空梅雨
「また漏ってる」
はあ、と溜息がついて出る。
引っ越してきて数か月は快適だった部屋だったのに、最近雨漏りがひどい。
最初は玄関すぐの廊下。朝起きたら床が濡れていてびっくりした。
水でもこぼしたかなと思っていたが次の日も水たまりができていて、天井を確認するとじわりとシミが広がっている。
「ええ、雨漏りかあ…」
大家さんに連絡を入れて修繕を依頼して、廊下の雨漏りは直った。
が、次はトイレ、また廊下と次々と雨漏りが発生する。
今朝起きるとキッチンが濡れていてげんなりした。
いくら梅雨時期とはいえ、こんなに雨漏りするものだろうか。
築年数もそこまでではない。老朽化というには早いと思う。
いろいろなところで起きるものだから、部屋自体が湿っぽい気がして気持ちが悪い。
それにまた大家さんに連絡か…と気が重くなった。
大家さん自体はとても気のいいおじさんだから、あまり文句は言いたくない。
しかし住むに支障をきたしては黙ってはいられない。
しょうがない、しょうがないと言い聞かせながらスマホで電話をかけた。
『もしもし』
「あ、おはようございます。飯島です。えっとですね」
『ひょっとして…またですか』
困ったような声色に心が痛む。
しょうがない、しょうがないと自分に言い聞かせた。
「そう、なんですよね。今度はキッチンが」
『うーん、困ったなあ…業者に頼んでるんですけどね、直したはずなのになあ』
後ほど伺います、という言葉にはい、と返して電話を切る。
溜息が出る。天井を見れば淡いシミが広がっていた。
「引っ越したいけどなあ…まだ3か月くらいしか経ってないし…」
お金が豊富にあればそうしただろうが、残念なことにそういうわけにもいかない。
三度目の溜息を落としてキッチンの床の水たまりを拭き取る。
そして雨水を受けるための洗面器を置いた。
応急処置をしてもらい、ひとまずキッチンの雨漏りは収まった。
『原因がいまいちわからないみたいで…申し訳ないのですが、少し改善まで時間がかかるかもしれません』
困り顔でいう大家さんに私も苦笑いを返して今に至る。
仕事帰りの疲れた体をベッドに沈めつつ、気が重いなと枕に顔をうずめる。
「廊下、トイレ、キッチン…もうほとんどの部屋は雨漏り済みか…」
無事な部屋はこの部屋だけか、と寝返りを打ち天井を見上げた。
「…え」
違和感を覚えてまじまじと天井を見つめると、ぽたりと頬に雫が落ちてきた。
「っやだ」
驚きと不快感で額を拭い、ベッドの際に逃げる。
この部屋まで雨漏り?もう嫌!
しょうがないと諦めていた気持ちが今は苛立ちへと変わっていた。
ベッドサイドのスマホを引っ掴み、大家さんの番号を押す。
夜遅くに申し訳ないなんて気持ちは今はかけらもなかった。
『もしもし』
「もしもし、飯島ですけど!寝室まで雨漏りするんです、いい加減になんとかしてください!」
『……』
「聞いてますか?!」
黙って何も返事をしない相手に苛立ち、思わず声を荒げる。
それでもしばらく沈黙し、大家さんは言いにくそうに言葉を発した。
『雨漏り、してないんですよ』
「…はあ?そんなわけないでしょう?今までだって直しに来たじゃないですか!」
『…飯島さんがそういうから、何度も業者を頼みましたけどね…どう見ても雨漏りなんてしてないし、天井にシミなんてないんです』
「…そんなわけ」
『業者をいくつか変えてみましたし、私も実際見ましたけど…飯島さんが言うように雨漏りなんてしていないです。でもあなたがいつもそう言って連絡をしてくるから、修繕したフリをしていただけです』
「……」
そんなわけない、だって今だって私に水が滴ってきたのに。
『よく思い出してください、飯島さん。
今年は空梅雨で雨なんかしばらく降ってないんですよ』
「……」
じゃあ、私が今まで見てきたものは?
あの水は、なんだったっていうの。
ぽたり、ぽたりと私の頭上に水が滴る。
天井を見上げると、濃くて大きなシミが一面に広がっていた。
夏のホラー2025応募作。