戦うべからず
「あれ、桃と一緒に墓参り行ってたんじゃないのか?」
表口に見知った二人の姿が見えたので気になって訊ねると、雅は汗を拭いながら嬉しそうに笑う。
「あぁ。途中、満ちゃんの姿が見えたものでな。気を利かせて去ったまでだ。
兄としての心境は如何なものだ?泰光。いつかは、妹が居候の男の元へと嫁ぐという複雑かつ、些か面白い…」
長くなりそうだったので、あー…と相づちの様なものを打ちながら話を切り上げる。
というか、息子が自分の元を去り一人立ちしていく心境の方が余程気になると思うのだが。
「まぁ、相手が桃なら別になぁ…。断る理由は俺の場合何も無いと言いたいが、生憎、家の当主は中々厳しいぞ?一応、許婚いるし、桃は鬼だから父上が何と仰るか…。俺は別に反対しないけど…」
「「ほぉ…」」
何故か椿まで面白そうに感嘆の声を漏らしている。
「許婚がいたのか」
「あぁ。満が此処に養子に来た時、父上の計らいで。ちょくちょく遊ぶ仲だ。
といっても、昔の事だし、相手の方が婿修行に出るとか、父上が鬼の討伐隊に借り出されている以上、まだ嫁にいける状態でもない。
俺としては満が幸せになれるなら、どちらでも良いんだが…」
「何だ、鴉の話では、最初の頃はやけに反対だったのに、随分大人しくなったな」
椿がそう言うと、泰光は苦笑した。
「誰だって、紛いだか何だかわからん、鬼を名乗る男が家に上がってたら誰だって驚くし、嫌疑を掛ける気も分かるだろう?今は落ち着いているが、江戸には辻斬りとかうろうろしているからな」
「略奪愛…。中々良いな。憧れる」
その言葉に、二人揃って硬直し、目元を押さえる。
激しい耳鳴りと目眩。変な幻聴が聞こえたぞ。
「どうした?疲れてるんだろ?ああ、そうに決まってる。鬼菖丸、雅さんと遊んでやれ」
「雅ー!!何して遊ぶのじゃ?鴉はちっとも遊んでくれんのじゃ」
無理やり鬼菖丸に雅を押し付け、溜息を吐く。
「あぁ、こうしている暇なんて無かった…。お茶、出さないとな」
「誰か、客でも来ているみたいだが…。誰が来ているんだ?」
戸の傍に並んである履物をちらりと見て、椿は訊ねる。
すると泰光は少し困った様な表情を浮かべながら小さく苦笑した。
「ん。桃のお客。偉い人」
そう言ったと同時に戸口が開き、桃太郎と満が帰って来た。
桃太郎は戸に置いてある履物を見て、それから二人に頭を下げる。
「どうやら、星巫女様が来ているみたいですね。珍しいことに」
「えっ。星巫女様が?何の用で…?」
黄鶴が尋ねると、桃太郎は少し申し訳なさそうに笑った。
「二人に、様があるんだと。俺らはどっかに行ってろだとさ。その内呼ぶから大人しくしろだとよ」
泰光がそう言うと、桃太郎は軽く頷き、居間向かう。満も後を追った。
「父上、鬼菖丸。少し席を外して貰えませんか?」
「桃じゃ!お帰りなのじゃ!鴉、風邪なのかもしれぬ。ずっと、くしゃみしているのじゃ」
鬼菖丸が雅の膝に収まりながらそう言うと、桃太郎は相槌を打って雅を見た。
雅は溜息を吐くと、渋々といった様子で鬼菖丸の手をひきながら居間を後にした。
「…見ないうちに、人、増えたわね」
満が驚いて目を丸くし、桃太郎は向かいの座布団を持ってくると満を座らせた。
そして自らもその隣に座った。
凛として大人びた声は、前と変わっていない。
しかし、畳にまで届く日本人形のような長く伸びた艶やかな黒髪と、真っ赤な唇。
しかも白粉を塗っていた為、それらが際立っていた。
前に見た子供の姿では無く、巫女服を着た大人の星巫女がそこに座っていた。
「呪い、解いたんですね」
桃太郎がそう言うと、星巫女は静かに目を閉じる。
「…彼方も。姿の呪いと、もう一つ。解いてはならない呪いが解けてしまったようね」
星巫女がそう言うと、桃太郎は苦笑した。
「その右腕。動かないでしょう?」
「…分かります?」
「えぇ。禍々しい黒い光が彼方と、彼方の妖刀から溢れ出てる。特に、彼方の右腕が一番ひどくて、真っ黒になってる」
その時の星巫女の声色は本当に真剣なもので、いつもの様に淡々としたものではなかった。
満は、桃太郎の腕の事や、呪いの事を聞きたかったが、口を挟める状況では無かった。
「…祓えますか?」
「ごめんなさい。私に先見の力はあるけど、祓いの力はあの子の専門だから。私には不可能」
桃太郎は静かに息をはく。そして、右腕を見た。
「とりあえず、先程の文で大まかな事は説明しましたが、貴女はどのようなお考えで?」
「これから話すのは、あくまで私個人の意見。参考にするかは彼方が決めて。
もし、この江戸が戦禍に巻き込まれ、機能しなくなれば異国との条約も鬼の討伐もままならず、先に待つのは滅びよ。だから、先手を打ちなさい。彼方の事だから居場所は掴めているのでしょう?」
「成程、先手を打つ…。しかし…」
「鬼と鬼の戦いに、人は駆りだせない。
あくまで、今回は規模が大きいけど、あくまで彼方達個人に関わる争いであり、私達人間が割り込める余地も、戦力も無い。元々鬼はそうして畏怖されてきた生物だし、狩りの対象。
江戸を巻き込むということは、その争いの主催とも言える原因…つまり彼方達も対象とされるでしょう。あくまでそうなれば、私は庇うことは出来ないわ」
そう言って、星巫女はお茶を啜る。
そして顔を顰めた。
「不味かったですか?」
桃太郎が笑みを隠しながらそう問うと、星巫女は不機嫌そうに湯呑みを置いた。
「では、本題に入りましょう」
こほんっと咳払いをして星巫女はちらっと満を見る。
「今の、本題じゃなかったんですか?」
ようやく、満はそれを言うことが出来た。
すると、桃太郎が苦笑しながらその問いに答えた。
「今のは、まぁ大切な話ですけど、これから話す事に置いては些か物足りない内容ですので…」
「先の意見から察するに、防げる可能性は無く、巻き込まれる可能性は高いわけね。
私も出来ることは全力でするけど、それが効果あるかは分からないわ」
「有り難うございます。それで、文のお返事の方は…?」
桃太郎がおずおずと聞くと、星巫女は懐から真っ白な四角い小さな紙きれを取り出した。
それを満に差し出す。
「そうね…。鶴の形に折ってみて」
満は言われた通り、鶴を折り始めた。
しかし、元が不器用な為、よれよれの不格好な鶴になってしまった。
「うー…」
「……。」
「……下手ね」
桃太郎は黙ってその鶴を見ている。
星巫女は淡々とそう言うと、説明し始めた。
「まず、目を閉じて深呼吸して。そう、ゆっくりと。
そしたら、誰でも良いから思い浮かべて」
「だ、誰を…?」
「誰でも良いと言ったでしょう?それが出来たら、その鶴を掌に乗せて、息を軽く吹きかける」
誰でも良い…、誰でも良い…。
とりあえず、真っ先に頭の中に浮かんだ人物を思い描き、息を吹きかける。
部屋の中だが、僅かに白い息が見えた。
「おっ、成功した様ですね…」
「………。」
次は星巫女が押し黙った。
桃太郎は感心したように、頭の上に降り立った折り鶴を見ている。
「…随分、信頼されているのね」
星巫女が冷ややかな目で桃太郎を見た。
桃太郎は首を傾げて、曖昧にえぇ、まぁ…。と返事をする。
「まぁ、最初にしては良い方かしら。さて、手本を見せなさい」
星巫女の命令に、桃太郎は懐から同じような紙を取り出し、折り鶴を折る。
その鶴は、非の打ちどころがない様なしっかりとしていて美しい折り鶴になった。
それを掌に乗せて、同じように息を吹きかけると、折り鶴は綺麗な曲線を描き障子の隙間から廊下へ出る。
「何処へ行ったんですか?」
「鴉の所です。…まぁ、成功していればの話ですけど」
「一応、衰えてはいない様ね。随分、マシな所へ飛ばせるようになったみたいだけど」
「最初は、狭霧殿から師匠の家まで飛びましたからねー」
と桃太郎はやや苦笑しながら言うと、
「本当に何故彼方の様な者がそこまでの才に溢れているか、理解できないわ」
と星巫女は淡々と返した。
「若気の至りですかね?」
「意味が少しずれてるわ」
「ところで、何故、それを今やるのですか?」
満がそれを問うと、桃太郎はやや気不味そうな顔をした。
「それは、貴女が邪魔だから」
淡々と星巫女が言うと、桃太郎は咎める様に星巫女を睨む。
しかし、星巫女は淡々と続けた。
「今回の戦いに、貴女はただのお荷物でしかない。
力もろくに目覚めていない白鬼なんて、ただの人と同じ。戦力にならない。
だから、桃は私が足利家に数日滞在してほしいという滑稽な文を出したのだけれど、答えとしてそれは出来ない」
「そんな言い方をしなくても良いだろうっ!」
星巫女がそう言いきった時、泰光が障子を開け放ち叫んできた。
二人とも、特に驚く様子は無く、桃太郎は軽く溜息を吐いている。
「皆様方、どうせこうだとは思いましたが…。さっさと出て来て下さい」
すると、ぞろぞろと廊下から足利家居候組が出てきた。しかし、竜泡と紅鶯の姿はない。
「これでも、後で話をする予定だったんですが…」
「聞きたいことは山ほどあるが、目先の問題の解決から行こうか」
ぎろりと雅と椿が桃太郎を睨む。
ぶるりと桃太郎が震えた。
「そういう意味では、彼方も同じよ。泰光。
鬼でもない彼方が出る幕ではないの。がんばって修行しているみたいだけど、無駄なことね」
「そんなの、やってみないと分からないだろう」
やや押され気味に泰光が言うと、星巫女は無理ねと淡々と答えた。
「話を戻すわ。例え、貴女の場合鬼の力に目覚めていなくても巫女の才能はあるみたいだから、今後の修行次第で戦力にはならないけれど、アレの鞘くらいにはなれるんじゃないかしら?」
ちらりと星巫女は桃太郎を見た。
「後、最後にもう一つ。
これは、桃。彼方に関わる重要な事よ」
「ちょっと、失礼。星巫女様、こちらへ…」
桃太郎が手招きして廊下へ連れ出す。
障子が閉まった瞬間に結界が張られる。
雅は軽く舌打ちした。
「で、何でしょう?」
「昨夜、夢に彼方が現れた。これから言うことはこの先起こる可能性が高いことだから心して聞いて」
真剣な星巫女の表情に、桃太郎も只ならぬ不吉なものを感じた。
「この戦いで、彼方は黒鬼として覚醒する。
そして、敵味方関係なく殺し、あの子に刺される。
…もちろん、その敵味方に王家と呼ばれている鬼であろう者や、泰光…そして、彼方のお父様方の姿もあった。
だから、私はあの子達が戦場へ行くことに反対。
彼方は、中途半端でこそ彼方なのだから、お願いだから、姫巫女の分まで生き延びなさい…」
自分より、勇敢で、人一倍気が強く、誰よりも姫巫女の事を想い、そして、誰よりも自分を敵視していた
彼女が、自分の胸の中で泣いている。
預言より、そちらに戸惑ったと言えば、殴られるだろうから止めておいた。
こういう時は、きっとどんな慰めの言葉を言っても無駄だから、とりあえず左手でそっと抱いてみた。
「有り難う、御座います…」
とりあえず、それだけ呟く。
「…けど、それ、本当起こるとしても大丈夫ですから…。星巫女様や、姫巫女様には悪いですけど、
自分の始末くらい、自分で着けます」
すると、彼女は一歩だけ下がる。
叩かれるんだろうと容易に分かる緩慢な動作で彼女は殴った。
避けなかったので、思いっきり頬に当たった。
「昔から、あんたのそういう諦めたところが嫌いよ」
泣き腫らした赤い顔で星巫女は言う。
だから、真剣に言った。
まだ、鴉にも言っていないことを。
きっと、世界で一番嫌いであろう人物に。
「痛みという感情も、楽しいとか嬉しいって言う感情も、もう無いんです…。
今、私、どんな表情してますか?」
何か、そこまで重要ではないはずなのに、長くなるっていう…。
本当、すみません。色々迷走してますね。
そろそろ、各自決断の時って感じで、次回は進みたいと思います。