一口にいっても
昼休みの半分くらいを費やして見つけた食堂は、想像していたよりも広くて汚かった。食堂全体は体育館の半分くらいの大きさで、傷だらけの細長いテーブルが十個以上の島を作っており、周りには背もたれのない丸い椅子が雑多に並べられている。四隅には大きすぎるゴミ箱があり、入り口近くにはジュースの自販機が三台設置されていた。
「凄いな」と僕は呟いたが、恐らくは荒井の耳に届かなかっただろう。怒号に近い騒音が食堂を埋め尽くしており、間違いなく学校で一番うるさい場所はここなのだろうと確信した。ただ単に昼食を食べている奴だけではなく、テーブルや椅子に乗って騒いでいる奴も居れば、賭場のようにトランプに興じている奴もいる。
姦しい女子生徒の声や、雄々しい男子生徒の声に負けないように、荒井は「ここを食堂と形容するのは無理があるわね」と言った。
「動物園だ」
「動物園の方が静かで綺麗よ」
二つ設置された券売機には誰も並んでいない。昼休みも後半に差し掛かっているので、今から何かを買おうとする人は居ないのだろう。僕と荒井は券売機の前に立ち、何を買うか考えた。メニューは基本的に丼鉢に入る物で形成されているらしく、他には麺類と大皿に載せられるものしかない。どうやら定食やセットみたいなのは無いらしく、全体的に野菜と魚が不足しているように思えた。
「安すぎて怖いな」
「学食ってそういうものじゃない?」
「それにしても安すぎる気がする。何か変な物でも入っているんじゃないか?」
荒井は微笑みながら「安い事に対しても文句を言うなんて、由紀夫らしいわね」と言った。その台詞にも文句を言いたくなったが、それをすれば荒井の思う壺な気がしたので堪えた。
「由紀夫は何にするの?」
二百円のラーメンと三百円のカレーは安すぎて具が少なそうだし、四百円の麻婆丼やカツ丼は既に売り切れている。四百五十円のビビンバはシンプルに不味そうだし、ガパオライスとやらは何者かも判然としない。
「ねぇ、聞こえている?」
僕は荒井の言葉を無視して長考する。迷ったときは味の振り幅が少ないものを選ぶべきだ。上手くても不味くても高がしれている、良くも悪くも安定している食べ物。想像するのが簡単な味といえば、やはり蕎麦にでもするべきだろう。普通の蕎麦で三百五十円、天ぷらとかき揚げが乗っているやつで四百円なら、後者を選ぶ方が賢い判断だ。
「僕は蕎麦の気分だ。荒井は何にするつもりだ?」
「私は」荒井は券売機の並んだボタンを辿るように指を動かす。「ドーナツが食べた気分だけど、そんなのは無さそうだし、この大人気って書かれている唐揚げ丼かミートソースパスタね」
「唐揚げ丼ってなんだ?」
「知らないわよ」
ゲーセンのメダルは使えませんと注意書きが貼られた箇所に、僕は手にしていた小銭を突っ込んで食券を購入すると、荒井も急いで財布を取り出した。荒井の財布は一般的な財布の半分くらいの大きさで、真っ黒の皮に銀色のロゴが輝いている。土星のようなロゴに見覚えはあるが、ブランドの名前は思い出す事は出来なさそうだ。クリントイーストウッドみたいな名前だったとは思う。
「どっちにするんだ」
荒井は三つ折りになっている財布から千円札を取り出した。覗くつもりはなかったのだが、普通よりも札束が多く入っている気がした。どうやら荒井はお金持ちらしい。
荒井はボタンを二つ同時に押して、出てきた食券を僕に見せて「こっち」と言った。食券には唐揚げ丼と印字されている。
「いいじゃないか」
「そうね」
荒井と一緒に受け渡し口へ行くと、愛想の悪いおばさんに食券を奪うように取られて、驚くほど直ぐに蕎麦を提供された。お盆なんて気の利いた物もなく、箸を突っ込まれた丼鉢をそのまま渡されたので、荒井と僕は少しだけ困惑しつつも、とりあえず丼鉢を受け取った。提供や供給というよりは配給という言葉がしっくりくる感じだ。
「食堂のおばちゃんのイメージが一新されたわ」
「僕だってそうさ。食堂のババアって感じだな」
僕と荒井は丼鉢を片手で持ちながら、頭だけを動かして座れる席を探した。昼休みが終わりそうなのに飯を食べている奴なんていないが、食べ終わっている癖に退かない奴が多く、どの席もいい感じに空いていない。
「あそこにしましょう」
荒井は中央の空いている席へ向かって歩き出した。僕だってそこの空席には気付いていたが、その近くには一際声が大きい奴らが居たので、出来れば避けたい場所だが他に空いている場所もなさそうだ。
僕はようやく席につけて安心した。はしゃぐ人に何度かぶつかりそうになったし、熱い丼鉢を持つ手は火傷しそうだった。僕はたまたま運が良く何事もなかったが、こんな場所で熱い汁物を運ぶなんて自殺行為だ。
「いただきましょう」
「そうだな」
僕の対面で荒井は「いただきます」と小さく言った。 姿勢よく食べる荒井を見ながら、僕は蕎麦を啜り始める。そういえば「いただきます」と言っていないが、気付いた時には一口目を咀嚼していた。荒井は背もたれのない椅子でも背筋を真っ直ぐにして食べているが、僕の背中は丸まっていて貧乏臭い。自分の育ちが悪いのだと実感せざるを得ない。いや、育ちは荒井とそこまで変わらないだろうから、認めたくはないが悪いのは僕の頭だろう。
「どうだ?」と僕は尋ねてみた。
「美味しいわよ。いかにも馬鹿が好みそうな味って感じで」
「それは褒めているのか?」
「米には鰻のタレみたいなのが掛かっていて、唐揚げにはマヨネーズが掛かっているわ」
「美味しそうだな」
「由紀夫も一口食べてみる?」
荒井は悪戯な顔を浮かべながら言った。冗談なのか本気なのか解らないが、本当にふざけた試し行為だ。食べるのも間違っていて食べないのも間違っている。小悪魔が出した問題を証明するのは難しく、僕の頭では悪魔の回答しか思いつかない。
荒井は前にも水筒のコップを僕に渡したことがあった。そういった事に抵抗がないのか、僕が過剰に反応してしまうだけなのかは判然としない。自分が食べている物を異性の他人に共有するのは普通なのだろうか? 家族や恋人ならするかもしれないが、友達ならどうなのだろうか? 同性の友達なら、異性の友達なら、同性の他人なら、異性の他人なら、好きな人なら、嫌いな人なら、イケメンなら、美女なら、どこまでが食べ物を共有して普通の人間なのだろうか?
「いいのか?」
「いいわよ」
「いや」僕は考えを改める。「やっぱし貰わない事にする。今度、自分で頼む時の楽しみにするよ」
正直に言えば食べたかった。唐揚げ丼の味が気になった訳ではなく、荒井と同じ物が食べたかったのだ。もっと正確に言うならば、荒井が食べた物を口にしたかった。有り体に言えば、荒井の食い止しを咀嚼したかった。なんなら荒井自身を食べたい。これが僕の出した悪魔の回答だ。
「楽しみにするくらい期待する物じゃないわよ」
「僕好みの味なんだろ?」
荒井は微笑みながら「そうね」と返して、再び唐揚げ丼を食べ始めた。彼女が使った箸が欲しい。彼女が使った丼鉢が欲しい。彼女が、彼女が、僕は荒井の味を知りたい。間接的でも構わない。そういった邪で異常な感情が僕を素直にさせない。
「そっちはどう?」
「まあ、悪くない」
市販の麺つゆを薄めたような汁、歯がなくても食べられそうな腰のない蕎麦、尻尾だけが立派な海老、彩が少し足りていない気がするかき揚げ、いい意味で親近感を抱く事が出来る食べ物だ。僕は蕎麦で最悪を経験したことなんて一度もない。
「それは褒めているの?」
「食べてみるか?」
荒井は僕とは違って迷う素振りも見せず「いらない」と直ぐに答えた。僕が口を付けた物を否定しているようで少しだけ傷付いた。荒井は僕が箸を付けた物は食べられないのだろう。もしかすると、僕が思春期特有の自意識を拗らせているだけかもしれない。
「たまには食堂で食べるのも悪くないかもな」
「そうね」
「今頃、ソクラテス先生は何しているだろう?」
「きっと、一人で何か食べているわよ」
「僕達を待っていないといいけどな」
「約束していた訳じゃないし、わざわざ待っていないでしょ」
「それもそうだな」
僕と荒井が適当な事を話しながら食べていると、近くに居る男子生徒達がこちらを見ているのに気が付いた。さっきまで一際煩かったグループだ。五人組の男達は上靴の色から察するに三年生で、中学を上がりたての初々しさはなく、選挙権を持っていそうな大人達だ。
のがみ誠です☺︎
このペースでいけば、一日のPVとやらが一桁になりそうですね……
まぁ、いっかぁ★




