修行
「行くんですか、二人とも」
足利家の門の前。
満と泰光は風呂敷を片手に立っていた。
泰光は、陰陽道を習う為、靖正の所へ行くつもりだ。もちろん、その許可も下りている。
もうすぐ、星巫女の使いが来るらしい。
「はい。お荷物は、嫌なので。桃の力になって帰ってきます」
明るい笑顔で、満は言った。
約束ですと、小指を差し出す。
「えぇ。待ってます。必ず、来て下さい」
自分の小指を絡めて、指きりをした。
それを鴉は唯見ていた。
桃太郎は昨夜星巫女から預言されたことを全て鴉に告げた。
その預言こそ、桃太郎が最も望んでいたことだ。
分かっている。
だが、いざその時が来るとなると複雑気持であるが、本人は『何も感じていない』。
二人の別れは呆気なかった。
星巫女の使いが来ると、振り返りもせず行ってしまった。
「さて、桃。私達も行こう。結界は張ってあるんだろう?」
「すみません、わざわざつき合わせてしまって」
困った様に桃太郎は笑って、柱に立てかけた『鴉』を腰に差す。
雅は少し突っ立ったままいぶかしむ様な表情を浮かべていたが、直ぐに戸の前へ移動した。
星巫女は万が一の対策と、足利家の家の事は面倒見てくれるらしい。
椿が、何やら色々詰めた風呂敷包みを片手に戸締りを確認し、門を閉める。
「それでは、出発進行!いざ行かん、鬼法炎寺ッ!!」
おーと言わんばかりに握り拳を高々と上げたので、桃太郎も釣られて拳を上げた。
「お前ら、遊びに行くわけじゃないんだぞ?」
「良いじゃないか。案内するの、俺なんだし。一度、やってみたかった」
椿の嬉しそうな顔をうんざりとした目で見た後、雅は軽く溜息を吐く。
鬼法炎寺はその名の通り、鬼の為の寺である。
鬼法というのは、もちろん妖術の事。
陰陽師も黙認しており、この寺の者は鬼狩りの対象外だが、一度罪や、本能を抑え込めなかった場合、問答無用で祓われる。
ちなみに、桃太郎や椿は何度もお世話になっており、互いに知らぬ仲でもない為、偶に修行に行くこともしばしばあるのだが、その時ばかりは一応妖刀などの類は置いて行っている為、知ってはいるが見たことはない。
何でも、桃太郎の封印具である髪結いの紐をくれたのはそこの徳の高い僧から譲り受けたとか。
ひたすら山道を登る。
日も傾き、うっすらと星が見える。
休憩をとりながら進んでいたら一日は軽い。
いくら鬼とは言えど、休憩も無しにこの険しい山道を登るに連れ、無言となった。
そして、寺前の百は超える段数であろう階段を玉の様な汗を垂らしながら上る。
「あぁ、着いた…。二人とも、大丈夫か…?」
息も絶え絶えに椿が言い、振り向くと雅が小さく頷く。
一番後ろを歩いていた桃太郎は、何度も咳込んでいた。
「皆さん、お疲れ様です。そろそろ来る頃合いだと思いましたよ」
練れた野太い声。
その声と共に門がギィィィ……という音を立てて開く。
墨染の僧衣を纏う一人の男性が寺の前に立っていた。
「彼が此処一番の僧か?」
「いえ、違います。新しく修行に来た僧でしょう」
桃太郎が雅にそう説明すると、僧はぺこりと頭を下げて名を名乗る。
「此処で修行を積んで五年ほどになります。碁録と申します。夷隅様がお待ちです。こちらへ…」
案内されたのは、僧たちが食事をとる為の部屋だった。
三十人ほどの僧達が一列にずらりと並び、艶やかな赤い漆の配膳台に乗せられた淡白で質素な食事をとっている。
所謂、精進料理というもので、夕食は玄米に味噌汁、漬物が今晩の献立らしい。
「長い道のり、お疲れでしょう。食後、対面となっておりますので…」
語録は少し困った様に笑う。
三人は静かに食事する僧達の間を通り抜け、奥の部屋へ案内された。
そこには既に同じ配膳台が置かれており、玄米と味噌汁、漬物とよく火の通った何かの肉が盛られている。
「精進料理にしては、偉く豪勢だな」
「それでは、食べ終わりましたらお呼び下さい」
やや急ぎ足で碁録は部屋を後にし、残された三人はとりあえず食事をとることにした。
精進料理故、量も少なめで直ぐに食べ終わる。
筈なのだが、桃太郎や椿は片手が使えない為苦戦していた。
何とか時間を掛け食べ終えると、丁度語録と三人の見習い僧が部屋へ入ってきた。
見習いの三人は配膳台を一つずつ持ち、頭を下げると足早に去っていく。
「良い頃合いみたいですね。それでは、夷隅様の部屋へお連れ致します」
夷隅の部屋は、食卓を囲む部屋から少し行ったところにあり、恐らくは一番奥であろう人気のなさそうな場所だった。
語録が戸を叩き、名を名乗る。
しかし、返事は無い。
「夷隅様?語録です。居ないのですか?あれ、本堂ですかね?」
やや慌てたように語録は本堂へ向かって歩き出す。
三人もその後を追った。
語録の予想通り、夷隅は阿修羅像の前に立っていた。
語録達が姿を見せると、にこりと微笑む。
一件、僧らしくない僧だった。
「夷隅様、お連れ致しました」
「語録、どうもありがとう。椿、桃、久しぶりですね。ところで、そちらの方が噂の桃君の父君ですか?」
「雅です。お世話になります」
「どうも、御丁寧に。夷隅と申します。さっそくですが、明日からは見習いとして修行に励んでもらいますよ。文を見る限り、そう悠長なことは言ってられないようなので。衣服は部屋に用意してあります。
失礼ですが、お先に部屋で休んで下さい。朝は、早いですから。桃は残りなさい」
夷隅の笑みに只ならぬものを感じたが、逃げ出したい気持ちを堪えその場に留まる。
語録は安心したように息を吐くと、二人を連れて部屋へ案内するべくさっさと出てしまう。
「随分、鬼に喰われているようですね」
「分かりますか?」
夷隅は、静かに瞳を閉じた。
「一つ。彼方の腕を軸として、黒い禍々しい妖気が覆っていますよ。気分、優れないでしょう?
二つ。先程の精進料理。彼方たちには肉が用意されています。いつも冷静な彼方なら例え何の肉か分からずとも食うことは拒む。しかし、彼方だけが肉を食べていますよ。お二方はちゃんと残したのにも関わらず。あれは、鬼の血肉でしたからね。内なる鬼にとってはまたとない獲物だ。食い続ければ、彼方は正気を失くし、行く行くは内なる鬼が表へと転じる。…彼方とて、それは困るのでしょう?」
「困るどころの騒ぎで済めば良いですけどね…といっても、一番困るのはそれじゃあないんですけど…。で、とりあえずどうすれば良いでしょうか?」
「そうですね…。少し話が変わりますが、お父様方に言ってあるのですか?腕の事然り、鬼の事然り、父君の事然り…」
ふむ…と腕組みして、淡々と夷隅は言う。
「あー、それが言えたら苦労しませんよ。で、どうしましょう?」
「あはは、見事にかわしましたねー。彼方、精神攻撃弱いから、そこを克服すれば何とかなるんじゃないですか?内なる鬼も押さえることが出来ますし、精神の強化は強さにも影響します。
一石二鳥で良いじゃないですか。そうとなれば、あの部屋しかありませんね」
「今からですか?」
「もちろん。今からですよ。悠長なこと言ってられないのでしょう?」
一方、満達はというと星巫女のいる狭霧殿へと通され、星巫女から修行内容を聞いているところだった。
「長旅お疲れ様。早速だけど、修行に入るわ」
「俺は如何すれば?」
泰光が尋ねると、星巫女はジトッとした目で泰光を軽く睨み、溜息を吐いた。
「まだ居たの?靖正、ボケボケしていないで、さっさと連れて行きなさい。此処は基本男子禁制よ」
「は、はいっ!それでは、失礼しますっ…!ほら、行くぞ!」
「あ、あぁ…。それじゃ、満。お互い頑張ろう」
「はいっ!」
顔を赤らめて、脱兎の様に去っていく靖正とそれを必死に追いかける兄の姿は直ぐに見えなくなった。
星巫女はもう一度溜息を吐く。
「騒々しい奴らね。さて、本題に戻るわ。これから行う修行は、ちんたらやっている暇ないから覚悟しておくことね。それじゃあ、ついて来て」
着いた場所は狭霧殿の地下であろう場所だった。
そこはかなり浮世離れしたところで、一面池の様になっている。
当然船で移動するのだが、途中鳥居を何本も見かけた。
それは、全て何処か壊れていたり、半分以上沈んでいるもので、ちゃんと立っているものは今のところ見当たらない。
しかも、岩よりは二周りくらい小さな石が幾つか落ちており、水面から顔を覗かせている。
「ここら辺で良いかしらね。さて、今から説明するから良く聞きなさい。
今から、下級の妖を出現させるから貴女はそれを祓いなさい」
「どうやってですか?」
「妖の出現について聞いているのなら、貴女の真後ろにあるその大きな鳥居から。
祓いについて聞いているのなら、これから言うから黙ってなさい」
満が後ろを振り向くと、一際大きな鳥居が立っていた。
地下の天井に届きそうなくらい大きな鳥居である。
「まず、これを渡しておくわ」
「御幣でしたっけ。巫女が振るう…」
「えぇ。素手で、妖には勝てない。だから、この御幣を使うわ。
中には不動明王が入っていらっしゃり、その力を借りて妖を払うことが出来る。
ちなみに、今は貸しておくけど、後でちゃんと自分のを作ってもらうからね。それじゃあ、開くわよ」
星巫女が何やら呪文染みた言葉を唱える。
すると、鳥居の中心の空間が歪み、下級の小さく可愛らしい黒い妖怪が飛び出してきた。
「この地下から洩れない様に、さっさと祓いなさい。ちなみに、アレは道具無しで素早く祓ったわよ」
「えっ、そんなこと言われても…。えいっ」
すると、真っ黒で小さな妖怪は、痛てっと声を上げた。
よくよく見ると、小さな黒い羽根が生えていることから天狗か何かだろうと考えたが、黒い靄の様なもので覆われている為分からない。とりあえず、頭を撫でてやる。
「大丈夫ですか、すみません…。って、祓えないじゃないですかっ!」
「見てくれに騙されない。祓うという気持ちが無いからそうなるの。ほら、それより野蛮なの来たわよ」
星巫女が後ろを指さす。それに従って振り向くと、同じような真っ黒な狼が飛びかかってきた。
ーコロシテ、ヤル…。
「きゃっ!」
急いで御幣を前へ突き出す。
白い光が漏れ、弾けたかと思うと悲鳴染みた叫びが聞こえ狼は消えた。
『ケケケッ、全然駄目だな』
「むぅ…。あなた、さっきからウロチョロと…。祓われたくなければ帰りなさい」
『……見習いにしては、無知な奴だな』
「無駄口叩いている暇は無いわ。ほら、どんどん来た。といっても、限界みたいね。閉じるわよ」
星巫女がまた聞き取れない何かを唱える。
すると、鳥居の歪みは跡形も無く消えた。
「つ、疲れたぁ…。というか、何で帰らないんですか?」
『ほんっとーに無知な奴だ。星巫女、こいつに説明してやって』
ふぅ…と星巫女は息を吐くと、この地下に沈む多くの鳥居について話し始めた。
「此処の地下に沈む鳥居は、『人々から忘れ去られ存在できなくなった神々の墓』。元住処。
そこの子も、穢れが侵食しているみたいだけど、元は神に使える天狗か何かかしらね。
さっき襲ってきたのは、完全に穢れてしまった狛犬。ああなると、妖怪化してしまうの。
この地下は、その数多の神に仕える妖怪、もしくは地祇達を慰め、鎮める場所。
しかし、一度全ての封印が解け、穢れを持った妖怪達が出てきたことがあるけど、アレが唄一つで全て祓った。いえ、全て浄化し、新たな社を作り、そこへ帰した。ったく、気に食わないのよね。姫巫女が不在に限って、アレが全て丸く収めるなんて…」
『昔から懲りねーな、お前も。しかし、あの代理はすげぇな。姫巫女代理に選ばれることだけある。
俺も、あれで一命を取り留めたからな―。しかも、新たな住処まで拵えるなんて。太っ腹な男だ』
二人とも、ぶつぶつと何事かを呟いていた。
「正直に言うと、貴女に御幣を用いた祓いはあまり向かない様ね。他の手段を考えましょう。
…物は試しというけれど、貴女、ソレ手で触れられるのね?」
『ソレ扱いはねーだろ』
「えぇ。ほら、大丈夫です。しかし、真っ黒ですねー」
感心しながら満は羽根に触れている。
「まぁ、良いわ。貴女、ソレの穢れだけを祓いなさい。今から詠唱することを言いなさい」
また呪文めいたものかと思うと、そんなことはなかった。
「我が清めを持って、祓い、祓い、清めたまえ」
「えと…。我が清めを持って、祓い、祓い、清めたまえ」
「「全てを赦し、祓い、祓い、清めたまえ」」
二人の言葉がぴたりと重なる。
すると、見る見るうちに天狗が白く光りはじめた。
『おぉ…。成功みたいだなー。いやぁ、軽い軽い』
「お前、やっぱりチビですね。うーん、天狗って、こんな感じなんだ」
そう言うと、満はへなへなと座り込んでしまった。
そして、そのまま寝転んだかと思うと、そのまま安らかな寝息をたてて寝てしまった。
『あーあ…。まっ、初にしては上出来じゃねーか。といっても、代理のを見ちまってるから素直に驚けないが。才能はあるんじゃねーの。清めに関しては』
「そうね…。しかし、道のりは長いわ。そう悠長なことは言ってられないの。
とにかく、明日考えましょう。何だか、考えることさえ億劫だわ」
かくして、それぞれが修行に励むこととなった。
しかし、道のりは中々長そうである。