黄泉の境
自分は何の為に産まれたのか。
誰も望まない存在がこの世に生まれ落ちた。
まるで、人の歪みを吸収したような真っ黒の男の子が、私の腹から生まれ落ちたのです。
そもそも、人なのか、鬼なのか…はたまた、化物なのか。
それでも、私はこの子を愛せずにはいられなかったのです。
ーこの、化物がっ!何て事をしてくれたのだっ!
月から降り注ぐは、怒りの声。
それは、珍しく感情を露にする星巫女の声。
「これが、私達を繋ぐ罪です。ご理解いただけましたか?
…というのは、都合の良い言い訳に過ぎませんが…。馬鹿ですね?考えなかったんですか、姫巫女様の想いを」
ーお前の様な者に、言われる筋合いはないっ!
「…まぁ、今はそんなことを話している時間さえ、惜しい。満さんは返してもらいますよ」
桃太郎が懐から鈴を取り出し、鳴らす。
夜を震わす、小さな音が響いた。
清く、美しい音がやがて空気を震わせ、月をも揺らす。
そして、どこからかカラカラッ…と独特の車輪の音が聞こえてきた。
「…姫巫女様に許可は貰っているので、私たちはこれで馳せ参じようと思います」
星巫女は何も言わない。
そこに、あったのは…
「おい、これ…」
泰光が絶句する。
「俵、運ぶ手押し車だろ」
「文句言わないで下さいよ。今の私の力では、これしか呼べないんです。ちゃんと、呼べたんだから良いでしょう?」
むくれた様に桃太郎が言い、木製の手押し車を軽く叩いた。
そして、よっこらしょ…と言いながら、飛び乗る。
椿は、絵巻で見る様な大層なものを想像していたのだが、その想像は音を立てて崩れた。
溜息を吐くと、桃太郎に続いて乗り込む。
「そう言えば、鴉はどうした?」
「しばらくは、養生させようと思いまして…。…今は、ちょっとした調べ物を手伝ってもらってます」
「にしても、どう動くんだ?人はおろか、牛とかもいないぞ?」
泰光はあたりを見回す。
桃太郎は、まだ何か期待しているのかと憐れみの目で泰光を見ながらも言う。
「自動操縦です」
「まだ、この時代なのにっ!?」
「そこは、凄いと褒めるべきですよ。…まぁ、この車に宿る付喪神が運んでくれるわけです。ほら、掴まっていないと落ちますよ?」
そう言いながらも、桃太郎は椿の両肩を掴んだ。
「何故、掴む?」
「…私が、非力だからです」
「…成程」
静かに手押し車が動き出す。椿と泰光は、桃太郎の指示で本来人が押している先の部分に何とか掴まった。
「何で、この場所なんだ?」
「すぐ、分かりますよ」
ゆっくりと動いていた手押し車は、段々と早くなる。
「おいおいっ…。このままじゃ木にぶつかるぞっ!?」
「ほら、しっかり掴まってないと落ちますよ?」
加速した手押し車は、木にぶつかることなく、そのまま90度に傾いた。
そして、そのまま凄まじい勢いで月目指して駆け上がる。
途中、バチっという大きな音と共に、『月』の中へ入ったのだった。
「…無事で、何よりです。さぁ、星巫女様の所へ向かいましょうか」
しれっとした顔で桃太郎が言い、椿が頷いた。
「ちょっ、お前な…」
「姫巫女様の魂無き今、星巫女様がどんな手段を使ってきてもおかしくはありませんよ。
…急ぎましょう。」
「此処は、月の中なのか?」
「…いいえ、狭霧殿という特殊な結界で守られた神聖な場所ですよ。
主に、星巫女様は此処で活動していらっしゃいます」
狭霧殿というだけあって、本当に神聖な場所だと空気で分かる。
しかし、何も仕掛けて来ないのは何故だろうか?
「なにか仕掛けがあると思うんだけどな…。だって、こんなに大きい部屋なんだぞ?」
奥へ続く障子がいくつも並ぶ。
距離がけっこうあり、まだ続くと思うとうんざりした。
ねぇ、桃。彼方の様な化物が何故、姫巫女何かやっているの?
…彼方なんて、誰も望みはしないのに。それなのになぜ、彼方は生きているの?
何処からか声が響いて来る。
「精神的揺さぶりを掛けようにも、生ぬるいですね」
桃太郎が鼻で笑う。しかし、彼が強気でいられたのもそこまでだった。
化物を討ち取れッー!!
…大丈夫だ、チビ助。お前は生きなさい。
みるみる、桃太郎の表情が蒼白になっていく。
周りの音が変わり、どんどん彼を取り巻くかのように近づき、大きくなってゆく。
それは、まるで波の様だった。
どうか、赦して…。
…ねぇ、母さま?な、何を?い、嫌だっ!止めて…く…
小さな男の子の声。段々と擦れてゆく。
桃太郎は、ずっと黙ったままだ。
えっ……?か、かあさま?ど、何処に?
戸惑う様な声。
音が遠退く。
しかし、すぐに次の『音』が聞こえてきた。
それは、色々な『音』。様々な声。
お前なんか、誰も望んでいないんだ。この化物が。
これは、若い男の声。
…どうして、彼方は生まれたの?
これは、先程聞こえてきた女性の声。
その二つの声が混じり合い、次の言葉を紡ぐ前に、桃太郎は素早く空を小刀で断ち斬った。
バチッ…と音がしたかと思うと、空間が歪み、いつのまにか大広間にいた。
そこには、窶れた星巫女が立っていた。
腰が曲がり、艶やかな髪は白髪になっている。顔からも疲労が滲み出ており、光の無い陰惨な瞳がこちらを見ていた。
「…急に老けてないか?」
小声で泰光が話す。
桃太郎は、深呼吸を数回する。
口の中がからからに渇き、話す事もままならない。
「そうせすか…。ご自分で呪いを掛けられたのですね。無理に成長を止め、なおかつ、強力な術を使えば、その呪いすら吸う命なき故、弱くなる」
「…死んじゃったのか?」
その泰光の問いに、桃太郎は首を横に振る。
「死んではいませんが、境を彷徨ってるでしょうね。既に意識は、こちら側にはない」
すると、椿が奥の部屋から顔を出した。
「おい、桃。居たぞ」
頷くと、既に魂無き器となった星巫女を抱きかかえ、奥の部屋へ移動する。
「…困りましたね。星巫女様と同じですか…」
冷たくなってる満の身体に触れ、やや焦る様に桃太郎は言った。
泰光が、星巫女をその隣へ寝かせる。
ーオオォォォォ…。
声が聞こえた。うめき声の様な苦しそうな声。
幾重にも重なっている。
「おそらく、此処はもっとも黄泉に近いのでしょう。その主無き今、それを管理する者がいないんです。妖や、怨霊、死人が集まってきてもおかしくありません」
「おいおい…。それじゃあ、きりがないぞ?」
「その入り口を閉じるのは、星巫女様しか出来ませんしね。私も強制終了くらいなら、なんとか出来ますけど…そんなことしたら、どこかに歪が生じますし…。二人の魂も帰ってきません」
椿がその発言を聞き、首を傾げた。
「おい、術はそこまで実力はないんじゃなかったのか?」
「…言いましたっけ?そんなこと?」
誤魔化す様に桃太郎が、笑う。
「まぁ、いいとして。早くしなければ、どんどん増えますし、魂も戻っってきません。
今から私が黄泉にいってきますんで、お二人は『器』を守ってて下さいね?
万が一、悪霊が乗り移ってしまうと後が大変ですから」
「どうやって行くんだ?仮死の術でもあるのか?」
「いや…、それを使おうと思ったのですが、それどころでは無くなってしまったので…。
その状態に近づけることしか今は無いですね…」
にこっと、桃太郎は笑って持っていた小刀を添える。
そして、何かを唱えた。
見えない空気の刃が唸りを上げ、桃太郎を襲う。
当然、避けもしないので真っ向から当たって、吹っ飛んだ。
黒い鮮血が飛び散る。
その身体が壁にぶつかる前に、椿が何とか受け止めた。
「…全く。容赦ないな。出血量が多すぎたら本当に死ぬぞ」
それを寝台に横たえて、二人を取り巻く死人その他諸々を見据える。
「自分の身くらいは守れるよな?」
謎かけの様に泰光に問うと、ムッとしたように口を尖らせる。
「笑止!この足利泰光、その誇りに賭けて幽霊など…怖がったりはしない!」
「……幽霊、苦手なのか」