まっすぐに伝えすぎ
ホールに戻ると、私たちの姿を見た人々が好奇の視線を向けて来た。先ほどの騒ぎを見ていたからだろう、扇子を口元に当てさわさわと何かを話している。
ああ、いつまでたってもこういう雰囲気には慣れることが出来ない。
ルーカス様はそんな視線を気にすることなく、堂々と私の手を取りホールの真ん中へ歩み出た。
「ダフネ、踊ってくれるか」
「は、はい」
ルーカス様と向かい合い、一礼する。手を取り支えられ、美しい音楽が奏でられる。いつもとは何かが違う、私とルーカス様のダンス。
「……ダフネ」
「は、はいっ!?」
突然耳元で名前を呼ばれておかしな声が出てしまったわ! やめて、どうしてそんな低い声で耳元で囁くの!
ルーカス様が抑えた声でクツクツと笑う気配がして、顔が熱くなる。
「……今日は、髪を結い上げているのだな」
「え?」
視線を上げると、私を見下ろすその表情は優しく柔らかい。
いつも、こんな風に私の知らないところで見つめてくれていたのかしら。
「以前、ドレスを作りに行ったときは半分だけ下ろしていた。あの時、その……髪に着けていた髪飾りに……俺の、プレゼントのリボンが」
「!」
ルーカス様の色だと言ってこっそり付けていたリボンに気が付かれていた?
「あ、あの」
「あれは俺が、……初めて君に渡した、俺の色をしたものだ」
「え」
「年上の婚約者から突然意味深なものを貰うのは……気味悪がられるのではと、それでせめて、贈り物の箱のリボンだけでも、と」
ぎゅっと胸が苦しくなる。
ルーカス様もずっと、私のことを窺っていてくれたのかしら。どうしたら嫌われずに済むのかと、私たちはお互いに気を使いすぎて来たのかしら。
なんだか胸が、ふわふわと軽く、くすぐったくなってくる。何か暖かいものがじわじわと全身に広がっていく。
「私、嬉しかったんです……ただの青色じゃない、ルーカス様の色が。だから、贈り物についていたリボンだけど大切に取っておいて……使う機会がなくて、だから……」
「そうか」
ルーカス様はそう言うと、ふっと小さく口元を緩めた。
「俺の色をしたものを贈ってもいいだろうか」
低く落ち着いた声がゆったりと掛けられる。
冷たく硬いと感じていたその声は、今ではとても心を落ち着かせる響きを持っているのだから不思議だ。
「はい。……ほしい、です。ルーカス様の色をしたものが」
「……そうか」
ふわっと優しく瞳を細めたルーカス様のその表情に、ホールが小さく揺れた。
そう、そうよね、だってあのルーカス様が、私に向かって微笑んでいるんだもの!
ふと、ホールを取り囲むように立っている人々の中にあの女性がとても嬉しそうにこちらを見ている姿が見えた。私の視線に気が付いたルーカス様は、ふうっと息を吐きだすと小さな声で「すまない」と呟いた。
「俺は、決して君に冷たく……蔑ろにしているつもりはなかった。だが、本当に……今回は、己の言葉の足りなさに死のうかと思った」
「えっ! 死なないでください?」
どうして突然そんな事に?
「ララに……君をどれだけ傷つけたか分かっているのかと怒鳴られた」
「き、傷つきましたけど……」
そう、大人ぶって余裕なふりをして、私はルーカス様とご令嬢の姿にとても傷付いていた。
「私、ルーカス様に冷たくされているなんて思ったことはありません。だって、いつも優しかった。か、顔はちょっと無表情だったけど、でも私に気を使ってくれてるのも分かっていたもの」
毎朝の花、メッセージカード。定期的にお休みを取って我が家で開かれる二人きりのお茶会。
「でも、でもそれでも、あの日は傷付いたんです。だってあんな風に、私に優しく笑いかけたことはないんだもの」
「あれは!」
ルーカス様の真っ赤な顔がすぐ目の前にある。けれどルーカス様はもう、目を逸らさない。
「あれは……ララに言われたんだ。俺がダフネと結婚したら、どんなかわいい子が生まれるだろうかと。ダフネのようにかわいく美しい女性を妻に貰えるなんて幸せだな、と。それで……」
私との間に生まれる赤ちゃんを想像した、と。ルーカス様はそう言って、真っ赤な顔のままふわりと優しく笑った。
そうあの夜、遠目に見た、あの優しくて柔らかな笑顔で。
――私のことで? 私のことで、こんな風に優しく笑ってくれるの?
じわじわと胸の内に愛おしさが溢れてくる。
じわりと視界が滲み、ルーカス様が慌てて私の顔を覗き込んだ。
「だ、ダフネ、すまない」
「……ら、ララって名前で呼ぶから」
「ラ……彼女は、俺の乳母の娘なんだ。幼い頃から知っているのでつい」
「……夜会に一緒に出席していたのは」
「彼女と俺の従兄弟は……、その、駆け落ちをしたんだ。ララと駆け落ちをして、爵位も何もかも失ったんだが……騎士としての働きに対して、騎士爵を賜ることになった」
そう言えば以前、聞いたことがある。騎士と平民の女性の駆け落ちの話。当時、社交界で漣のように広がりすぐに消えていった噂話。
詳しくは分からないけれど、ご令嬢方が扇子を広げてひそひそと囁いていたのをなんとなく覚えている。
私がもう少し社交に出ていれば、あの女性が誰で、ルーカス様とどういった関係だったのか分かったのだろうか。こんな風に勘違いをすることもなかったのだろうか。
「テオ……従兄弟は、騎士爵を叙爵してさらに名を馳せようと任務に専念している。子を授かったことで心配していた乳母がララを実家に呼び寄せたが……従兄弟のために貴族のマナーや知識を一人で全て学ぼうとしていた。だから」
「それで夜会に同行したんですね」
ルーカス様は誰の協力も得られない従兄弟の方のために、力を貸したのだろう。
能力だけで騎士爵の叙爵を賜るのは大変なことだ。相当に努力されたに違いない。
そしてそれだけではなく、社交界では貴族同士の繋がりも重要になってくる。お二人が駆け落ちしたというのなら、きっと誰からの援助も受けられず苦労されているに違いない。
そんな夫を支えるために、一人、慣れない社交で夫のために奮闘する乳姉妹。
そう、ルーカス様はずっとそうだった。ずっと、優しく、心配りのできる人だった。
「ちゃんと理由を言ってくれたらよかったんです」
「それは本当に……すまない、い、色々考えすぎて言ったつもりになっていた……」
それは私もそう。
いつも頭の中であれこれ考えて、結局何も言えないまま時間だけが過ぎていく。
ルーカス様にふさわしいレディになりたくて、精いっぱい背伸びして、大人なふりをしていただけの私。
「ルーカス様、かっこいいです」
「……は?」
「ルーカス様は、いつもかっこいいです。でも、こうしてお顔が真っ赤になってるのもとっても可愛いです」
「か、かわ……」
「私にだけなんでしょう?」
「……そうだ。君と目が合うとどうしても……」
「嬉しいです……嬉しい」
真っ赤になった顔を見上げて、嬉しさと愛おしさで胸がいっぱいになる。
「大好きですルーカス様。ずっと、ずっとあなたの婚約者になれて嬉しかった」
ルーカス様は私の言葉に固まると、さらに顔を真っ赤に染めた。それでもルーカス様は視線を逸らさずじっと私を見下ろしてくる。その視線の熱っぽさに、段々と私の顔も熱くなっていく。
見られることがこんなに恥ずかしいなんて! これまでの分をまとめて見られている気がする!
「る、ルーカス様、そんなに見ないでください!」
恥ずかしさのあまり俯くと、頭上からふっと笑う気配がした。
「これまでずっと視界の隅に留めておいたのを、今はこうして堂々と見つめられるんだ。やめろと言われてやめられるはずがない」
「すみって……っ」
「いい年をした俺が君を見て赤くなるなんて……みっともないだけだろう?」
「かっ、可愛いですっ」
「かわいい……」
ルーカス様はまたふふっと笑い声をあげた。
今日はとんでもなく貴重な日だわ。ルーカス様が微笑んで、笑い声をあげるなんて。
そっと目を開けると、やっぱり目の前にいるルーカス様がそれはもう優しく笑顔を浮かべたまま、蕩けるような甘やかな声で囁いた。
「君のそういうところが好きだよ」
す、ストレート! 本当に本当に、これまでとは別人だわ……!
ダンスを踊る時、いつもは遠く離れていた互いの身体は密着し、まるで抱き合っているかのよう。けれど決して踊りにくいわけではなく、しっかりと身体を支えられ安定して足を運ぶことが出来る。
「まっすぐで優しくて、人を思う心の持ち主だ。人を信じて疑わない。それは君が人に対してまっすぐな気持ちを向ける人だからだ」
身体を離しくるりと回転して、またルーカス様の腕の中へ戻る。
「かわいいよ、ダフネ」
耳元に唇を寄せて低い声囁かれ、とてもじゃないが顔を上げられない。
「ダフネ、かわいい……凄く、美しい」
「も、もう恥ずかしいからやめて下さい……!」
「それは難しいな」
一体何年分の可愛いを言われているのだろう。恥ずかしすぎる。
まとめてくれなくても大丈夫です!
「ルーカス様、凄くたくさんしゃべってる……」
「君と会っている時はこれよりもたくさん頭の中で話していると思う」
「えっ! 私もです!」
恥ずかしい、恥ずかしい恥ずかしい。
でも、こうして心の内をさらけ出して話せることが、とても幸せで嬉しいことだと感じる。もっと、もっとたくさんルーカス様のことを知りたいと思う。
「ダフネ、俺はもう君に遠慮はしない。そんな事で君を失うなんて到底耐えられないからな」
「ルーカス様……」
この日、ホールで三曲踊り続けた私たちは、後からノア様にとてもとても、揶揄われたのだった。




