いじめといじり
いつもより豪華な晩御飯を食べ終えると、私はママとヒトの会話を邪魔しないように、居間の隅で本を読む事にした。大人達は瓶に入ったお酒をちまちま飲みながら、時々思い出したかのように私へ話を振ってくる。
ママは私の方を向いて、コップに注がれた麦茶のようなお酒飲みながら、唐突に「さっきはパパと何を話したの?」と尋ねてきた。
「ヒトにマジックを見せてもらった」
ママは片方の眉毛を少しだけ上げて、私に「ヒト?」と尋ねた。ママの浮かべる怪訝な表情からは、私かヒトに対しての不満が滲んでおり、どう説明すればいいのか解らなくなった。
「ヒトって何よ?」とママは再び言う。
私がヒトの方を見ると、彼はウインクをした。私が何も言わないのを悟り、ママは「この子は肝心な時に何も言わずに黙るのよ」と言った。
「俺の事さ」とヒトが私の代わりに答えた。
「どうしてパパがヒトなの?」
「それは秘密」
「何よ」ママは不貞腐れる演技をした。「あなた達は秘密を共有するくらい仲がよくなったのね」
そんなに仲良くなった訳ではないと、私が説明すべきなのかもしれないが、面倒なので何も言わない事にした。
頭に入ってこない活字を目で追いながら、見つからないように大人達を見やるが、その度にヒトとは目が合った。私は直ぐに目を逸らして本を読んだ。ヒトとママはとても仲が良さそうで、一般的な夫婦がどんな雰囲気を作り出すのかは解らないが、この二人は夫婦というよりは親友のようだった。
ヒトがトイレへ向かった隙を見て、ママは私に「パパとは仲良く出来そう?」と尋ねた。私はヒトが聞いていないか警戒しながら軽く頷いた。ママはそんな私の頭を雑に撫でる。雑に撫でられて喜ぶのは犬くらいだが、それがママにとっての愛情表現だと理解しているので、私は特に何も言わず乱れた髪を整えた。
「俺の悪口か?」とヒトは言いながらトイレから戻って来た。
「よく解ったわね」
「ママの口は悪口しか言えないから仕方ないさ」
ママは笑いながら「そんな事ないわよね?」とこちらを見て言ったので、私は首を少しだけ傾けて、直ぐに活字の世界へ逃げ込んだ。
「この子ったら」ママは大袈裟な溜息を吐いた。「いつも本ばかりを読んでるのよ。友達だって居ないみたいだし、このままだとコミュニケーションが苦手な大人になるわ。ママはカズが学校でいじめられないか心配よ」
「可愛い子はいじめっ子になるか、いじめられっ子になるかと、相場で決まっている。俺だって昔は可愛すぎたせいで、いじめもしたし、いじめられもした。もし、カズがいじめられたとしたら、それは君がとびきり可愛いからだ。それに、もしも何かあったら俺に言えばいい」
いじめといじりの境界線をぼかしているだけで、もしかすると私は既に学校でいじめられているのかもしれない。なんてことを言えるはずもないので、話を聞いていないふりをして黙った。
「パパは頼もしいのね」
「俺は喧嘩で負けた事がない。だって、喧嘩なんて一度もした事がないからな。喧嘩をする時点で勝者はいない、喧嘩という手段をとった時点で双方が負けだ」
ママは「ピース」と言ってヒトに抱きついた。コアラのように抱きつくママに対して、ヒトは大木のように動じなかった。私は子供のような大人達を無視して本の続きを読んでいたが、ヒトが「カズは何を読んでいる?」と尋ねて読書の邪魔をしてきた。
「仮面の告白」
「あぁ、面白いよな」
「読んだことがあるの?」
「勿論だ」ヒトはそう言ってお酒を一口飲んだ。「特に、主人公が仮面を外して告白するシーンは泣ける」
私は自分が読んでいる本の表紙を眺めた。四分の一程度しか読み終えていないが、そんな場面があるとは思えなかったし、ヒトの言葉からはアルコールと嘘の匂いがした。
「その本に友達の作り方が載っていると良いのだけど」
ママの皮肉に眉を顰めると、ヒトは楽しそうに笑った。
「確かに三島由紀夫を読んでいるようじゃあ、友達を作るのは難しいかもしれない。だけど、いつかカズの前にも三島由紀夫を読んでいるような、気取った奴が現れるだろう。そいつと仲良くすればいいさ」
「別に、友達なんて要らない」
ママが私の頭を雑に撫でた。私が乱れた髪を直していると、ヒトが「いい家族だ」と小さく呟いた。六畳にも満たない居間には、和やかな雰囲気とアルコールの匂いで充満しており、いつもより天井の照明も明るく感じた。
「そういえば」とママは改まって言った。「今度、また面談があるのよね。年に何回も面倒だわ。私は先生と呼ばれる人種が苦手なのよ」
ママの愚痴にはうんざりする。私は「今度は来てよ」と言って釘を刺したが、ママは眉と肩を上げるだけで来ると約束はしてくれなかった。
前回の面談で親が来なかったのはクラスで私だけだったし、それに対して先生やクラスメイトは過剰反応する。単にママが面倒がって来ないだけだと説明しても、誰も納得してくれないのは何故だろう。
「面談?」とヒトは尋ねた。
「そう」ママは気怠げに答える。「カズの学校では年に二回くらい面談があるのよ。前回行かなかったから、この子は怒っているのよ」
私は強めに「怒っていない」と返したが、ママは「ほらね」と言ってヒトを見た。第三者を味方につけようとするママの行動には腹が立つ。それに、前回だけではなくて前々回もママは面談に来なかった。どうせ今回も面談に来ないつもりのママには、最初から期待なんてしていないので、怒る以前に呆れているのだ。ママは私より我が儘な人間だ。
「はい」ヒトは真っ直ぐ手を挙げた。
「はい、パパさん」
「ママが行くのが嫌なら、俺が行ってみたい。勿論、カズが良いならだけど」
私が何かを言うよりも早く、ママが「良いじゃない」と言った。ヒトが面談に来るのは、ママが面談に来ないのと同じくらい嫌だった。
「嫌かな?」ヒトは私の目を真っ直ぐ見つめた。「俺は冗談で言っているつもりでもなければ、酔っ払って言っている訳でもない」
私は「別に……」とだけ言った。別に来なくていいという意味だったのだが、ヒトは別に来てもいいと勘違いしたようだ。
「じゃあ、俺が行く」ヒトは嬉しそうに言う。「もしかするとスーツが必要かもしれない。何かイケてるスーツを着て、先生とやらに舐められないようにしないとな。それで、面談とやらはいつ?」
楽しそうにするヒトを見て、もう断る事なんて出来ないのだろうと不安になった。やっぱり駄目という言葉が相手を傷付ける言葉だと私は知っている。私は「来月の十五日だけど」と小さな声で返事した。
「パパが行くなら安心ね」
「任してくれ。ママの分までママになってやる」
「あら」ママはヒトに抱き付いた。「やっぱし、パパが行くなら私も行こうかしら」
時計の針が夜の十時に差し掛かった頃、ヒトは立ち上がって「そろそろ帰るわ」と言った。ママはヒトを家に泊めようとしたが、ヒトは帰るという意志を変えなかった。六畳にも満たない居間と、四畳半の寝室しかない家で、ヒトが泊まるとなれば私は何処で寝ればいいのだろうと考えていたが、そんな心配も杞憂に終わった。
「明日の朝に飯を作りに来るから、よろしく」
「帰っちゃうなら、カズと一緒にパパの悪口を言うわよ」
「盛り上がりすぎて夜更かししないようにな」
私は「ヒトの悪口なんか言わない」と一応言っておいた。
「さっさと帰れって事ね」とママが言うと、ヒトは苦笑いを浮かべた。不気味な物を口に含んで、想像通りの不味さに思わず笑ったかのような顔だ。この比喩を私達に当て嵌めるなら、不気味な物は私で不味いのはママだと思う。
ママは勘違いさせようと必死だが、ヒトはしっかりと冗談が通じる人間だと思う。それでも私は、念の為に「違う」と言ったが、ヒトは私の言葉を遮るように頭を軽く撫でてきた。
ヒトが子供の頭を撫でるのを慣れてないと、触れられた瞬間に解ったが、私は拒否反応を堪えて受け入れた。頭を反射的に避けずに済んで良かった。もしも避けていたら、変な雰囲気になったのは間違いないだろう。
「解っている」とだけヒトは言って、すぐに私の頭を撫でるのをやめた。ママのように乱雑ではなく、丁寧な撫で方だ。
「じゃあ、また明日の朝に来る」
「気をつけてね」とママは玄関で名残惜しそうに言った。
「ママの方こそ気をつけて待っていてくれ。勿論、カズもだぞ」
「そうだ」ママはそう言って寝室の方へ向かった。玄関で靴を履いたヒトと、見送りをしようとしていた私は二人きりになり、少しだけ気不味い雰囲気が漂った。
「明日も来ていいかな?」とヒトは自信なさげに言った。彼の顔は酒のせいか少し赤くなっており、さっきよりも弱々しく見える。
「ママが待ってるよ」
「カズは待っている?」
私は軽く頷いた。軽くではあるがはっきりと首を縦に振ると、ママが大きな足音を響かせながら、私達の元へ戻ってきた。手には大型動物の皮膚をまるまる剥ぎ取ったようなコートを持っている。
「寒いでしょうから、これを着ていったら?」
ヒトは「ありがとう」と言って、毛皮のコートを身に纏った。ヒトが毛皮のロングコートを着ると、雑なコラージュ画像のようで面白く、有り体に言えば全く似合っていなかった。
「それじゃあ」
ヒトはそう言って帰った。ママは閉じられた金属のドアを見つめて、すぐに「ちょっと、そこまでパパを送っていくわ」と言い残し、私の返事も聞かずに急いで家から飛び出していった。金属の冷たいドアが閉まる大袈裟な音を聞き、私は一人で取り残されてしまった。
その日、ママが家に帰ってくる事は無かったが、朝にはヒトと一緒に帰ってきた。
野神まこっとです☺︎
今回は四千字くらいあるのですが
もしかして、少し長いですか?
飽きませんか?だれませんか?
後書きうざいですか?キモイですか?
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本当にありがとうございます★




