甦り
ー此処は?
その声は、頭の中で木霊する。
呟いた筈の言葉は、吐息ともならず脳内だけに留まった。
まるで、自分が自分で無い様な。
誰かに操られているような。
しかし、目はしっかりと開いていて、意識もはっきりしている。
なのに、白く深い霧の中に自分は居た。
寒くて、冷たくて、暗い。そう思うのに、辺りは真っ白だ。
ーとりあえず、星巫女様を見つけ出し此処から出してもらいましょう。
方向音痴で、前向きな彼女は満足そうに頷くと、ずんずん進んでいく。
今は、子の刻(午前12時から2時あたり)。
桃太郎は、一端足利家に引き返していた。
「遅い…。満は一緒じゃないのか…」
やや眠そうに目を擦りながら泰光は辺りを見回した。
義妹の姿はそこには無かった。
「それが…。星巫女様が何か術を施したようで、行方が分からないのです」
うなだれる桃太郎に椿が問う。
「何だって星巫女は、満ちゃんを?」
「さぁ…?思い当たる節が多すぎて…。絞り込むのは…」
真剣に言う桃太郎に対し、どんだけ嫌われているんだと泰光が突っ込む。
「しかし、今回顔を見せに来たということは、何らかを『確認』しに来たのではないでしょうか?
あの人が自分にとって大事な用でもない限り、私に会いに来るはずありません。
…あの人が、一番私が『姫巫女』を務めることを嫌っていましたからね。
あの人の考えとして有力なのは、
その一、私への復讐として満さんを消す。
そのニ、同じ過ちを繰り返させる。満さんを用いて。
その三、以上の全てを行う。…と言ったところでしょうか。あの人ならやりかねません」
「同じ過ちって…」
「村人だけじゃ、彼女の気は収まらないでしょう。彼方たちも含める江戸の人達全員とか…?
皮肉なことに、あの人が一番理解していますよ。私には、精神攻撃が一番効くと。
最後は、お得意の陰陽術で…」
そこまで言って、桃太郎は動きを止めた。
「陰陽道の術…?最高位の巫女…。満さん…。姫巫女様…。あぁ、そうか…」
段々とその声色に感情が無くなって行く。
最後は冷ややかな目で、月を仰ぎ見る。
「な、何か分かったのか?」
怖気づく泰光に、桃太郎はにっこりと微笑んだ。
「…大体、星巫女というのは、陰陽師の最高位に与えられる『称号』。
その最高位に君臨する女が、満ちゃんを攫って何をするかなんて、掟破りの術に決まっている…そうだろ?」
椿が先に説明すると、桃太郎はこくりと頷いた。
「…わざわざ、後を着けて行ってもらってすみませんね。師匠でも、結界の中には入れませんでしたか」
「あぁ。追い出されたよ。…ったく、これから何の術を施すつもりだ?」
その言葉に、桃太郎は先程同様に微笑んだ。
「もちろん、『甦りの術』に決まっているじゃありませんか」
「甦り?そんなことが可能なのか?」
「さぁ…?完全には不可能かもしれませんが、最高位の陰陽師が行うこととなると侮れません。
まぁ、上位の陰陽師となれば『神降ろし』も出来ましょう。…人に一時的ですが、神を憑依させれます。霊力の高い人でさえ、失敗する高度な術ですが…。星巫女様の場合、姫巫女様の魂を憑依する為に満さんを連れて行ったんです。『依代』としてね。まして、数多の魂の中から特定の魂だけを降ろすなんて御業…、あの人でもさぞかし苦戦しているところでしょうけど…」
くすりと意地の悪い笑みを浮かべ、直ぐに口元を押さえた。
ーそうね、中々難しいわ。この術。
月から声が降ってきた。それは星巫女の声。
「返して貰えないでしょうか?貴女のような人が、触れていいわけありませんから」
ー随分、執着しているのね…。姫巫女が聞いたら、どう思うのかしら?
「…ふふっ。まだ、その魂が残っていればですけど。…笑うんじゃないですか?」
暫し沈黙があった。
ー笑う?
「おや…。分からない?これほどまでに想う相手の事が?…あの人は、全てを笑って赦す御方ですよ。
苦しい時でも、辛い時でも…。その赦しがあったから、私は少しだけ歳を重ねられたのです」
ー戯言はどうでもいいわ。もし、貴女が私のお願を叶えられたら返してあげる。
「どういう願いで?」
ー『仏の御石の鉢』、『蓬莱の玉の枝』、『火鼠の皮衣』、『竜の頸の玉』、『燕の子安貝』…。
これらを集めて来てくれたら返すわ。
冗談染みた声色で話す。ときどき、くすくすと笑い声さえ聞こえてきた。
「…分を弁えろ、星巫女。もう一度繰り返す。その人に手を出せば容赦しないと言っている」
感情を殺した声。殺気立っているのが、素人でも分かる。
ー冗談が通じない人ね。まぁ、良いわ。…もう、そっちに着いているのよ?
ガサッと音がして、振り向くと満が立っていた。
「いつの間に…」
椿がそう呟き、泰光は素早く駆けよった。
「満…、大丈夫か?痛む所は…?」
「…大丈夫。まだ、慣れていないけれど…。」
声は確かに満のもの。しかし、その口調は彼女では無い。
桃太郎が一歩後ずさる。その音に満が反応した。
「桃…?桃…なの?あぁっ!」
歓喜に満ちた表情で桃太郎の元へ駆けよって行く満を唖然としながら二人は見送る。
途中、足がもつれて転びそうになる彼女を急いで桃太郎が支えた。
「姫巫女…様?」
こくりと嬉しそうに彼女は頷く。
「桃…。また、会えた…」
涙ぐむ姫巫女を、未だ唖然として見つめる。
そして、怒気の籠った声で叫んだ。
「…星巫女!お前は巫女として、陰陽師として最低な行いをした。…もう、彼女は戻れないっ!
お前なら、それが何を意味するか分かるだろうっ!?」
ーえぇ。分かっているわ。その為の術よ。…永遠に。ずっと一緒に居られるわ。
嬉しそうに星巫女は言った。
この分からず屋が…と静かに桃太郎がのししる。同時に、強い結界を足利道場一帯に張った。
「桃…、非なら私にある…。だから、怒らないで。」
そっと姫巫女は桃太郎の耳元で囁く。
「一日だけ、時間を…。お願い、後は…私……。戻れないなら、せめて…」
「…お願いですから。そんなこと言わないで下さいよ…。私だって分かっています…。
すみません、姫巫女様…」
泣きながら言う桃太郎を、姫巫女は静かに頭を撫でた。
ー一日だけ、時間を…。お願い、後は…私…。
そっと呟いた言葉は、桃太郎の耳に木霊した。
ー貴方に殺されたい。
ー戻れないなら、せめて愛しい貴方の手で…。
夜は、静かに終わりを告げた。
光が江戸を包み込む。