シノン城にて──結婚式の夜のお話【彼女が帝国最強の闇術士と結ばれた理由・番外編】
帝都での内輪の人間たちだけを集めたささやかな結婚式の後、コールとクアナは、ドラゴンを使って空路、シノンの領地へ向かい、シノン辺境伯のために新たに建造された城で、領民たちや、エンティナスの親族を集めた盛大な披露宴が催された。
その夜、クアナは披露宴の疲れもあって、疲労と緊張でどうにかなりそうな精神状態だった。
シノン公の居城は、贅沢ではないがシンプルで品の良い城だった。皇帝陛下が、溺愛するコールのために造らせたのだろう。コールの弟であり、次期エンティナス公ノエルのここ数年の尽力により、シノンの領地からも、ある程度の税収が上がるようにはなっていたが、これほどの城を造れるだけの財力があったとは思えない。
使用人たちも、コールをよく知るエンティナスの使用人から引き抜かれた者と、新たに雇われた者たちが混在していたが、みな感じのいい者たちだった。
「つ、疲れた……」
クアナは取りあえず、寝室で真新しいベッドに倒れ込んでいた。
新郎であるコールは、地元の有力者たちや親族たちに掴まって、まだまだ解放してもらえないようだったので、疲れきっていたクアナは、一人でプライベート空間へ引き上げてきたのだ。
「冷たいですわね、コール閣下は。新妻がお待ちだと言うのに……!」
「に、にいづま……」
クアナは赤面する。
コールがここに居ないことが、寂しいような、ホッとするような、期待と不安がない交ぜになっているクアナだった。
「それにしても、坊っちゃんのことを、まさか『閣下』とお呼びする日が来るなんてねえ、本当に、感慨深いことですわ」
クアナ専属の侍女として付けられた中年の女性――エミリアは、コールのことを良く知っているようだった。
「坊っちゃんが帝都に行ってしまわれた時は、坊っちゃんが騎士になり、貴族の爵位を継がれることは、もうないものと誰もが思っていましたから……」
エミリアは本当に嬉しそうだった。
コールは、あんな性格だけど、やはり地元では慕われているのだ。
クアナも、大好きなコールが、そんな風に言ってもらえることが、なんだか途轍もなく嬉しかった。
「それに、まさかこんなに可愛らしい奥さままで掴まえて来られるとは……!」
そして、はっとして付け加える。
「申し訳ございません、話し込んでしまって、お疲れでしょう?ひとまず湯浴みをされますか……?」
「ゆ、ゆ、ゆ、湯浴み……っ?」
クアナは卒倒しそうになる。
「い、いや、もう少し、コールの話を、聞かせてくれないか?私は、彼について何も知らないから……。ゆ、湯浴みはそれからでいい」
エミリアはそんな若奥様を温かく見守りながら頷いた。
「かしこまりました。では、せめてお召し物を、もう少し楽なものにお召し変えしながら、お話することにしましょうか、奥さま」
クアナは『奥さま』と繰り返される度に胸がどきどきした。
「それにしても、素敵なドレスですわね、純白の花嫁ですわね……」
「あ、ありがとう」
クアナは身体が小さいので、銀の刺繍のウエストマークが付いた、ストンとしたシンプルなエンパイヤドレスだった。ナチュラルな雰囲気で、コールは「小人か妖精だな」と評していた。
「いい香り、『スイカズラ』ですね、花言葉は『愛の絆』ですね。ロマンチックです」
エミリアがクアナの高く結っていた髪を下ろし、櫛けずってくれた。今日もクアナは、帝都でコールと一緒に買ったお揃いの香水をつけていた。
金の髪は、肩を越している。結婚式に向けて長く伸ばしていたのだ。
「お二人は、愛し合ってらっしゃるのですね」
エミリアは、相変わらずの優しい微笑みで、嬉しそうに言う。
「うん……。私は、コールのことが大好きだ」
これだけは、胸を張って言えることだった。
誰がなんと言おうとも、コールのことが大好きだ。
エミリアは目を潤ませていた。
「本当に、自分のことのように嬉しゅうございますよ。まさか、あのコール様が、こんなに可愛らしい奥さまと、これだけの領地の主となられる日がくるなんてねえ……どこまでも不遇なお方でしたから、幸せになって頂きたかったのですよ本当に……」
「コールの子どもの頃のこと、聞かせてくれないか?」
「ええ、もちろん、かまいませんとも。それはそれは、可愛らしい坊っちゃんでしたよ。肌は白くて、黒髪がよく映えてね、とにかく、身体が弱くて、いつもいつも熱を出されてました。熱に浮かされて上気されたお顔がまたなんともお美しく……おっと、若奥さまを前に少し言葉が過ぎましたかね……?」
くすくす……。クアナは思わず微笑んでいた。
色んな人から聞くけど、やっぱり何度聞いても信じられない。
クアナはこの一連のエピソードが大好きだった。
あの冷酷無比で、唯我独尊なコールが、病弱で可愛らしい貴公子さまだったなんて。
「ち、ちょっと待ってくれ……これを着るのか!?」
エミリアが用意したネグリジェを見て、クアナは悲鳴を上げた。
「あら、シノン城の使用人達があーだこーだ言いながら必死でデザインさせた逸品ですわよ」
袖の長いネグリジェで、フリルやレースがふんだんに使われており、まるでお人形の洋服みたいだ。
「はーーーーー、これは、溜まりません。完全に、悩殺ですわね」
ネグリジェに袖を通して、妖精から、完全にお人形になってしまったクアナを見て、エミリアは盛大に溜め息をついた。
「なんて可愛らしい奥さまでしょう……!!!」
「うん、あの、いいんだけどね、その、『色気』とか、そう言うものは、皆無なのでは……?」
クアナは鏡に映った幼児体型のお人形を見て、思わず突っ込む。
「いいんです!あなた様のイメージには、この上なくぴったりです」
エミリアは自信満々だった。
ほんとかな……。
そもそも、今夜コールは本当にここに現れるつもりなのかな……?
コールのことだ。このままばっくれようと思っているのでは……?
クアナがそんな風に、疑心暗鬼になっていた時だった。
物凄い勢いで寝室の扉が開いた。
「くそ……っ。いったいいつまで詰まらん話に付き合わされないといけないんだ……!ったく、こっちはクアナを待たせていると言うのに……っ!」
クアナは吹き出すとともに、ほっとする。
シノン公になっても、やっぱりコールは変わらない。
黒髪を振り乱していたコールが静止する。
そして、ぎょっとしたような顔をしてクアナの全身を鋭い眼光で眺めていた。
や、やっぱりマズイよ、エミリアさん。
幻滅されてるよ……こんな、少女趣味な幼女みたいなネグリジェは……。
「貴様ら……っ!俺を殺す気かぁーーーーーー!!!!」
コールの叫び声がシノン城に響いた。
お、怒ってる、怒ってるよ、やっぱり……!
コールは無言でクアナを横抱きにした。
「キャっ……」
エミリアは赤面して顔を手で覆う。
「取りあえず、入浴するか」
「え、……一緒に?このまま……?」
「何か問題でもあるのか?」
「い、いえ、ないですけど……」
正式に夫婦になったら、なんだか人が変わってしまったみたいですこの人。
そしてお姫様抱っこですか……。
クアナは、そう言えば数年前にもこんな風に問答無用で抱きかかえられて、寝室へ連れていかれたことがあったな……と、ランサーへ来たばかりの頃のことを懐かしく思い出すのだった。