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私の可愛いあなた


 その言葉にぎゅうっと胸が切なくなった。きっと私も顔が赤いのだろう。

 でもそれでも構わない。


「す、好きじゃないなんて言って、ごめんなさい」


 ルーカス様の身体がびくりと揺れた。

 酷いことを、言ってしまった。

 そうまで言わないと、優しいこの人が私から離れることはないと思ったから。


「私も、私も大好きですルーカス様。あなたが大好き」

「……ダフネ」


 見上げると先ほどまでとは違う赤い顔のルーカス様が、私をじっと見下ろしている。


(やだ、なんだか……)


 先ほどまでまるで大型犬のような風情だったルーカス様が、今は大人の色気を放っている気がする。

 真っ赤になって瞳を潤ませていたかわいいルーカス様はどこに行ったの。


「このドレスは、俺がエスコートをする時に着て欲しいと頼んだはずだ」


 ルーカス様の長い指が、私のホルターネックをするりと撫でた。


「……ノアと仕立てたって?」


 ルーカス様の低い声がすぐ耳元で響き、顔が熱くなった。


「ご、ごめんなさい……」

「君にドレスを贈れるのは俺だけだ」


 少しだけ拗ねたような声音にふふっと声を出して笑うと、ルーカス様はぎゅっと私を抱き締めた。胸に抱き込まれ、ルーカス様の森のような香りに包まれる。


「でっ、でもあの、ララ様の着てたドレスだって、ルーカス様の色だったわ! だ、だから私」

「あんなのは俺の色ではない。全く違うだろう」

「えっ」

「あんなおかしな色ではない」

(えっとごめんなさい、そんなにこだわりが……?)


 ちゅっと音を立ててこめかみに口付けをされ、思考が中断される。


「男たちの視線は君にばかり向いていた」

「そ、そんなことありません!」

「君は、君自身がどれだけ美しいか……人の注目を集めているのか、分かっていない」

 

 はあっと深くため息をつくと、ルーカス様は私の髪に顔を埋めた。ギュッと私を抱き締められ、これ以上どうしたらいいのか分からない。

 

「あ、あの、るーかす、さま?」

「……ダンスホールで、口付けを受けた?」

「うっ、受けていません! あれは頬だもの!」

「たとえどこであろうと許せない」

 

 ルーカス様が耳元で低く囁くのを、どうしたらいいのか分からない。

 待って、本当に急にどうしたのかしら? さっきまでの可愛いルーカス様は!?

 その時ふと、視界の隅に何かが蠢いた。

 見ると、すっかり暗くなった周囲に溶け込むように、黒い人影が動いている。


「ルーカス様、あの……」


 はあっと深くため息をついたルーカス様は私を話す気がないのか抱き締めたまま動かない。

 この状況もかなり気になるけれど、視線を向けるとやっぱり暗がりに人がいる。姿勢を低くして、生垣に身を潜めている。けれど、こちらを見ているわけではないみたい。


「もうっ! ルーカスさまっ」

「!?」

 

 きつく抱き締められていた腕から手を抜いて、ルーカス様の両頬を掌で挟んだ。


「……!? む」

「しぃっ! ルーカス様、こっちに!」


 驚いたルーカス様の腕を引っ張り、姿勢を低くしたまま私たちも生垣に身を隠す。


「だ、ダフネ?」

「しっ! 誰かいるわ」

「何?」


 すっかり暗くなった庭で、外灯から逃げるように生垣に身を潜め、黒い人影が動いている。


「……あれは何をしているんだ?」


 低い声でルーカス様がその人影をじっと見つめる。


「私たちを見ているのではないみたいです」

「誰かを追っているようだ」

「行ってみましょう」

「ダフネ!」


 ルーカス様の袖を引っ張って立たせ、腰を低くして音を立てないように黒い人影を追う。


「……ノア様だわ。それにもう一人は、エイヴェリー様」


 姿勢を低くしながら何かを追っているような人影が窺う先に目を凝らすと、ゆったりと歩きながら二人の人影が姿を現した。

 薄暗い場所でも分かる、美しいお二人。黒い人影は二人に見つからないようそっと後を追っているようだった。

 あの二人の後を追って何をしようというのだろう。折角話す機会を得た二人の邪魔をするつもりなのかしら。


「……あの身なりでは招待客ではないな。ダフネ、君はもう戻れ。ここから先は俺が」

「駄目です、ノア様は大事なお友達だもの。あの人が何をしようとしているのか突き止めなくちゃ」

「友達……」

「ルーカス様」


 難しい顔をしているルーカス様の手を取り、ぎゅっと握りしめる。ルーカス様の顔が薄暗い場所でも分かりやすく赤くなった。


「ノア様は私の大事なお友達なんです。お願いです、手伝ってください」

「手伝うって何を」

「詳しくは言えません。でも、お願いです」


 ルーカス様の手を握りしめる私の両手をじっと見つめて、ルーカス様はふっと息を吐いた。瞳を細め、そっと私の頬を指の背で撫でる。


「……分かった。君のために」


 そう言ってルーカス様は、灯篭の明かりを跳ね返し美しく優しく微笑んだ。

 ――ほほえんだ?


「ぇ、あ」


 かーっと顔が熱くなる。

 は、はじめて微笑んだお顔を正面で見たわ!

 

 突然のことに呆然とする私からさっと身体を離したルーカス様は、素早く移動して黒い人影の背後に立った。


「何をしている」


 低く威嚇するようなその声は、勿論ノア様とエイヴェリー様にも届いて。ノア様がさっと背後にエイヴェリー様を隠すようにこちらを向いた。


「ルーカス?」

「ひ、ひいっ! な、なんだ一体!」


 突然背後から声を掛けられた人影は、腰を抜かしたように尻もちをついた。


「何をしているのかと聞いている」

「な、み、道に迷っただけだ!」

「道に迷っただと?」

「おいお前……」


 ノア様がへたり込む人物の顔を見て眉根を寄せた。


「いつも僕のことを付け回して面白おかしく記事にする記者じゃないか」

「何のことだか……」

「ゴシップ紙の記者がこんなところで道に迷っただと? ふざけるな」

「……っ、ちっ!」


 尻もちをついていた記者は舌打ちをするとばっと立ち上がり、その場から走り去ろうと私の方へ走り出した。


「きゃ……っ」


 記者は薄暗がりの視界の利かない場所で、私がいることに気が付かなかったのか正面から真っすぐこちらに飛び出してきた。


(ぶつかる!)


 衝撃に備えて身体をぎゅっと固くすると、ルーカス様が素早く腕を伸ばし記者の首根っこを掴むと、ものすごい勢いで近くにあった木にその身体を叩きつけた。

 木に背中を打ち付けられた記者は「ぐえっ!」とおかしな声を上げ、ずるずると地面に崩れ落ちた。白目をむいて、どうやら気絶しているみたい。

 ルーカス様は素早く男をひっくり返すと、後ろ手に持っていたハンカチで手首を縛り上げ、男の胸元をあさり小さなノートを取りあげた。

 

(――なんて素早い動きなの、かっこいいわ!)


 思わず拍手しそうになるのをさすがに場違いすぎると自制して、ぎゅっと胸の前で掌を組む。


「ノア」


 ルーカス様が差し出したそのノートを受け取ったノア様は中身を確認して顔を顰める。


「なんだこれは。今日一日の僕たちの会話を盗み聞きしていたんだな」

「どうやって忍び込んだのか知らないが、こいつは騎士団に突き出しておこう。そのノートはお前の好きにしろ」

「ああ、ありがとう」


 ノア様は懐にそのノートをしまうと、ふと私に顔を向けた。


「ダフネ、大丈夫?」

「あ、はい! 大丈夫です」

「うん、大丈夫そうだね。よかったね」

「え? あ」


 なんだか全て分かっているようなノア様の言葉にあわあわと説明できずにいると、エイヴェリー様が呆れた表情を向けた。


「貴殿も人のことを言えないようだ」

「愛する人に愛を伝えただけだ」

「る、ルーカス様!?」


 やめて突然、どうしたって言うの!?


「ルーカス、やっと口下手を卒業したのかい?」

「うるさい」

「ルーカスはダフネの前では格好つけてるんだよ。好きで好きで仕方ないのに」

「の、ノア様!」

「だってもう凄い嫉妬の目で周囲を睨みつけてるんだよ。そんなのすぐに分かるよ」

「私でもすぐに分かったな」

「俺は別に隠していたつもりはない」

「ええ!?」


 そうなの? 全然私に伝わっていなかったわ!

 私の驚きにルーカス様は気まずそうに視線を逸らす。黒髪から覗く耳の先だけが赤い。

 あ、いつものルーカス様だわ。これはこれで安心する。

 エイヴェリー様がそんな私を見て声を上げて笑った。


「本人に何ひとつ伝わっていなかったなど滑稽な話だな」

「大きなお世話だ」

「それは失礼」


 ふっとエイヴェリー様は私の顔を見てほほ笑んだ。


「ダフネ嬢、先ほどよりいい顔をしている。よかったな」

「……はい、ありがとうございます」

「まったく、この国の男どもは皆何をそんなに拗らせているのか」

「エイヴァ、もうやめてくれ……」

「悪いが、暫くはいじらせてもらうよ。困った顔の君は子犬みたいで可愛いからな」

「可愛いって……」



 ノア様が分かりやすく狼狽している。ああでも、なんだかいい雰囲気だわ。よかった、誤解が解けたのね。

 

「ダフネ、会場に戻るのか?」

「あ、はい、私……その、ルーカス様と、踊りたいので……」

「ダフネ」


 ルーカス様が感動したような声で名前を呼ぶ。ああ駄目、気持ちを伝えた後って恥ずかしくて顔が見れないわ!

 ルーカス様に手を取られノア様とエイヴェリー様に見送られて、恥ずかしさのあまり顔を上げられないまま、私たちはその場を後にし会場へと戻った。


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