ソノ夢ハ #4
思わず取り落としたチェンソーが自動電源終了のスイッチの所為で誰を傷つける事なく床に転がる。愛子は呆然と加納を見下ろした。とどめは指したはずなのに。現に彼の心臓には深々とアイスピックが差し込まれたままになっていて。
「あんたって、死に損ない?」
そんな事はないと思いながら髪の毛をつかみその頭を持ち上げた。濁った白目と半開きの口元。その
“死んだ様な目”
を
「やっぱ死んでんじゃん」
彼女は綺麗にマニュキュアの施された指先で突ついた。ぶよぶよとした感触はまるで金目鯛の目玉の様で
「気持ち悪っ」
思わずその頭から手を放し
「さっさとやるか」
チェンソーを再び持ち上げた。
彼の体にはちいさな
“躊躇い傷”
が付いていて、その跡をなぞる様に刃が食い込む。ぎぃぎぃと。もちろん彼は何も感じない。皮膚が裂け、固まった血が浴室の壁に飛び散ろうとも何も痛くない。骨が砕けチェンソーが刃こぼれし、その小さな断片が皮膚の奥に潜り込もうとも。でも何となく
『おかしいな』
とは思っていた。
愛子は鼻歌まじりで作業を続ける。死んでから何時間か経ってはいるものの、まだ血は取れると確信し。
彼女はこう考えたのだ。
“血の海で泳いでみよう”
と。最初は体をバラバラにする事を思いついただけだった。やったら楽しそうだし、なにしろ捨てる時に持ち運びが便利だから。そしてこの前見たホラー映画で、吸血鬼が永遠の若さを手に入れられると血の風呂を浴びていた事を思い出し、チャンスだと感じた。普通やろうと思って出来る事じゃ無いから。加納の血は処女のものじゃないけど贅沢は言わない。でもただの血風呂なだけでもつまらない。彼女のMの血が疼いた。
“残忍なお仕置き”
を受けている
“私”
をビデオに撮って、新しいご主人様に喜んでもらう。そんな妄想が頭を過る。ストーリーはこんな感じ。
『ご主人様、御許しください。こんな酷い事、させないでください』
『お前の様に前の主人にまで見捨てられる様な女には、汚らしい血の風呂がお似合いだ。さぁ、浸かれ』
嫌がる彼女の頭を押し込むご主人様。生臭い血が彼女の喉に入り込み、ごぼごぼとむせながら言いつけを守る彼女。浴槽のたわわに張った血の渦に、男の
“頭”
だけが浮いていて、その死んだ様な目が愛子を見つめている。その
“死んだ様な目”
という表現を、少し面白いな、等と彼女は思いながら妄想は続く。
『お前の舌でそいつを綺麗にして差し上げろ』
ご主人様は言う。
『あああっ!』
愛子はさも厭そうな表情を浮かべ懇願する。
『お許しを』
そして頭から振り下ろされる鞭。
『ひいっ!』
その痛みはとても気持ち良い事だけど、本当はもっと続けて欲しい事けど、我慢する。今はご主人様の
“究極の命令”
が最優先。手に取った
“彼”
を高く持ち上げ、ヌルヌルした部厚い唇を舐め。口の中に流れ込む血の匂いを嗅ぎ、湧き上がる
“嘔吐き(えずき)”
が体中を突き抜ける快感を、ご主人様には
“分からない様に”
隠す。中途半端に開いた口に舌を差し込み冷たい歯をこじ開け無理矢理舌を絡ませ
『もし彼がゾンビになって生き返り、私の舌を噛み切ったらどうしよう』
なんてB級ホラーみたいな事を考えぞくぞくする彼女に、またしてもくだされる命令。
『今度はそいつを股の間にはさんで、一人でやってみろ。冥土の土産に良いモノを見せてやれ。もし上手く出来なかったら……』
再び鳴り響く鞭の音。
『あうっ!』
上手く出来ても出来なくても彼はご褒美をくれる。お仕置きでも良い、何でも良い。痺れる様な快感を与えてくれる。
そんな事を考えながら、彼女はうっとりとした表情でバラバラにした加納の体を絞った。早くこの浴槽が彼の血で一杯になります様に、なんて考えながら。
その時加納は
“何も感じないというのは嘘だ”
と思った。現に自分の意識はバラバラで、そのくせ設置してあるビデオに魂が吸われている様に感じたものだ。それにさっきの電話。なぜか時計を逆戻りさせたかの様に彼の頭にははっきりと音が蘇る。今自分を見下ろしている般若の面の女なんかどうでも良かった。ソレよりもあの携帯の向こう側、切れる直前に響いた小さなため息が彼の心を狂わせた。
「やっぱり俊ってそういう男だったんだよね」
そして微かに残った彼女の
“気持ち”
が流れる様に彼に伝わって来た。
『彼を見限って正解だったんだぁ』
その事が悔しくて、
『呪ってやる』
そんな気持ちよりももっと、
『お前にとって俺ってそれ程度の男だったのかよ』
哀れな絶望を彼に運んで来た。
そして愛子はその体を絞る。
出来上がった
“血風呂”
は想像していたよりもチンケだった。なにしろ死んだ後に血抜きをしているから、肝心の血は体の中に固まっている。
「信じられない!」
彼女は浴槽に半分程水を溜め、ぶよぶよとした内臓を洗った。確かに血は出る。でもほとんどのソレは
“ゼリー”
のように固まっていて、ちっとも
“血風呂”
らしくない。お風呂に浮かんだ苺ゼリーなんてファンシーだって思った。そこで愛子は
“追い炊き”
を思いつく。血が固まるのは多分ゼラチン質の所為だと思ったのだ。よくあるコンソメのジュレやふぐの煮こごりのアレだ。つまり熱を加えれば血は溶けるのだ。
刻んだ肉を浴槽に全部入れ、蓋をして追い炊き。何だかインスタントラーメンみたいだった思った瞬間、お腹が空いている事に気がつき、それに反応して腸がグゥッと鳴る。なにしろ今日は朝から大奮闘でくたくた。肉体労働三昧だ。ハンバーガーを食べてから結構な時間も経過している事だし、非常持ち出し袋にカップラーメンがあるはずだから手っ取り早くソレを食べようと決めた。
「背に腹は代えられぬってヤツね」
彼女はさもおかしそうにくっくっと笑った。
インスタントラーメンのカップの内側にある
“ここまでお湯を注いでください”
のラインより2センチ足りなくお湯を入れ、規定時間よりも1分長めに待つのが愛子流。そのタイマーが鳴った時お風呂も湧き上がったが、そっちはしばらくそのままにしておく事にして、今は食事。立ち昇るお馴染みの香りに
「やっぱシーフードだよね」
愛子のお腹がまたしても鳴った。
「豚骨食べるヤツって悪趣味」
ふと思い浮かんだあの浴槽の光景に思わず独り言。
彼女は猫舌だったから、出来上がったそれにお水を足してかき混ぜる。それでもまだ熱いから
「ふぅ、ふぅ、ふぅ」
散々吹いてから食べる。長めにふやかしたそれは具が無く白く膨張し、ゴムを噛んでいるかの様に味気なく
「新しいご主人様が見つかったらもう少しマシなもの食べよう」
なんて事を彼女に思わせてくれた。例えば銀の皿に乗せられたドックフード。首輪につながれた彼女は彼の足下にひれ伏してそれを犬食いするのだ。
そんな楽しい事を考えながら、箸をラーメンに突っ込みパソコンを覗き込む。
「やっぱり駄目か」
辱める言葉は多くても、肝心の
“ヒット”
が無いなんて。彼女はため息をつき立ち上がる。
「仕方がないか」
きっと新しいご主人様はもっと刺激的なものを望んでいるのだから。
続く