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たらこのエッセイ集

煙草に繋がりを求めて ~その代償はあまりに大きい~

 私が喫煙を始めたのは20歳になりたてのころ。


 通っていた学校の生徒たちがぷかぷかと煙草を吹かすのを見て、なんとなく仲間に入りたいと思うようになった。喫煙者の中には仲の良い友達が何人かいたので、その輪の中に入ってみたくなったのだ。


 喫煙者には不思議なつながりがある。


 喫煙所で煙草を吸って雑談していると、何気なく会話が盛り上がったりするのだ。距離感が近くなるのだろうか?

 一緒に煙草を吸うと、どういうわけか打ち解けたような気持になる。私の考えすぎかもしれないが、気のせいではないと思うのだ。


 私自身、煙草を吸うことでつながりが増え、友達と関わる時間も増えた。人間関係においてのみ言及すれば悪いことばかりではない。


 ただ……煙草そのものを肯定しようとは思わない。


 私自身も喫煙者だが、煙草は社会の隅で固まるようにしてこっそりと吸えばいいと思っている。決して公共の場所で吸ってはいけない。道端で煙を吹かすなど言語道断。

 煙草を吸わない人(特に子供と妊婦)に最大限の配慮をしつつ、世間の皆様からお目こぼしを頂いて、しみじみと楽しめばいい。


 一部の心のない喫煙者のせいで、世間からの風当たりは増す一方。価格は年々上がっていくので、経済的にも非効率。そして何より身体に悪い。

 煙草は肺がんをはじめ、あらゆる癌のリスクを上げる。他にも肺気腫など、致命的な疾病の原因にもなる。家の中で吸えば副流煙で同居人に害悪をもたらし、その被害は喫煙者本人にとどまらない。

 壁は汚れるし、服は臭くなる。喫煙習慣を続けるメリットは皆無。

 それでもまだ……やめたいとは思っていないのは、私がすっかり煙草に心を支配されてしまったからだろう。もうきれいな身体には戻れないのだ。


 このエッセイを読んだ人は、私が最初からずっと煙草に対して肯定的な見方をしているかと思われるかもしれないが、実は違う。

 私が喫煙者になる前、煙草が嫌いだった。


 私が煙草を嫌いだった理由。それは語る必要もないだろう。上にあげたように人体には害悪でしかない。他にもたくさんデメリットがある。

 学校でそのことを学んだ私は、生涯にわたって煙草を吸うまいと決めていた。


 ……で、これである。笑っちゃうでしょう?


 そんな私がどうして喫煙者になってしまったのか、正直なところ自分でもよく分からない。ただハッキリしているのは……吸い始めたきっかけは繋がりを求めたこと。

 私はとにかく友達が欲しかった。誰かと繋がっていたかった。


 多感だったあの頃は、自分が世界の中心でありたくて、どんなものにでも手を出そうとした。その試みのほとんどが失敗したのだが、数少ない成功例の一つが煙草だった。

 喫煙所で仲間と共に紫煙をくゆらせれば、私はその間だけ彼らと繋がれた。

 その繋がりは絆と呼ぶにはあまりに脆い。


 仲間だの、友情だの、愛だの、恋だの。

 ケータイ小説が流行りだし、それらの言葉が安易にリフレインする時代。

 当時、文学に傾倒していた私は、大切な言葉を安売りするなと憤っていた。煙草に繋がりを求めていた私もまた、その一員であると気づかずに。


 実を言うと、その頃はまだ飲酒の習慣もなく、友達と飲みに行くことは稀だった。20代と言えば覚えたての酒を仲間と楽しむのは一種の通過儀礼のように思えるが、私の学校ではあまり飲み会はしていなかった。

 そのため、私が本格的に酒を飲むようになったのは学校を卒業してから。


 社会に出た友人たちは、当たり前ではあるが仕事に就き、まっとうに働いている。その中で私は就職もせずにフリーターを続け、ぬるま湯に肩までどっぷりとつかったまま、妄想の世界に浸っていた。

 友人たちは確実に経験を積んでいき、ある者は壁にぶつかり、ある者は挫折を味わい、ある者は大きな失敗を犯した。

 しかし、彼らは決して挫けたりせず、社会の荒波にもまれながら成長を続ける。


 友人たちとは定期的に連絡を取り、月一ペースで集合して飲み会を開いた。みんな酒の飲み方を覚え、煙草も吸っていた。その輪の中にいると寂しさを忘れ、どんな不安も消えて行った。


 時が経つにつれ、次第に集まりが悪くなる。一人、また一人と結婚し、みんなで集まることは年に一回あるかないか。集まっても酒を飲まないこともある。


 そして一人、また一人と煙草をやめた。


 やめた理由は人それぞれだが、煙草に頼るほど軟弱ではなかったのだろう。私とは大違いだ。


 私はもう煙草に繋がりを求めていない。しかし、今もなお吸い続けている。

 本当はやめなければならないと思っているのだが、どうしても手放せない。私は弱い人間だ。


 時代が平成から令和へと移り変わった今。

 私が子供のころに大人たちが当たり前に吸っていた煙草は、もはや忌むべき物となってしまった。正直、それは仕方のないことだと思っている。


 だが……どうか許してほしい。

 誰にも迷惑をかけず、完全に隔離された場所で孤独に煙草を楽しむのは、決して悪いことではないはずだ。


 煙草は何ももたらさない。他人と繋がることにもならない。

 それでも私は煙草を吸う。


 己の命を代償にして。

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― 新着の感想 ―
[良い点] この切ない感じの表現大好き 同じく喫煙者です 喫煙はじめた頃からどうせ禁煙できるほどの精神力はないと開き直った側の人間ですわ
[良い点]  読んでいて大学時代を思い出しました。  実は大学時代の学部の友人達が、男も女も全員喫煙者でした。吸おうかどうか真剣に悩みましたが、飯を食う金がないからと1,000円借りに来た友人が、煙草…
[良い点] 自分は田舎もの故の「男が酒もタバコもやらんでどうする」なおっちゃんが切っ掛けかな~。 私は嗜好品としての煙草が好き過ぎるんですよねf(^_^; 手順と燃焼温度に気を付けて空気と共にゆっ…
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