後編 ミサーナの過去
どうしてだろう、胸騒ぎが止まらない。
アイラの言う通りならば、雨を降らせることが出来れば、大規模な火事でも簡単に消すことが出来るはず。
それなのにどうして。
『カタン』
目の前に果実の乗った皿が置かれた。
国王が丁重に扱うように言ったからか、それとも私の顔に不安の色が見えたからか、私を喜ばせようと、お付きのダークエルフが果実を用意してくれた。
『シャリ』
林檎を一つかじった。
(美味しい)
酸味と甘味が絶妙なバランスを保ち、不安な心に僅かだが安心感を与えてくれる、あの時と同じ味。
でも。
(寂しい)
あの時と違い、隣を見てもアイラがいないから。
『ヒュー』
急に突風が吹いて、開いていた窓から風が吹き抜ける。
風が収まると、目の前の机の上には紫色の一枚の葉があった。
「これって月光樹の?」
私はその葉を手に取った。
(眩しい!)
手に取った瞬間、私の周りが輝いて見えた。
いくつもの光の玉が宙を漂い、私に向かって何かを訴えかけていた。
(これが精霊? ひょっとして月光樹の葉に触れているから……)
姿は見える。だけど声が聞こえない。
この子たちが何を伝えたいのか分からない。どうすればいいの?
この時にとった私の行動は、頭がおかしいとしか言えなかったけど、そうすべきで、そうしなければいけないと、何故か思っていた。
『ゴクリ』
私は月光樹の葉を飲み込んだ。
【助けて】【危ない】【痛いよ】【アイラが死んじゃう】
頭が痛いくらいに響く音量で、精霊の叫びが聞こえた。
何でとか、どうしてとか、そんなことを考えている余裕はない。
「アイラが死んじゃう」
私は立ち上がって外へ出て、火が立ち上っていた方向に走り出した。
制止するお付きや護衛の声を振り切って。
どれだけの距離をこうして走っているのだろう。ずっと走り続けて足はとっくに限界を迎えていた。
それでも精霊たちの【助けて】という声が、私の足を動かした。
時間が経つにつれ、空の色は濃さを増し、次第に雨も降り始めた。
「アイラ、どこ……」
私の声に答えるように、精霊たちが一方を示した。
精霊についていき奥に進むほど、雨はより強くなり前も良く見えない。
雨でぬかるんで走りづらい。
それでも私は進まないといけない。
しばらくすると、精霊たちが激しく光を放ち始めた。
【ここにいる】【早く来て】
そこにアイラがいた。
無我夢中だった。私はアイラの上に覆いかぶさると、そのまま剣で切られた。
(アイラを助けたい)
そう願う私に出来ることは、それだけだった。
「ミサ! どうしてミサが! ねえミサ! 死んじゃ嫌、死んじゃ嫌だよ!」
アイラの声。私の好きなアイラの声。
「良かった。私はアイラを守れたんだ」
体が熱い。
切られた背中から、焼けるように鋭い痛みがする。
それでも嬉しい。
私はきっとこのまま死ぬ。
生まれてきた意味なんて無かった私だけど、最後の最後にその意味を見つけられた。
だから私は幸せ。
「ミサ! ミサ!」
声が遠くなっていく。
それでも目の端で敵の動きを捉えていた。
今度こそアイラを切るつもりなのか、それとも私にトドメを刺すつもりなのか。
「あああああああああー」
声にならない声を上げて、最後の力を振り絞ってアイラの上に再び覆いかぶさった。
「……」
どれだけ待っても、痛みはやって来なかった。
代わりにあったのは、生暖かい雫が顔に滴る感触。
それは血。
その人が額から流している血。
誰かは思い出せない。
見覚えがある気がするけど、上手く頭が働かない。
その人が私とアイラを庇い、身を挺して守ってくれた。
「なんだこいつ!」
今度こそトドメを刺そうと、剣を振るおうとする。しかしそうはならなかった。
『ビュン』『ドスッ!』
雨の中を切り裂く鋭い音がして、矢が剣を振り下ろそうとしていた男の胸に刺さった。
私の後を追って現れた護衛のダークエルフ達だった。
そこから先は一方的。
元々森がテリトリーであるダークエルフ。
100年以上生き、戦闘の職業とレベルを持っている彼ら兵士に、それらを何一つ持たない人間たちが敵うはずもなく、あっけなく敵は全滅した。
「ミサ! ミサ!」
目が霞んで前が良く見えない。庇おうとして最後の力を振り絞った所為か、もう一言も声は出ず、指一本も動きそうになかった。
結果的に命を縮めただけだったけれど、アイラがもう安全だと知ってから死ねるのだから、私は安心して逝ける。
「ミサさん、返事を! これはまずい。【メガヒール】【メガヒール】【メガヒール】」
体に温かい何かを感じる。まるで誰かに抱きしめられているかのような、優しい温かさ。
だけど手足は動かない。
私はもう死んだのかな?
目を開けば、その先には死後の世界というものが広がっているのかもしれない。
目を開いた先にあったのは、アイラの顔だった。
「ミサ?」
「どうして私……」
体の痛みは消えていた。
温かいことも、手足が動かなかったのも、アイラに抱きしめられていたから。
「ミサ! ミサ! 良かった……良かったよー!」
顔の横にあったアイラの顔を撫でた。
「意識が戻ったのですね。ご無事なようで何よりです」
【メガヒール】最後に聞いた言葉。
この人が死にそうだった私の事を、救ってくれたようだ。
生き残った王族は4人。
その他のダークエルフは、みんな死んでしまった。あの国王も。
私が生きていることを喜んでくれたアイラも、今は顔を曇らせて普段の明るさはなく、止め処なく涙が溢れている。
敵は全滅し、怒りの向けどころもなく、全員が途方に暮れていた。
「ミサさんと言いましたね?」
「……ミサーナです」
重い空気の中、私を救ってくれた男が話しかけてきた。
「ミサーナさん。あなたが彼らを生き返らせるのです」
「は? 何言って……」
(生き返らせるって、そんなこと私に出来るわけない)
「ミサーナさんならば出来ます。それほどの神聖な力を持つ、ミサーナさんであれば出来るはずです。神の軌跡【ザオエラル】が」
「無理」そう答えようとした私の手に、アイラの手が重なった。
「ミサ」
アイラはただ私の方を見て、名前を呼んだ。
それだけ。
溢れ出る涙を堪えながら、私の名前を。
「分かった」
「ありがとう」
アイラは笑った。
「どうすればいいの?」
「祈ってください。神々に対して軌跡を祈る。そして【ザオエラル】と唱えてください」
「うん」
この世界に神はいるのだろうか?
私は神なんて不確実な存在は、微塵も信じていない。
だけど、この世界を箱庭のように見下ろし、時に干渉する存在は確かにいる。
そいつが本当に神なのかもしれないし、上に立つことで自分の万能感に酔っているだけの、自称神なのかもしれない。
確かなことは、私が彼らを生き返らせたい。
アイラの笑った顔をもう一度見たい。
それだけだ。
「【ザオエラル】」
光が天へと伸び雲を縫い、雨は止み空が晴れていく。
神々しく煌めいた光が降り注ぎ、私を包み込んだ。
そしてそれは弾けた。
この場所にいる、全ての命へと。
・ ・ ・
「ミサ。数日だったけど、僕はミサに会えて嬉しかった」
「私もアイラに会えて嬉しかったわ。絶対にまた会いに来る」
「本当! 約束だよ! 絶対だからね」
「ええ約束よ。強くなって、絶対にまた会いに来るわ。その時は二人で一緒に旅に出ましょう」
「うん。僕も強くなる。ミサの事を守れるように強くなるから」
私たちは手を取り合った。
「ミサーナよ。此度は感謝する。お前にはどれだけ感謝してもし足りない。私もまた会う事を楽しみにしている」
「私もありがとう。お世話になったわ」
「我らダークエルフは、ミサーナに対する恩義を未来永劫忘れない。いつでも歓迎する」
「歓迎するよ!」
国王とアイラの言葉に、私は笑顔で答えた。
「ミサーナさん。そろそろ出発しますよ」
馬車の先頭から、助けてくれた男の人、神父の声がした。
「分かったわ。すぐ行く」
「またね。ミサ」
「またね。アイラ」
悲しくはない。私たちには、約束があるから。
私とアイラは手を振り合う。
馬車の荷台に乗り込んでも、私とアイラは手を振り続けた。
国王が手を上げて、何かの合図を出した。
次の瞬間、私の目の前をヒラヒラとした何かが落ちていった。
それは花びら。
ピンクや白の無数の花びらが、木の上から降り注いだ。
緑に囲まれた森の中を、鮮やかに彩る幻想的なフラワーシャワー。
「綺麗……」
私もきっと、この景色と共に、ここでの出来事を未来永劫忘れることはない。
「ありがとうー!」
アイラや国王、この国に住む全てのダークエルフに届けようと、精一杯大きな声で叫んだ。
私はこれから、この神父の務める教会で、神聖魔法というものを習う。
強くなる為に。
ミサーナの過去編、完結しました!
当初の予定では、ミサーナを神父が助けるだけで、5000字もあれば終わると思っていたのですが、ダークエルフが出てきたり、新キャラが登場したりと色々あって、結局15000字も……。
こんな感じで脱線しまくりますが、これからもよろしくお願いします。




