり、日影が出来る為夏はそれなりに涼しかった。
この山には、昔偉い神様が住んでたらしい。
道に無造作に転がる石造りの小さな祠の数々や、地蔵などから何となく察していたが、どうやらあまり良い神ではない様だ。途中道に転がる地蔵を一瞥し、そう思う。
その地蔵には、頭が無かった。身体のみが道に転がっているのだ。
そして天を仰ぐと、薄気味悪い笑みを浮かべ、何故か赤い紐を首に巻き付けられ吊るされている地蔵の首がある。心なしかその目は赤くも見え、気味が悪いとしか言いようがない。
その地蔵がある道は必ずと言って良いほど道が分かれている。
この地蔵の首が吊るされている方が何処かへ通じる道で、何も無いのが村への道。
そっちへ向かいたいが、地蔵の方へ向かった。
案外この山は深く、複雑であるが、季節が変われば見事な紅葉が見れるし、食料も豊富だ。
尚吾達と、紅葉を見に行くのも楽しいだろう。
だが、あの地蔵があっては素直に楽しめない。むしろ怖い。
真っ赤な紅葉の敷物に身体だけの地蔵が横たわり、上を見れば首だけ地蔵が笑みを浮かべて此方を見ている。
季節外れの肝試しになるだろう。
相変わらず蝉は煩いし、地蔵は怖い。
尚吾の家で暮らすようになってから、『感情』が豊富になったような気がした。
原因はともかく、実際そうなったと思うし、そうなって良かったとも思う。
あの家で暮らす限り、自分は鬼でも、紛いでもなく、普通の子供でいられる様な気がした。
当初は、感情に乏しかった。
単に、理性というものが完全に定着していなかった。
いつもお腹がすいて、雀やらトカゲやらを見つけては食べていた。
だが、何を食べてもお腹は満たされず、味はしない。
人を見る度、食べてみたいという思いが常にあった。
鬼なら下級であろうと何であろうと、美味い。
だが、そう簡単にのこのこ鬼が現れてくれるわけもない。
だから、いつもお腹を空かせて。
それで倒れて、拾われて。
初めて食べたお粥は味がして。
初めておいしいと感じた。
いつのまにか、お腹は満たされ、食欲も普通の人間と同じようになって。
今の自分になれましたとさ。
「この先、地蔵さまの墓場なり。…止めようかな。この前見たし」
木々が避ける様にして出来た空間に、地蔵が何百とぶら下がっていた。
勿論身体は下にごろごろ転がっている。
「誰が、こんなに作ったんだよ。こんな気味の悪い地蔵…。妖の類じゃないよな?
けど、祠あったし…。変な崇高でもなければ良いんだけど…」
「知らないの?『地蔵様』」
「この村の主。これは『地蔵様』の供物。この村の魂」
「鬼なのに、『地蔵様』知らないんだな」
けたけたと、薄気味悪い笑みを浮かべながら、村の者と思われる三人の痩せ細った子供が立っていた。
手には、それぞれあの地蔵が大事そうに握られている。
「『地蔵様』?そんなの聞いたことが無い」
「『地蔵様』はいらっしゃる。お腹を空かせていらっしゃる。新たな供物を望んでいらっしゃる。
『地蔵様』は役人を追い払って下さった。富を与えて下さった。妖などの下等な存在では無い。神の様に素晴らしいお方だ」
そう言いながら、三人は木によじ登り、地蔵を吊る下げた。
そして、身体を落す。
ゴトンっという大きな音が響き、三人は満足したようにケタケタと笑った。
「お前、地蔵様信じてないのか?」
「あの不届き者たちと暮らしているからだ」
「連れていけば、どれほど村人が『地蔵様』のおかげで暮らせているか、見せてやる」
もう一度ケタケタと笑うと、三人は自分の手を引っ張って強引に村へ連れて行った。
「あかいあかい、まっかな夕日。あかいあかいまっかな炎。さぁ、お鍋が煮えたら包丁鳴らせ。
食事だ、食事だ。何の味?地蔵様の好物、人肉の味…」
赤い夕陽が照らす中、三人の子供たちはそんな不気味な唄を口ずさみながら歩いて行く。
子供とはいえ、握られた手首がやや変色してきている。
恐ろしいほどの馬鹿力だ。
普段は尚吾は村へ行くことを出来るだけ避ける。
今回が初めての九十九村訪問という訳だ。
白い煙が立ち上り、視界を遮る。
ぐつぐつと嫌な音が聞こえてきた。
「まさかとは思うが、食べたりしないよな」
「今は、まだ。『地蔵様』のお食事は未だ来ず」
「今日のご飯は何の味?」
「『地蔵様』の好物、人肉の味…」
冗談なのか本気なのかは分からないが、三人はそう言いながら進んでいく。
やがて黒い鍋が見え始める。
そして、その周りで作業する村人たちも見え始めた。
一応、万が一の時に備え戦闘態勢に入っておいた。
しかし、あっさりと通り過ぎる。
ほっとした次の瞬間、耳を劈くような悲鳴が聞こえた。
ドボンッと何かが投げ入れられた音と、コポコポと沈んでいく音。
「食事の時間、食事の時間」
「今のが、八十二番目の村人。何度言っても、信じないから『地蔵様』が食いなさいと申された」
「見て見て、あの家。地蔵様が食いなさいと申された証拠だよ。誰の家?誰の家?」
一人が指差す方向には家があり、戸口に見慣れた不気味な地蔵の首が薄気味悪い笑みを浮かべて吊るされている。
身体もその真下に転がっていた。
「あらあら、あらら…もう二軒。あの家、その家、誰の家?」
「そうそう、あれは、僕達の家。あらら、僕達、食材だ」
「『地蔵様』の栄えある糧にはなれなかったけど、村を潤す食材だ」
こけしの様な薄気味悪い笑みを崩さずに、三人は自分の手を放すと一直線に駆けていく。
思った以上に早く、三人の姿が見えた時には、すでに鍋の梯子を登っている最中だった。
それを涎をこぼしながら見守る村人は、すでに彼等を食材として見ているに違いない。
一人が先に飛び込み、視界から消える。
二人目はやや迷っているようだ。
すると、後から遅れて来た三人目がその背中を押した。
二人目が視界から消える。
三人目も飛び込むのかと思いきや、するすると梯子を下りていく。
相変わらず、気味の悪い笑みを崩さないまま。しかし、その表情は、もっと狂っていた。
「無理無理、僕は死ねません。食材一日三食まで…」
意味の分からないことを呟きながら、梯子を無事に降りた。
そう、無事には降りられた。
群れを成す狼の様に、逸れた一人の子羊をぐるりと取り囲む。
「あーあ、これまで、だね…。じゃ、ね…。鬼の子、気をつけて…」
辛うじて、口の動きを読んで何を言ったのか分かった。
だが、自分が何かを言う前に鈍い音が聞こえて。
鋭い痛みが頭を巡る。
そのまま、意識を手放した。