想人
暗い、暗い…。
光さえ届かない所に自分は居た。
元い、自分の記憶はそこから始まった。
寝ているのか、起きているのか…はたまた、夢の中なのか。
そんな感覚さえ分からなかった。
唯、一つ。自分に理解できたことは。
望まれなかった。
それだけだった。
それが『黒鬼』だから理解しているのか、この環境が異常だと感じ取ったからなのか…。
そして、いつ『感情』というものを置いて来てしまったのか。
…今でも、その答えは見つからない。
『外』の世界を知って、唯一つ分かったことがある。
…自分は、自分が嫌いだ。
だから、自分を否定しない人を好むんだ。
「だから、私は…彼女が好きだったんですね…」
今尚、目を閉じれば、お転婆で我が儘で、誰よりも無邪気なあの少女が現れる。
ーねぇ、桃。
祭の場所から少し離れた人気のない小川。涼しくて、提灯の明かりが少しだけ川に映る程度の丁度良い距離だ。休憩するには、もってこいの場所であり、姫巫女が気に入っていた場所だった。
ー舞台が終わったら、来てほしいの。
珍しく、おとなしく振舞う彼女。恥ずかしげにずっと小川を見たままだ。
「夜は、出歩くことを禁じられていますので…」
ーそう…。どうしても無理?
「考えておきます」
我が儘で、お転婆で、人一倍勝気な彼女が珍しく弱気だ。
少しだけ、嫌な予感がした。
ーねぇ、桃。私ね…。
聞いてはいけない。虫の知らせの様に、そう直感した。
「何、弱気になってるんですか?姫巫女様。ほら、いつもみたいに笑って下さいよ!」
冗談交じりに、背中を押して…。
そのまま彼女は小川に落ちた。
それが、原因なのか依然と言うべきなのか…。彼女は満足に歌えなかった。
けど、いつもみたいに、笑ってて。…ほんの少し、反省した。
だから、あの夜は。その詫びも兼ねて、会いに行ったのだ。
気配も消したし、完全にばれないだろうと思ったけど、後に誰かが見ていたということもまだ知らずに。
…その時は、まだ彼女は生きていた。
ー桃、来てくれたんだっ!
嬉しそうに彼女が笑う。
夜、女性に会うということは、逢瀬という誤解を生む。
主の妻である姫巫女自らが、少年と言えど、男を呼ぶことなどあってはならないはずだ。
ーあのね、桃。私…
月の綺麗な夜だった。彼女の言葉より、そっちの方が印象深い。
本当に大きなまんまるの月で。
ー桃の事が好き。
「姫巫女様、な、何を…ご冗談が上手ですね…。しかし、ほら、もっとうまい嘘じゃないと…。
今のは、些か縁起が悪い…」
誰かに好かれるのは、嬉しい。
しかし、相手が悪すぎた。
ー私と一緒に逃げて。お願い。
本当に真剣なまなざしだった。
…こんなにも、思ってくれているのに。
…こんなにも、彼女が好きなのに。
皆に望まれる姫巫女と、望まれず産まれた化物とじゃ、釣り合わなくて。
だから、あの時。
「残念ながら、私は…星巫女様を想っております。…それに、貴女様は主の妻。
そんな無礼な発言はお控えください。それに私は、次から『姫巫女代理』ではなく、星巫女様の書記官見習いとして、狭霧殿でお勤めをすることになりました。…貴女と会うのは、これで最後です」
ー本当に?最後なの?
縋るように、切羽詰まったような声で彼女は言う。
今にも泣きそうだった。
「良いじゃないですか。貴女はこれから自分の使命を全うすることができ、私は、想い人の傍で励むことができる。…もう、十分でしょう?」
星巫女様の傍で勤めることになったのは本当だ。
…けれど、私の想い人は他ならぬ貴女だけだ。と、言えるのなら直ぐにでも言ってしまいたい。
「さよなら、『姫巫女様』。」
さよなら、僕の愛しい人。
その日は、本当に月が綺麗で。
本当に大きなまんまるの月で。
…彼女を攫ってしまいそうなくらい、美しい月で。
…彼女を本当に、連れ去ってしまったのだ。
翌朝、自らの胸…正確には心臓を刺して死んだ姫巫女の話を聞いた。
その時は、もう何もかも自分への裁きが決まった後で。
当然の報いと、嘲笑った。
人に恋した化物と。化物に恋した神の妻に向けて。
…姫巫女様。やはり、凄い人ですね、貴女は。
この罪が、貴女の憧れた永遠に途切れることのない運命の『赤い糸』になりましたよ。
歪な糸ですが、私は少し嬉しく思うのです。
こうして、貴女と繋がれることが。
だからもしまた会えるのならば、次は貴女に嘘を吐いたその償いとして、恋人になってはくれませんか?
昔の桃太郎の視点でお送りしました。