ep.3 [陽翔]撤退戦
第一陣として出発した俺たちは、その日のうちに冒険者証と呼ばれるドッグタグのような、紐に繋がれた小さな金属片を渡された。
それは、冒険者の軌跡を示し、力と潔白を表す奇跡の文書。更に言えば、斃れてなお己を証明する死者の言葉でもあった。
名前と所属、アルファベットの後ろに番号が刻まれているだけ。それなのに、携帯するだけで武器の所有を認められる魔法の板を首にさげ、今日も今日とてダンジョンに潜る。
ここ、名越ダンジョンへの入場は協会により管理されており、一般の冒険者は基本入ることができない。そのため、内部にいるのはほとんどが学校関係者か協会職員であり、常に閑散としていた。
この入場規制には二つの利点と一つの明確な欠点がある。それは危険人物の排除と安定した戦闘頻度。そして人数の少なさによる救援の遅れだった。
当然、駆け出しの俺たちはパーティーを組んで入るが、危険なことに変わりない。それにも関わらず、惰性と好奇心から二階層へと足を進める。
メンバーは六人。入場回数は数える程度であっても、全員がダンジョンに慣れかけていた。
ダンジョン内では視覚を阻害しない程度の十分な光量が、岩石質でゴツゴツとした通路を照らす。それは一階層も二階層も大して変わらない。ただ、いつもより一段と静かなことに気づく者は、誰もいなかった。
最初は誰もが押しつぶされそうと錯覚してしまう通路。正体不明の光源が失われる恐怖。そんな本能的な危機感は中にいる拍子抜けに弱いモンスターが中和し、恐れる人をいじる空気感が麻痺させる。
無手。なんの武器も持たずに、ただ最低限の衣を身にまとうコボルト。
俺たちは自分よりも小柄なモンスターに、鉄剣という圧倒的なリーチによるアドバンテージを押し付けた。
知能は見つける、襲いかかる、ただ倒れる。それを見れば無いに等しいと言える。思考の欠片もない単調な動作。痛みの仕草すら弱いモンスターにかける感情は次第に薄れた。
これがモンスター。誰もが一度は恐れ、冒険者を容認するきっかけとなった敵対者。正直、こんな相手をあれほど恐れていたのかと笑いそうになってしまう。
もしかすると、赤い記憶に蓋をしようとするのは当たり前のことなのかもしれない。だけど、この中で唯一それを見たことのある俺が、違和感を押し殺したことは紛れもなく間違いだった。
二階層に降りてから何度かの戦闘を重ねる。情報通りここからが本番。これまで何も持たなかったコボルトたちが、ちらほらとナイフを始めとした武器を握るようになった。
中には槍というリーチ的に有利な武器を持つやつもいたが、基本的な接近方法は授業で教わったから特に困ることはない。強いて言うなら、使われ方が自由で勉強したのと、どこか違うのが戦いづらいくらいだろうか。
以降、しばらく歩いても接敵しない状況と、それまでの戦闘結果が重なり、『二階層もこんなもんか』と慣れてきた頃にそれは起こった。
各種武器を携えた三体のコボルト。それに対応するパーティーの後方から、新たに足音が聞こえてきた。
「後ろ、敵来てるから注意なー」
両面挟まれる程度は何度も経験しているから、パーティーメンバーが慌てることはない。
曲がり角からは一体のモンスター。武器を手に待ち構えていた俺は、ニンマリと口角を上げてこちらを見やるコボルトに寒気を感じ、強く剣を握り直した。
ゆったりとした動きから、前傾姿勢になっての突撃。これまで倒してきたモンスターよりも、早い接近速度から繰り出される殺意を感じるナイフの連撃。盾を構えて攻撃を受けようとするも、腕と腹に熱い何かを感じる。
「スイッチィ!!」
思考が止まりけけてきた俺にかけられたのは、戦線を交代する合図。鋭い痛みを感じながら、バックステップで応じる。
「ラアァッ!」
コボルトは気迫のこもった一真の一撃を当たり前のようにいなして、ガラ空きの横っ腹に一閃を放つ。
スローモーションに飛び散る鮮血。ひどい悲鳴と同時に一真はその場に崩れ落ちた。
固まる俺の隣を志道が通り過ぎる。
「スイッチ!」
二の太刀には間に合わないものの三撃目は受け止めて、前蹴りでコボルトを蹴り飛ばす。
ようやく回り始めた脳みそで考える間もなく、俺はベルトに留めているポーチからポーションを一本取り出して一真に駆け寄った。
「飲め! いや、その前に動かすから止まってろよ!」
それを手渡すと、首もとに手をかけて力いっぱいに引っ張る。戦場から少しだけ遠ざけようとする行動に、忘れかけていた激痛が今になって叫び出す。それでも動き続けるためにポーションを飲みながら後ろを振り返ると、そろそろパーティー前方での戦闘が終わることを確認できた。
「レッド! 傾聴! パーティー後方に推定イレギュラー確認! 今は志道が戦ってる! 終わったら手伝ってくれ!」
危険状況の程度と憶測を全員に共有。なんとか戦えている志道を見ながら次を考える。
授業で習った“残骸種”があいつなら、他より圧倒的に強いはず……どちらにしろ撤退が安定か。
「志道! 今から撤退を始める! そいつは多分、残骸種だから無理に倒そうとせず防御に徹しろ!」
「んなこと——分かってる!!!」
「交代準備は出来てるからな!」
「おっけぃ!!」
次。何をすればいい? ここで一番強いのは志道。次が俺。俺が一瞬でやられたから、他のメンツに戦わせるのはリスクがデカい。なら戦術手を!
「——直弥! 安全第一で道を選べ! 上の階段まで戦術手を任せた!」
「わ、分かった!」
「悠人は一真を背負え! 武器は置いていく! 透は斥候! モンスの接近をなる早で共有頼んだ!」
自分よりも深傷を負った仲間がいるからか、自分でも驚くほど冷静な指示でゆっくりとパーティー全体が動きだす。
初めてのイレギュラー。直弥の指揮下で撤退戦が始まった。
主力級が新たな戦闘に参加できない敗走は楽じゃない。選ばれた道の先々で出会うモンスターの小集団は、どう足掻いても手空きの二人が安全に相手できる敵ではなかった。
「ダメだ! こっちにも敵がいる!」
「何体!?」
「四体!」
「別の道で行く!」
どこに進んでも複数体が待ち構える状況。どこかで突撃を選択しなければ奥へと押し込まれてしまう。そんなことは直弥も分かっているのだろうが、まるで詰将棋を仕掛けられているかのように、上階層への階段からはどんどんと遠ざかっていた。
遊ばれている身で言うのもおかしいが、体力がヤバイからさっさとどうにかしてほしい。でも下手に口を出したら場が更に混乱するかもしれない。
さっき任せたんだ。俺はこのまま残骸種の攻撃を捌くことだけを考えていればいい。
——てかそうじゃないと死ぬ!
「スイッチ!」
動ける分の体力を維持するために志道と交代。無風のダンジョン内で、未来を暗示するような薄寒い風が吹いた気がした。
「グルアッ!」
コボルトが咆哮と共に姿勢を低くする。
あれじゃあ盾のせいで手元が見えないはず。受け切れるか?
警戒した志道が一歩下がると、残骸種から志道のとどこか似た飛び蹴りが繰り出される。
「クソがッ!!」
「スイッチ!」
横倒しにされた志道を庇う形で間に割り込む。
ちくしょう。ボーションを飲む暇すらないのかよ。
「二体!」
「そこから進む!」
やっと進路が決まった。だとしても状況は大して好転した訳ではない。体は重く腕も満足に上がらないし、最初にもらった腹と腕の流血も、動き続けているせいで止まらない。
いくらポーションといえど、所詮は回復速度を上げるだけのもの。このレベルになると流石に無理か。
「もうそろ限界!」
「いつでもいい!」
「俺ももう大丈夫だ! いつでも変われる!」
「一真は休んでろ! 悠人交代頼めるか!?」
「いつでも!」
一真が一人で動ける程度には回復したらしい。
よし、悠人も混ざればマシになる。この状況をひっくり返すには……。
酸欠なりに考えを巡らせようとしたその瞬間、剣線が走った。まるでギアが変わったかのような速攻は防ぐ間もなく身体を刻む。
「——ッ!!!」
考えたら死ぬって、分かってたのに。——ごめん、みんな。
力が抜ける。膝から崩れ落ちる間際に、一段と深い攻撃を喰らって視界が暗転した。




