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日常煽動劇場  作者: 野神 真琴
由紀夫編 「第二章 アラカザム」
18/34

異常を日常にする難しさ


 来る者を拒んでいるかのような建て付けの悪い扉を開けると、いつも通りの教室が広がっている。声色という奴も絵の具と同じようなもので、色々と混ざれば最終的には黒くなってしまう。有象無象のクラスメイトが放つ声は朝から賑やかで不快だ。


 誰からも朝の挨拶をされずに自席までたどり着くと、隣の席には見知った女子生徒が座っている。件の女子は友達でもなければ恋人でもなく、知り合いと形容するのが妥当な間柄だ。そんな関係性の浅い彼女の事を、僕は憎からず思っている。この気持ちを愛と呼ぶには未熟だが、恋と呼ぶには相応しいのではないかと自分では思っている。僕はまだまだ未熟なので、この感情が愛だと言い切る事は出来ないが、愛よりも恋の方が厄介なのではないかと時々思ってしまう。僕は自分に自信がないのだ。自分の抱いている感情にでさえ懐疑的で自信がない。


こうして荒井が机に顔を突っ伏して寝ている姿にも見慣れたものだ。僕は鞄を机に置いて自分の席に座り、荒井に何かしら話しかけようかと逡巡したが、寝ているのを起こすのはよくないだろうと思い留まり、いつものように鞄から文庫本を取り出して読み始めた。


「おはよう」


 朝の会が始まる前に荒井は起きた。僕を見て挨拶しているのだと確信を得てから、文庫本を閉じて「おはよう」と返事した。荒井の顔は相変わらず美しく、欠伸する姿にだって品性を感じさせる。


「君が僕よりも先に学校へ来ているなんて初めてだ」

「寝ないで来たのよ」

「どうして?」


 荒井は僕の方を見やりながら首を傾げる。綺麗な一対の目で相手を覗き込みながら、首を少しだけ傾げるのが彼女の癖だ。その度に細い髪が揺れて、僕の心も同じように揺さぶられる。


「いや」僕は荒井に気圧されて再び口を開いた。「君が寝ないで来るほど学校が好きだとは知らなかったから」


「担任とソクラテスに言われたのよ」

「何て?」

「これ以上、無断で遅刻や欠席をすれば留年になるかもしれないって。あと、授業態度がどうのだとか、そういうのも直さないと駄目だってね。担任は私を病気扱いするのが難しいみたいだけど、ソクラテスが色々と説得をしたらしいわ。それに、ソクラテスは担任だけじゃなくて、ママにも直接会いにいって何か言ったらしいわ」

「何かって?」

「私が高校を無事に卒業できるように、ソクラテスが何かしら取り計らうから、せめて無断での遅刻や欠席は辞めてほしいとかね。担任やママにわざわざ言うなんて、ソクラテスも変な人だわ」

「それで、最近は毎日遅刻もせずに来ているのか」

「そう」

「言われてみれば、担任も最近は荒井に煩くないな」

「まともじゃない時の私は配慮されるべき対象なんですって」


 物憂げに語る荒井に対して、僕は「まともじゃないって?」と質問した。僕の声が自分の耳で聞こえた瞬間に、碌でもない質問をしたのだと気が付いた。頭を使わずに口を開いたせいだ。


「言葉のまま」

「そっか」


「まぁ」荒井は眠たそうに頬杖をついた。「留年になったらなったで学校を辞めるだけだけど、学校を辞めたら辞めたで何をすればいいのかも判らないからね。とりあえずは出来る限り学校へ来るつもりよ」


「ソクラテス先生はどうして荒井に対して、そんなに良くしてくれるのだろう?」

「さぁね」

「きっと、荒井が可愛いから気に入られているんだろうな」


少しだけ沈黙を作る荒井と目を合わせていると、背中の溝から汗が噴き出るのを感じた。練習していた夏も本番を迎えており、エアコンが効いている教室内でも、僕の熱を冷ます事は出来ないらしい。


 荒井は口を尖らせながら「ソクラテスはゲイよ」と言った。彼女がどうしてそんな勘違いをしているのか判然としないが、前にもそういった類の事を言っていた気がする。


「ソクラテス先生を馬鹿にしているのか?」


「まさか」荒井は平然と言った。「そんな考えになるなんて、ゲイを馬鹿だと思っているのはそっちなんじゃない?」


「ソクラテス先生がゲイだとは思えないけどな」

「別に私はソクラテスを馬鹿だとは思っていないし差別もしていない。でも、ゲイなのは事実よ。次に会った時、彼に聞いてみれば良いわ」

「まぁ、あの先生がゲイだろうとレズだろうと、僕にとっては関係ないさ」


 荒井は「それもそうね」と退屈そうに言った。頬を支える荒井の腕は傷だらけで、少しだけ歪んだ顔は不完全だ。僕は荒井の腕を見てしまう癖が付いている。新しい傷は増えてなさそうだが、古い傷は今も激しく主張を続けていた。


「ソクラテス先生には感謝だな」

「私なんかよりもママがソクラテスに感謝をしているのよね。ママはソクラテスをすっかり気に入ったみたいで、私としては本当に勘弁して欲しいわ」

「流石の荒井も母親には勝てないのか」

「仕方ないわよ。毎日、毎日、うるさくて頭が変になりそうだもの。ママは制服や教科書も買ったし、お金を払ったのだから学校ぐらい行けって正論を言うしね。そんな事を偉そうに言うママ自身は小学校すらも碌に行っていなかった癖に」


 以前、荒井と家族について少しだけ話した事があるが、僕達は家庭環境が似通っていた。今時は片親なんて珍しくもないし、ましてやこんな底辺高校に通う奴なら尚更だろう。荒井は良心の呵責というよりは両親からの呵責で学校に来ているらしい。


「何にしても良かったよ」

「全く良くないわね。誰かママを黙らせてくれないかしら」

「きっと、母親の方だって君にそう思っているだろうよ」

「どう言う意味よ?」


 睨むように見やる荒井に対して、僕は「ちゃんと親子だって事」と返した。僕からすれば荒井のように親と喧嘩できることすら羨ましく思えた。親を煩わしく思う気持ちは同じでも、僕と荒井とでは質が全く異なっている。


「ママと比べれば私なんて無口よ」


 確かに荒井は無口な時と多弁な時に差がある。一度話さないと決めれば何処までも口を開かないが、割と気さくに話をしてくれる時もあり、僕みたいな素人が判断するべきではないだろうが、荒井が二重人格としか思えない時がある。荒井は本当に掴みどころのない女性だ。


「君の母親にも感謝しないとな」と改めて言った。「僕が学校でまともに話せるのは君ぐらいだから凄く嬉しいよ。荒井が居なくなったら、僕はとても退屈な学生生活を送る事になるだろうし、ソクラテス先生と荒井の母親には本当に感謝しないと駄目だな。そして何より、君にも感謝しているよ」


 荒井は頬杖をやめて顔を少しだけ赤らめ、僕から目線を逸らせて下の方を見た。彼女の視線の先には光沢を失った木の床がある。


「由紀夫ってさ、恥ずかしい事を恥ずかしげもなく言う時があるよね」


 荒井の言葉を聞いてから、初めて自分が恥ずかしい事を言ったのだと自覚した。僕は顔が赤くなるのを感じながら、冷静に「小説の読み過ぎかもしれないな」と自己分析した結果を述べた。


「空気の読めなさ過ぎじゃない?」

「どういう事だ?」


 荒井が何かを言おうとしたタイミングで、黒板の上にあるスピーカーが「ジジジジ」と音を立てた。チャイムが鳴る前兆だ。直ぐに電子で奏でられた大仰な鐘の音が学校全体に鳴り響き、騒がし過ぎた教室は少しだけ静けさを取り戻す。気怠げに自席へ向かい始める奴、担任の教師が来る直前まで友達と話す奴、一限目の教科書を用意し始める奴もいる。


荒井は改まって「今日の昼はどうする?」と僕に尋ねた。さっきの話はどういう事なのかと再び聞きたかったが、僕は空気が読めるので何も無かった事にした。


「いつものようにソクラテス先生と食べないのか?」


最近は昼休みになるとソクラテス先生の所へ行き、三人で昼食を共にする事が多い。ソクラテス先生は使っていない教室を開けてくれるので、三人だけで比較的に静かな昼休みを過ごすのが習慣になっている。


「今日は弁当もパンも、何も持ってきてないのよね」

「学校を抜け出して何処かへ食いにでも行くつもりか?」


 荒井は薄ら笑いを浮かべながら「まさか」と言った。荒井とある程度仲良くなって気付いたが、初めて彼女と接した時が異常だっただけで、普段は割とまともな人間なのだ。もっと簡単に言えば、素面かそうじゃないかで彼女は豹変する。訳の分からない市販薬や酒さえなければ、きっと荒井は普通の生活を送れるだろう。


「じゃあ、学食か?」


「そう」荒井は目を伏せながら言う。「私、学食なんて行った事がないからさ、悪いんだけど由紀夫も付いてきてくれないかしら?」


「勿論いいけど、僕だって学食へ行った事はないぞ」

「一緒に来てくれるだけで良いわよ」

「学食が何処にあるかを探すところから始めないといけないな」


 荒井が学校へ来ている時は、こうして当たり前のように二人で昼食を食べる事ができるし、当たり前のように授業の合間に会話を弾ませる。僕と荒井はそろそろ友達になるべきだろう。


 僕と荒井が食堂について語っていると、少しだけ遅れた担任が教室に入ってきて、会話は強制的に中断された。僕も荒井も先生に怒られるのは気が滅入るのだ。怒られないようにするのは当たり前だし、反抗的な日常を過ごすのは難しい。異常は異常であって日常ではない。日常があるから異常が出来るのだと、僕は最近になって気付いた。


野神真琴です☺︎


由紀夫編の二章が始まりました★

終わらせるのも野神真琴なのだと考えると、少し面倒になってきますよね……


章のタイトルは仮です!!

後で変えると思います!!

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