ソノ夢ハ #2
彼女は冷房の効いた部屋でため息をついていた。会社には風邪をひいたと嘘をつき。何もかもする気力が無い。早く次のご主人様が欲しかった。
捨てられた彼女が出した救済策は正にそれ
『新しいご主人様を見つけ、自己確立をしよう』
なんて建設的なんだろう。彼女は自分の考えに大賛成だった。人は合理化する生き物。パソコンに向かう。
愛子には長年の夢が有る。そう、それは
“一生もののご主人様を見つける事”
今しばらくは加納との安泰な生活に馴染み過ぎ、自分の本当の欲望を見失いがちだったと彼女は反省をする。
それまで彼のサイトにアクセスしているユーザーの数から、彼女についた
“ファン”
は沢山いる事を知っていた。そこから探せば良い。なにしろ特別な映像をアップしたときは桁一つアクセスが増えたものだから。
“お仕置き”
公園の男子便所に裸で置き去りにされた真夏のあの日。露出した肌に吸い付く蚊。
『死んでしまえ!』
そう思っても回っているカメラの都合上、そんな事は一言も発せず。むしろ赤く膨れ上がったそこを
「痒い」
すすり泣く声で苦しがる。身悶える度に麻の縄目が素肌に食い込み、僅かな快楽がせり上がり。そして近づく足音と開くドア。
「あっ!」
驚く少年の声。
「助けてください」
彼女は怯える少年に向かって懇願する。
「私、変態なんです。変態だから、ご主人様にお仕置きしてもらっているんです。
“誰かにお仕置きしてもらえ”
って。だからお仕置きしてもらえないと、もっとヒドいお仕置き、されちゃうんです! ねぇ、助けると思って、お願い! 私に
“お仕置き”
してぇ」
“ご褒美”
前のご主人様がつけてくれた入れ墨の跡を熱く熱したタバコの火がもみ消してくれる。
「ぎいっ!」
腕が折れそうな程彼は体重をかけ彼女を押さえつけてくれ。弱まった火力に彼がもう一度タバコの煙を吸い込み
「この変態が」
ジュウッと響く四角い部屋。何よりも閉め切った空間に漂う自分の肉が焼ける匂い。彼女は鼻をひくつかせ、肺の壁全てに酸味の混じった脂の焦げるその香りを染み付けるかの様に大きく吸い込む。条件反射で強酸性の涎が溢れ出す胃の底の痛みに
「堪忍してぇ……」
それは極上の快楽、何度も昇り詰めるエクスタシー。反吐をはきながらのたうち回る火焔地獄。
それから
“気まぐれ”
彼の用意した四角形のハンカチの様な物。でも空気を通さない。車で数時間も走った深い森に行き、半裸にされ、後ろ手に縛られ
「深呼吸しろ」
命じられる。言われる通りに息を吸い込んだ次の瞬間、柔らかいシリコンが顔を覆い尽くし
「苦しめ」
何も感じていない無表情な彼の声に愛子は燃えた。肺が破け頭が炸裂するその痛みの向こうに花園を見、
『天国だ』
そう思い、痙攣を繰り返しながら意識を失った愛の日々。
「あの時の私って幸せだったのね」
愛子は懐かしい夢の様な思い出にうっとりと心を馳せていた。それでも今しなければいけない事を忘れた訳ではない。新しいご主人様を捜すのだ。
彼女の感じる快楽と比例し彼のサイトへのアクセスは伸びた。だから彼女は知っている。
『ご主人様予備軍は、このネットワークの向こうにいて、今こうしている間にも私を見つけようとしてくれている』
今度こそ、今度こそ。彼女を確実に
“愛してくれる”
ご主人様が欲しかった。精神的にも肉体的にも
“死”
を恐れる事の無い、直前まで責めてくれる
“完璧な”
ご主人様。
彼女は楽天家だった。誰もが自分の様な
“真性のマゾ”
を飼いたいと思っているに違いないと確信していた。焼けただれた二の腕も、まぶたの上の切り傷も、ボディピアスも全て一流の奴隷の証。そんな
“完璧な”
Mを夢見るまだ見ぬご主人様に、自分の全てを届けたかった。
“本物の”
Sに巡り会い、お互いの夢を叶えるのだ。その為に彼のサイトを使わせてもらう事にした。
そしてよくよく考えてみる。加納は結局使えない男だったのだと。あの男はただの根性無しの偽善者で、ご主人様としてお使えする程の器では無かった。彼の最後の裏切りが全てを物語っている。愛子はパソコンの画面を覗き込みながらクスリと笑った。そして彼を忘れ
「私って、イケてる」
彼女の目に映る
“淫らな痴態”
の映像の数々にうっとりとしたため息を漏らした。そしてそのページに書き込まれた数々のコメント
『死ね!』
『淫乱なメス豚!』
『こんな最低な女はみた事ない』
そんな言葉攻めに酔いしれる。そして嬉し恥ずかし
『俺の方がもっと上手にお仕置きできるぜ』
期待を込めたその言葉。でも彼は返信用のアドレスを載せてはくれていなかった。
「ついてない」
愛子は舌打ちをしながら画面をスクロールする。そして彼女を欲しがっている割にはチキンな男達の態度に次第に腹を立て始めた。
「連絡先ぐらい載せろよ、この渋柿やろう!」
彼女は萎びた男の事をそう呼んでいた。そして新しい画像をアップする事を思いつく。
それは彼女のとっておき映像。彼の仕事の手伝いをした事も有り、サイトの画像更新の方法は知っている。簡単。保存していたデータを読み込ませ、あっという間に公開された21インチデスクトップに映し出された女の躯。
『ご主人様!』
彼女は叫ぶ。
『そんな女なんかに構わないで!』
高校生の様な制服を着た少女と引き裂かれた服。でもその女は愛子が出会い系で拾った時給2万円の
“自称マゾ♪”
そして鎖に繋がれ地団駄を踏んでいるのが愛子だ。
『打つんだったら私を打って!』
加納は愛子の
“その女を打て”
の指令に
“自称マゾ♪”
の尻を平手で叩く。
『痛ぁぃ!』
彼女の甘い叫びが愛子の耳に届き
『畜生! この泥棒猫!』
じゃらじゃらと金属音を響かせながらもがいた。
『殺してやる! 呪ってやる! 呪い殺してやる!!』
そんな愛子に女は余裕を見せつけ口元で笑う。その瞬間
『いい気になるなよ』
加納の平手がもう一度、今度は彼女の顔に向かって炸裂し
『痛い!』
今回は本気で叫んだ。
『当たり前だろう? お前は最低なマゾ女なんだからな』
もう一度。
『ぎゃっ!』
赤く腫上がった頬に、さすがにこれはヤバいかもとうろたえ始める女。その
“恐怖”
を芽生えさせた姿に、愛子は失禁しそうな程痺れた。
“羨ましい……”
もちろん加納はそんな愛子の視線を感じながら、逃げ始めた女を
“狩る”
髪をつかみ、床引きずり。
“羨ましい、羨ましい”
そんな愛子の欲望に満ちた姿が画面一杯に繰り広げられ。
この時の事を思い出すと彼女はぞくぞくしてしまう。目の前でSMの何たるかを全く分かっていない素人がいたぶられ。極上のワインを目の前にしながら、発泡酒よりビールの方が美味しいよね、なんてくだらない事を自慢するような馬鹿女。最高に愛されているに
『もう嫌! 助けて! お願い!!』
なんて生温い事を叫び、出入り口へのドアへと走る。その
“人としての喜びを知らない”
惨めな姿を愛子は笑いながら
『このアマ! ご主人様を奪いやがったら殺す! 絶対殺す!』
あらん限りの力で叫び、床を踏み鳴らず。本気で殺してやろうと思い、つばを飛ばし、髪振り乱し、呪い狂う。やがてただ怯えるだけの
“出来損ない”
を見限ったご主人様は縛った彼女を床に転がし、愛子の方へやって来て甘い声でこう囁く。
『これで懲りただろう? 奴隷は奴隷らしくしていろ。さもないとこの女みたいに落ちぶれるぞ』
“落ちぶれる”
それはいじめてもらう価値も無いという意味で。彼女は泣きながら懺悔をし、ご主人様がいないと生きていけないとすがった。
“ご主人様に見限られる”
のは、ご主人様が死んだときだけにして欲しかった。
続く