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日常煽動劇場  作者: 野神 真琴
由紀夫編 「第二章 アラカザム」
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人壁コロッセオ


 嫌な予感がするので早く食べ終えてどこかへ行きたかったが、それを荒井に伝えるのは情けなく感じたので、個人的に箸を進める速度を上げた。その間も三年生達がこちらを見ては、何かしらを小言で話している。


 三年生達はじゃんけんをしてから、負けた一人がこちらに向かってきた。どうやら僕の嫌な予感は的中したらしい。


こちらに来た三年生はシャツのボタンを四つも開けており、水を溜めることが出来そうな鎖骨と、真っ黒のインナーシャツを見せている。捲られた長袖から覗く腕は運動部のそれで、手首には品のないブレスレットが巻かれている。


「君、一年生?」先輩は僕が居ないかのように荒井に話しかける。「とっても可愛い顔をしているけど、彼氏とかっている?」


 男は胡散臭い笑みを見せた。女性に慣れた雰囲気を感じさせる男に対して、僕は素直に感心してしまった。この高校ではナンパの仕方でも教えてくれるのだろうか? それとも、三年生にでなれば自然に身に付く技巧なのだろうか?


「あれ?」無視をする荒井に先輩は続ける。「もしかして、俺の声が聞こえていない感じ?」


 僕はどうすればいいのかを考える。荒井を助けるべきなのかもしれないが、ナンパ男を撃退する方法を習っていない。口を挟むべきなのか、荒井に任せておくべきなのか解らないが、とりあえず僕は「あの……」と先輩に話しかけた。


「いや、お前に要はないから」


 先輩は僕の言葉を遮るように返した。高圧的な言葉尻からは暴力の臭いを感じる。僕は喧嘩の方法も習っていないので怯んでしまったが、荒井は「こっちも、あんたに要はないから」と返した。


「最近の一年生は活きがいいね。俺、三年生だけど?」

「そうは見えないけど?」


 先輩は敬語を使えと遠回しに言っているのだろうが、先生にも敬語を使えない荒井が、たった二年多く生きただけの男に敬語を使える訳ない。毅然と返す荒井に狼狽しつつも、先輩は「名前は何て言うの?」と何事もなかったかのように尋ねた。


「まだ続けるつもり?」

「続けるって何を?」

「この下らない会話」


 僕の心臓が激しく血を巡らせる。流石に先輩も女性には手を出さないだろうし、最悪何かが起きても食堂には人が多いので、誰かしらが上手い具合に仲裁してくれるだろう。残念ながら僕には物理的な盾になることくらいしか出来ない。


「機嫌が悪いけど生理中か?」


 荒井は先輩を無視して唐揚げ丼を食べ始めた。無視された先輩の友達達は、こちらを見て笑っており、ナンパが失敗したのを喜んでいる。僕も少ししか残っていない蕎麦を食べて、早くこの場を去ろうと考えた。


「無視するなよブス」と先輩は言った。「お前みたいなブスがイキってんじゃねぇよ。勘違いするなブス」


 荒井は急に立ち上がって丼鉢を手に持ち、僕に「廊下で待っているわ」と言い残して、返却口と書かれた箇所に向かって行った。荒井は途中でこちらを振り返り、先輩達に中指を立てて、まだ少し残っている丼鉢を返して食堂から出て行った。


 先輩の友達達は大仰に笑っており、笑われている先輩は顔を真っ赤にしている。恥ずかしさと怒りで顔を赤くしているようだ。残った蕎麦を急いで食べ切って、荒井の側に戻ろうとする僕に、先輩は突然「おい」と力強く言ってきた。


 僕の両肩は自分の意思を無視して上へ飛び跳ねたが、出来るだけ平然を装って「何ですか?」と返事をした。


「笑ったなお前?」

「笑っていないです」

「舐めてんのか?」

「舐めていないです」

「次にふざけた態度を取ったら、まじで容赦しないぞ」


 僕は笑ってもいないし舐めてもいない。勿論ふざけてもいない。荒井と同じように相手にしないのが一番だろうと考えていると、先輩は「無視するつもりか?」と険のある声で言って、僕の両肩を力強く突き飛ばした。背もたれのない丸椅子は不安定で、僕は勢いを受け止めきれず後ろに倒れた。


 先輩とその友達達は大笑いして僕を物理的にも精神的にも見下げる。先輩は「かかってこいよ」と言って、転げて尻餅をついている僕の前に来た。どうやら荒井から受けた侮辱や恥ずかしさを誤魔化すために、無害で弱い僕を利用しようとしているらしい。威厳を取り戻す為の示威行為であり、先輩なりの自分を慰める自慰行為である。僕は先輩のオカズにされているらしい。


 先輩やその友達だけでなく、周りにいる関係のない学生達もこちらに注目し出して、円を囲むように集まってきた。男子生徒達は「いいぞぉ」だとか言って、喧嘩をエンターテイメントに昇華させる。


「いけぇえええ」

「負けるなぁ、一年」

「ぶち殺してやれぇ」

「うぉおおお」

「立て、立て、立て」


 誰一人喧嘩を止めようとするものはいないらしく、野次馬の怒号が昼休みを盛り上げる。まともなのは僕だけかもしれない。先輩はファイティングポーズをとって、僕に「早くこいよ」と言って格好をつける。


 戦う気がない人間に戦いを仕掛けて、自分よりも弱い人間を倒そうとする奴の思考が理解できない。嗜虐的な性格のせいなのか、虚栄心を満たす為なのか、もっと他の理由があるのか、僕には全く理解できそうにない。きっと考えるだけ無駄なのだろう。


「あの」僕はそう言いながら立ち上がった。「謝るのでやめてもらえないですか?」


 野次馬共が「ふざけんじゃねぇ」とか「びびってんのか」だとか言って、僕の退路を防ごうとしている。この学校は野蛮過ぎる。対岸の火事を見て盛り上がるどころか、油を投げつけてくるような奴らしかいない。


 先輩は両腕を上に構えながら僕の元へ近づいてきたが、舌戦ならまだしも物理的な戦い方なんて僕は知らない。僕は腕を伸ばして両掌を向け、先輩に「やめてください」と言いながら、退路を求めて周りに目を向けた。既に有象無象が僕と先輩を取り囲んでコロッセオを作り上げている。


「何故やめなければならない」

「一度、落ち着いて話をしましょう」

「だめだ」

「先生に言いますよ」


 周りの野次馬を含めて大爆笑が起きた。気の利いたジョークを言ったつもりはないので、僕は笑わせたのではなく笑われているのだ。僕の脅しにも似た台詞を聞いて、先輩は「ダセェこと言うな」と言った。


「きっと、暴力事件なんて起こしたら停学になりますよ」

「一年に良いことを教えてやる。この学校でセンコーは個人間の喧嘩に不介入だ。喧嘩くらいで停学になるなら、この学校の男子生徒は全員いなくなるからな」

「冗談はやめて下さい」


 僕は獣と対峙した時のように、相手の目を見ながらゆっくりと後ずさったが、誰かに背中を押されて元の位置に戻された。人波で作られたコロッセオは頑丈で、僕の逃亡を許さない。


「冗談かどうか試してみよう」

「殴ったら本当に先生に言いますよ」

「センコーにでもママにでも言え」


 暴力が格好良いと本気で思っている人種は一定数おり、可視化出来る強さを誇ろうとする男は多い。僕には暴力の格好良さが解らないし、むしろ暴力こそがダサいものだと捉えているが、一般的な高校生男児からすればこちらが異端だろう。殴る奴よりも殴られる奴の方が格好いい筈だが、大概の男は殴る方が格好いいと勘違いしている。


「じゃあ、行くぞ」


 先輩は右のストレートを打つと見せかけて、僕のボディに左のブローをきめた。反射的に顔を防いだせいで、ガラ空きになった腹は格好の的になったのだ。息が止まるくらいの打撃を受けて、一瞬で彼には勝てないと悟った。


 もしかすると僕はここで殺されるのかもしれない。常識的に考えればこんな喧嘩が殺人に発展する訳ないだろうが、ここでは常識的にも道徳的にも物事を考えられる人間なんていないのだ。


野神です☺︎


アメジストふんずける休日☆

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