人でなく、鬼でなく
「秀忠、桃は此処に居るんだな?」
鳥の形の式神から降り、秀忠に問う。
「うーん、居る筈なんだけどね…。なんせ、妖の支配領域に入ったから、分かりずらいんだよ」
困った様に笑う秀忠を見て、椿は小さく舌打ちする。
満がよろよろと式神から降り、泰光も後に倣う。
辺りには血の臭いが充満しており、今にも吐きそうだ。
「皆さん、よく平気ですね…」
「鬼が血の臭いに気を悪くするなんて、アタイ達にとっては滑稽な事。
アタイら鬼の『食事』に血は付き物さ」
朱菊がけらけらと笑った。要がそれを制す。
「今、その話は良いでしょう?彼女の気を余計に悪くさせるだけですよ」
「…にしても、誰が封印を解いたんだ?王族で無い限り不可…」
近くの家の屋根が弾け飛び、二人の人影が夜空へ跳ね上がる。
空中で、黒い影が同じように跳ね上がってきた影の首を掴み、地へぶん投げた。
そのまま黒い影は地へと着地した。
「お前…」
背中まである長い黒髪に、今にもほどけそうな包帯。鋭く伸びた獣の様な爪。頭から生えた二本の角。
赤い瞳。見慣れた黒衣。
「桃か?」
師の問いにその鬼は何も答えない。興味が無いと言っているかのように見向きもしなかった。
「本当に、アレは『紛い鬼』なのか…」
要が唖然として呟く。
紛い鬼の特徴は、大きな身体にとてつもない怪力。大きな角。理性を失い、暴れるのが常だ。
人に戻るという例も稀ながら起こる。
「この姿は…『鬼』じゃないか」
初級が『紛い鬼』とされ、中級が私達の手下達『鬼』。人の姿にも、鬼の姿にもなる。
『紛い鬼』との違いは、その優れた能力は『紛い鬼』の比ではない。その姿も人と同じで、ただ角が生え、金色の瞳に変わる。人の姿になっても能力は使えるし、日が出ていても行動できる。
「本当に、彼はただの鬼なのか?椿…」
「桃は『紛い鬼』だと言ってたし、その力さえも失いかけてたんだぞ?」
そう言っている間にも黒鬼は、容赦なく獲物に蹴りを食らわす。
相手はそれを避け、黒鬼の髪を掴んだ。
お返しと言わんばかりの勢いで、地に叩きつけた。
ドチャッ…
黒鬼が地にめり込み、地面が凹んだ。
土煙があがり、よく見えない。
「あは」
笑い声が聞こえた。
「あはははははっ!」
無邪気な子供の声。土煙が落ち着き、視界がはっきりしてゆく。
自分の倍の背丈もある桃の首根っこを掴み、その子は笑っていた。
桃太郎は黒鬼の姿から、唯の人の姿へと戻っており、いつの間にか髪が結われていた。
しかし、その疑問はすぐ消えた。子供の足元をよく見ると、黒い一振りの刀が踏まれていた。
その主は完全に気絶しており、今にも消えそうなかすれた息づかいが辛うじて聞こえる。
「こいつ、不味そうだな…。けど、新しい餌が来てくれたから、いらないや」
ぽいっと桃太郎が投げられ、近くの木にぶつかる。
「お兄さん達は、赤と青、どっちがいい?」
にやりと、その妖は笑った。
「黒」
そう答えると、不思議そうにその子供は桃太郎を見つめた。
「黒…かぁ。うん、分かった。『赤』だねっ!?」
その妖の目が変わる。獲物を見つけた時の、獣の目だ。
「黒は『赤』…。血が少し経つと変わる色」
うんうんと子供は一人頷く。
「妖にしては、完全な人型だな。鬼というわけでもない…」
桃太郎が呟くと、子供は小さく笑った。
「僕、妖じゃないよ?人であり、妖怪であり、鬼でもあるって言ってたっ」
「…は?誰が?」
「『お母様』だよ。僕は選ばれた存在なんだって。人と、妖怪と、鬼の血が混ざった『神の子』だって」
ーなんだそれ。
…『神の子』?
「くくく…」
静かな笑い声が夜空に反響する。
子供は不思議そうな顔で桃太郎を見た。
「神の子?何処にそんな大層な奴がいる?人や妖を喰う生き物が『神』?あぁ、確かに『神』だな。
そんな真似、お前しかできんよ。ちなみに、私が知る限りでは、お前を神とは呼ばない」
一呼吸置いて、桃太郎は歪んだ笑みを浮かべた。
「『化物』。
人はお前をそう呼ぶだろう。にしても、上には上がいるもんだな。
私もさんざんそう言われてきたが、妖まで喰ったことはなかった。いや、参ったよ」
面白そうに桃太郎は言った。
王族はこれが手にあまり封じた訳ではない。
自ら創った『人間兵器』を隠しただけだ。
あの人もそこまで気付けなかっただろう。
無言でその子供は戦闘の態勢に入り、桃太郎も無言で髪紐を解いた。
意識が遠退く。
だが、今はやけに気分が高揚し、なんでも出来そうな気がした。
この餓鬼を潰すのも悪くない。
全て、壊し…
我の存在を知らしめる。
否、知らしめてやるのだ。
それこそが、我が指名…。我が、存在意義。
「遊んでやる、来い」
彼の意識は既に無い。
「何…?馬鹿か、お前は。そんなの自分で決めろ」
椿が刀を引きぬく。月の光を浴びて、白銀に輝いた。
「お前らは、誰が一番美味いかな?あの真っ黒鬼には名乗り忘れたけど、僕、妖陽」
「弟子の不始末は、師が片付けるってもんだ。我が名は椿。四鬼神、黒鬼」
にやりと意地の悪い微笑みを浮かべ、地を蹴った。
「真っ向から、やり合おうって言うの?さっきの鬼の方がまだ頭良いよ」
平然と妖陽が言い、ひらりと避ける。
しかし、相手は刀を投げたのだ。
「なっ!?」
「これだから、餓鬼は。舐めてると、ひどい目に遭うぞ?」
鬼の姿になり、頭から角が生える。
手からは、鋭い爪。瞳は金色に輝く。
歪んだ笑みで妖陽を見据えると、そのまま一気に引き裂いた。
次で一応、第二章が終わりの予定です。
ニ十一話からは第三章が始まる予定です。