伝えたい言葉
ノアと参加すると言っていたダフネを探し、その姿を見つけた俺は腹の底にどす黒いものが溜まるのを感じた。俺の贈ったドレスを着た美しいダフネが、男たちから視線を向けられている。
そのことに思考を奪われ、周りが見えていなかった。
ダンスホールで他の男と踊るダフネに目を奪われ、そしてとてつもない嫉妬が全身を覆い尽くす。じりじりと俺の理性を焦がし、どす黒い感情が支配していくようだった。
「私はあなたを好きではないんです」
そんな俺に放たれたダフネの言葉。
その言葉に、目の前が赤黒く染まった。息が出来ないほど苦しい。指先が震え冷たくなるのを他人事のように感じながら、ダフネにピッタリの、あの美しいドレスが遠ざかっていくのを俺は呆然と眺めていた。
そのまま立ち尽くしていると、突然後頭部に衝撃が走った。
「何してるのよルーカス! この馬鹿!」
その声に振り返ると、ララが真っ赤な顔で手に持っていた扇子を震わせていた。
ノアがその様子に、腹を抱え身体を震わせた。隠しているつもりなのか、だが完全に笑っている。
「アンタまた、ちゃんと説明してないのね!? ダフネ様がどれだけ傷付いたか分かる!? あんなこと言わせて……! どこまで馬鹿なのよこの馬鹿!」
「ば……」
「早く追いかけなさい!」
その言葉に返す言葉が見つからない。
説明はしたか? ダフネに何と言った? ドレスを贈って、それで? 俺はちゃんとダフネと向き合ったか? 俺の気持ちは……
「ルーカス、まあここはちょっと僕が行ってくるから」
そんな俺の肩を、ノアがなんとも言えない表情で叩いた。
「ダフネは僕の友人だからね。あんな顔させて放っておけないだろ」
「顔……」
「貴殿は彼女が傷ついていたのが分からないのか」
ぴしゃりと冷たい声が放たれる。その声に顔を向けると、ダフネと踊っていたエイヴェリーとか呼ばれていた奴が呆れた表情で俺を見ていた。
「エイヴァ、そもそも君があんなことをしなければ……」
「私もダフネ嬢のために当て馬とやらになっただけだ」
「えっ?」
ノアが急に背筋を伸ばした。
「効果がありすぎたようだが……。ノア、君はダフネ嬢を追うといい。その後ちゃんと二人で話をしよう」
エイヴェリーが長い指でそっとノアの頬を撫でると、みるみるノアの顔が赤く染まっていく。
そう、か。そういうことなのか。
背中にまた衝撃が走り振り返ると、ララがまた真っ赤な顔で怒っている。腹の子供に良くないからとエイヴェリーがララの手を取りその場を引き上げ、ノアは赤い顔のままダフネが去って行った方向へ向かった。
一人その場に取り残された俺は、動こうとしない足をなんとか動かし、ノアの後を追った。
*
ノアの後を、ダフネを追い庭を抜けると、池の前でしゃがみ込むダフネとノアの姿があった。
ノアは俺の姿を認めると、困ったように眉尻を下げ静かに立ち上がった。俺はそっとダフネに近付き、何と声を掛けるかこの期に及んで迷っていた。なんと情けなくて愚かなのか。
「私では駄目なの。私ではあんな風に、優しい顔をしてもらえない」
小さく蹲るその背中が震えている。
違う、そうではない。そんなことはない。俺は君を誰よりも何よりも大切に想っている。
そう伝えたいのに声がうまく出ない。
「私ではあんな風に、優しく笑って、見つめてもらえないんだもの……!」
ダフネのその言葉に、声に、思うよりも伝えるよりも先に、身体が動いた。
「……っ、ダフネ」
ぎゅうっときつくその小さく細い背中を抱き締める。腕の中で、ダフネが身体を固くした。
「ダフネ……ダフネ、ダフネ」
いつも俺の傍で柔らかく微笑んでいた彼女。何も言わず、ただ黙って俺を受け入れてくれた彼女。その彼女に甘え、俺はいつの間にか我慢を強要していたのだ。
「……婚約解消なんてしない」
「るーかす、さま」
「絶対に駄目だ。俺の婚約者は君だけだ」
手離したくなどない。そうではない。その気持ちを伝えるには、言葉にするしかないのだ。
ララのことを勘違いさせたのは俺のせいだ。そのことで悲しませ泣かせるようなことをしたのは、誰でもない俺自身。
頭の中で、パンッと大きな音が響く。
『お二人とも、思いは言わなければ伝わりません! 自分だけでは何も解決できないのですよ!』
腕の中で小さく震えるダフネが、ギュッと俺の腕にしがみ付いた。
「と、年下で幼い私を押し付けられて困っているんだろうなって」
「そんなことはない」
「目も合わないしほとんど話さないから」
「違う」
「だからルーカス様にはもっと相応しい大人の女性がいいだろうなって」
「……っ」
俺に相応しい女性などいない。俺こそ、ダフネに相応しい男になりたくて見栄を張り続けて来た、小さくて情けない男だ。ダフネに見限られるのが怖くて、自分を偽り隠してきた情けない男。こんな自分のまま、大切な人を悲しませ失うなど、これほどまでに間抜けで馬鹿げていることがあるだろうか。
顔が赤くなるからなんだというのだ。
ダフネの小さな顎を掴み、後ろを振り向かせる。
驚き美しい瞳を見開いたダフネ。初めてであったころから変わらず美しい、宝石のように輝く虹彩を持つ榛色の瞳。
俺はその美しい瞳をじっと見つめながら、その柔らかく熱い小さな唇にそっと己の唇を押し付けた。
「君は十分……魅力的で、美しい。俺の婚約者は君だけだ、ダフネ。俺があ、愛しているのは、君だけだっ」
自分の顔が、全身が熱い。恐らくこれまでにないほど赤くなっているのだろう。こんな自分を見て、ダフネはどう思うだろうか。年上の男が愛を囁き真っ赤になるなど、どんなに滑稽か。
だが、ダフネはそんなことを笑うような女性ではない。それは俺が一番よく分かっていることのはずだ。
ダフネのひんやりと冷えてしまった掌が頬を撫で、その気持ちよさに思わずほうっと息を吐き目を瞑る。ダフネが小さく、声を漏らした。
「真っ赤です」
「そ、うだ……君を見るとどうしても……こう、なってしまう」
俺の顔をじっと真剣な表情で見つめていたダフネは、指先でそっと頬を撫で、もう一度小さく言葉を零した。
「ルーカス様、もう一度言ってください。私のこと、どう思っているのか」
「!」
「お願いです、言って?」
正面から、下から見上げるように懇願するダフネを見下ろし、俺はごくりと息を呑んだ。今更なんだというのだ。大切なのは、伝えること。
俺がダフネをどう思っているのか。
ダフネの頬に手を添え、情けなく掠れた声で俺はずっと大切にしてきた、大切な言葉をもう一度、ダフネに伝えた。
「……君を愛している、ダフネ。この世の何よりも、君が大切で愛おしい」
俺は誓った。
もう二度とダフネを悲しませることはしないと。この嘘偽りない気持ちを、どんなにみっともない姿であってもダフネに伝えると、美しいダフネの瞳にこの夜、誓ったのだった。




