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日常煽動劇場  作者: 野神 真琴
由紀夫編 「第二章 アラカザム」
23/34

モーセ


 食堂は歓声で満ちている。見ている分では気持ちのいい一発だったのだろう。他人の痛みを想像できない人は残酷だ。


 腹を押さえて顔を歪める僕に対して、先輩はファイティングポーズをとったまま、右のストレートを空撃ちした。空をきる「びゅう」という擬音が聞こえそうなくらい早いパンチは、さっきくらったのが左で運が良かったと証明している。最初から右を喰らっていたら、僕は簡単にのされてしまっていた筈だ。


「今のはジャブだ」


「今のがですか」僕は痛む腹を押さえながら言った。「先輩って左利きですよね?」


「字を書くのは左だが、力があるのは右だ。要するに、自分のマラをしごくときは右で、プッシーを触るときは左だな」


 僕の頓珍漢な質問に対して、先輩は律儀に答えてくれた。初めて会話が成り立った気がする。言葉が理解できない位の馬鹿だと思っていたがそうでもないらしい。おまけに先輩は右と左の違いが解るくらい賢いときた。もう僕に勝ち目はない。右も左も解らない動物と同等の知性しか持ち合わせていないと期待したのだが、どうやら先輩も人間らしい。先輩の右ストレートをまともに食らえば、きっと僕の顎なんて簡単に砕けてしまうだろう。


「誰か」僕は喋れる内に周りの野次馬に呼びかけた。「僕を助けて下さい。それか、先生を呼んでくれませんか?」


 名前も知らない男子生徒の一人が、僕に「情けない事を言うな」と怒鳴った。それに賛同した他の生徒達が、僕に対して野次を飛ばす。男なら戦えだとか、もっとやれだとか、まだ血も出てないぞとか、どっちかが死ぬまで続けろとか等といった無責任な声も聞こえる。


 もともな感性を持った人が一人でもいるなら、早く先輩を止めるべきだ。もう既に先生を呼ぶ所の騒ぎではない。警察を呼んでくれ。自衛隊でも構わない。警視総監でも統合幕僚長でもいいから、一人の善良な男子生徒を救って欲しいと伝えるべきだ。


「行くぞ」

「待って下さい」


 顔だけは守ろうと腕でガードしたが、先輩が距離を詰めたのが怖くて目を瞑ってしまった。腹に二発の衝撃と野次馬の大歓声が僕の体を苛む。衝撃は外側から内側にかけて痛みだし、耳を擘く有象無象の声がアドレナリンを抽出させる。


 僕は目を開けて先輩を見た。彼は未だに交戦的な態度を見せており、弱者を痛ぶって悦に浸っている。痛む腹が立ってきた。下らない野次が、僕の開いていた掌を握らせる。やらなければやられるし、やられるくらいならやるべきだ。


 僕が両手を目前に構えると、先輩は「こいよ」と言ってニヒルに笑う。普通にやっても勝てないと冷静な自分が注意しているが、それならば普通にやらなければいいだけだ。必然的に狙う箇所は下半身に限られてくる。倒す気で拳を振るう人間が、殺す気で戦う人間に勝てる訳がない。勿論、僕は後者の方だ。


「負けるなぁ、一年」

「手加減してやれよぉ」

「いけいけぇ」

「俺は一年に賭けるぞぉ」


 遅らせながらもファイティングポーズをとったので、僕に対しても肯定的な野次が飛んでくる。この当事者意識の薄れた馬鹿共も笑えない状況にしてやる。火を見ても明らかにならないのなら、血を見せて解らせてやるしかない。火事に巻き込まれれば火傷では済まないと教えてやるのだ。


 先輩は肩を揺らしながら近付いてきて、拳の射程圏内を測っている。僕は的確に急所を狙えるようにイメージしてみたが、僕の攻撃よりも先に先輩の拳がヒットしそうな気がした。こうなれば捨て身のタックルをするしかない。突っ込んで先輩の両足を掴んで上げれば、流石にバランスを失って倒れる筈だ。僕も倒れる事になるだろうが、後ろに転ける訳ではないので、思い切り体重をかけてやればいい。


 先輩がさらに距離を詰めてきたので、僕は少し屈んで猪のように突進した。予想では先輩は後ろに倒れて、後頭部を何かしらの硬いものにぶつけて、痛がっている所をタコ殴りできる筈だった。そんな妄想に近い予想は外れて、先輩は少しだけ体勢を崩すくらいで、後ろに倒れる事はなかった。僕は先輩の股間あたりに頭をつけて、彼の片足を抱え込むように掴んだが、それでも倒す事は出来ない。


 背中を何度か殴られていると、鈍い音と共に先輩の腰から急に力が抜けた。僕はその機を逃さずに先輩を押し倒した。倒れた先輩は頭を押さえており、近くには消火器を持った荒井がいた。どうやら僕が先輩を力で押し倒した訳ではないらしい。


 誰かが「おいっ」と怒鳴ったが、荒井は既に消火器を天井に掲げており、倒れている先輩の頭目掛けて餅つきのように振り下ろした。消火器と頭蓋骨がぶつかる鈍い音を聞いて、僕までもが顔を引き攣らせてしまう。


 直ぐに先輩の友達の一人がこちらに来たが、荒井はそいつに対してはバッドのように消火器を振った。男に当たる事はなく消火器は空を切ったが、荒井が容赦をしない人間だという事は誰もが感じただろう。誰も荒井には迂闊に近づけない。


 先輩はへたり込みながら頭を押さえて荒井を睨んだ。鮮血が伝って顎の先まで垂れているが、荒井はお構いなしに消火器を再び構えた。そんな荒井を見て先輩は手で頭を覆って小さく蹲る。


 周りの野次馬達は言葉を失っており、先輩の友達が何人かこちらにやってきた。一人は先輩の元に駆けつけていき、二人が荒井の元へ向かっていく。僕は足元に事がっていた丸椅子を手に取り、荒井の元へ向かう奴らの頭を目掛けて叩きつけた。


 確かな手応えと「いてぇ」という声を聞き、自分のしている事の重大さを感じる。それでも僕は二撃目を繰り出したが回避された。不意打ちでなければ頭を狙うのは難しいだろう。


「何しやがんだ」

「殺すきか?」


 荒井の元へ向かおうとしていた二人はそう言って立ち止まった。荒井さえ逃げる時間を稼げばそれでいいと思い、先輩達と荒井の間に入って丸椅子を構えて牽制した。僕の後ろには荒井がいる。荒井を怪我させる訳にはいかない。


「待て。まさか本気じゃないだろうな?」

「落ち着け」


 二人の先輩が僕に恐れているのかと思ったが、後ろを振り返ると荒井が消火器のホースを構えていた。その位置からだと最初に被害が出るのは僕のような気もするが、荒井は楽しそうに微笑みながらホースの先を向けている。


 荒井は「本気に決まっているじゃない」と言った。彼女ならやりかねないと野次馬も含めて皆が思っただろう。僕だって思った。荒井なら平然と消火器のレバーを握るだろう。荒井が出す狂気の前では、僕の怒りや偽りの殺意なんて簡単に四散してしまうのだ。


「解ったから。ホースをこっちに向けないでくれ」

「もう何もしないから」


 先輩二人の言葉に僕も賛同した。これ以上の被害は出さなくてもいい筈だ。もう僕には誰が敵で誰が味方かわからなくなりつつある。確実に敵だった奴は頭から血を流して、友人に簡易な手当をしてもらっているので、これ以上何かをしようとは思わないし、確実に味方である筈の奴は食堂に居る人全員を巻き込んでとんでもない事をしそうだ。僕は敵の味方にもなれるし、味方の敵にもなれそうだ。


「やだ」


 荒井はそう言って肩から力を入れるようにレバーを握った。僕を含めた先輩達は「おい」と反射的に言ったが、幸いにもホースの先からは何も出なかった。目一杯力を入れて握っているようだが、どうやら安全ピンが刺さったままらしい。


「ああ、これか」荒井はそう言って消火器に付いている黄色いピンを抜いた。銀色のシールで封をされているのにも構わず、一歳の迷いなく封を破ってピンを抜くと、先輩達は我先にと逃げ出して、僕は荒井が握るレバーに手をやった。


 間一髪でレバーの隙間に僕が手を挟めたので、荒井は握り込む事が出来ずにいた。レバーに挟まれた手の痛みは、荒井が本気で消火器を噴射させようとした証拠だ。僕は「逃げよう」と言って、さりげなく荒井から消火器を奪い取った。


 賢い奴らは既に逃げているが、未だに僕達を囲む円を作っている馬鹿な野次馬達もいる。僕はそいつらに消火器を向けて牽制する。流石の馬鹿でも噴出口を向けられれば理解できたらしく、細くはあるが綺麗に道が開けた。僕はモーセに成った気分を味わいながら、荒井の手を引いて人波が割れて出来た道を走り抜けていく。


真琴です☺︎


同時に他の作品も書いているので、こんがらがってきます……

こんがらがって、こんがらがん★

こんがらがる、っていい言葉ですね!!


こんがらる? こんがらがらる?

あれ? こんがるがらってきました……

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