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心臓ヲ捕ラマウ #4

 彼が目を覚ました時、最初に気がついたのはその音だった。まぎれもない静寂の中で時を刻むリズミカルな電子音、心電図モニタリング。ようやっと開いたその目に映ったのは白い天井と椅子の上でうたた寝する母の姿だった。

「何が有ったの?」

目を覚ました母に彼はそう尋ねた。覚えているのは振り上げられた父親の右手と挑みかかる様な樹里の表情。多分自分は発作を起こしたのだろうという事は察しがついた。それでも彼は忘れたフリを装い

「意識が戻った!」

叫ぶ母の顔色を伺った。


 樹里は殴られる事に慣れていた。と言っても男ではない、母親にだ。若く輝いて行く娘と違い、母親は日増しに衰えていた。過去に誇った美貌も、樹里の咲き初めた百合の花の様な美しさに太刀打ちが出来るはずがない。そして好色な夫の目が

“実の娘”

に向けられ始めた時、彼女の嫉妬は噴出した。

 叩くのに厳密な理由は要らなかった。ただ、こじつけさえすれば良い。

『無駄飯食い! 私はお前の歳の頃にはそれなりに稼ぎが有ったんだからね!』

『そんな目で親を見るな!』

だから彼女は

“叩く”

という事は、叩く側が

“負け”

を認める事だとも知っていた。打ちおろされるはずの彼の拳を笑って見つめながら、露澪が家族よりも彼女を選ぶ事を予感して。

 しかし彼の拳が樹里を痛めつける事はなかった。

「父さん、止めろ!」

飛びかかって来た露澪が非力ながらも必死で父親を押さえようとしたのだ。

「悪いのは樹里じゃない、僕の方だよ!」

甲高い声を立てながらしがみつき

「放せ!」

父親は思わず彼を振りほどく。力一杯。

 彼は彼なりに息子を愛していた。何よりも、血のつながったたった一人の子供なのだから。

 露澪が心臓を患う様になったきっかけは

“風邪”

だった。そう、生まれつき心臓が悪いのではない。父親はその日の事をはっきりと覚えていた。それは彼が四歳の冬の事。医師会の会合で出かけた彼、その後の後援会にやって来た妻とその子供。その当時やんちゃだった露澪は場の雰囲気に馴染めず外で遊びたがり、夫婦は手を焼いていた。

「勝手にしなさい」

彼は会場の受付で暇を持て余している三人のスタッフに五千円札を握らせ

「この子の面倒を見て欲しい」

そう依頼した。

「外でもどこでも、この子の好きにさせてくれ」

潮崎家は名門。

「よろしく頼むよ」

誰もが言う事をきく。その夜、彼は高熱を出した。

「子供の風邪だ、すぐに治る」

そう言いながら一晩様子をみたものの、次の日になっても熱は収まらなかった。

「インフルエンザかもしれない」

慌てた彼らは急いで内科医を受診した。案の定、A型の診断を受けた。その当時、インフルエンザに効く特効薬は無く、彼らは手厚い看護を尽くしたものの病状は良くならず、彼は息切れをし始め、呼吸が苦しいと言い出した。全てインフルエンザの症状だった。だが顔が浮腫み始め、

「胸が苦しい」

そう息子が言いだし、父親は青ざめた。

「ウイルス性の心筋炎に違いない!」

あわてて取った露澪の脈は乱れ、彼の診断が的中していた事を告げていた。

「なぜあの時もっと早く気がつかなかったのだろう」

彼は何度もその事を嘆いた。彼の専門は整形外科。大腿骨骨折を得意とし、その分どうしても胸部の知識は不十分で。

「一生かけてお前を守ってやるからな」

彼は神に誓いながら夜を過ごした。その結果、命は助かったものの露澪の心臓には致命的な欠陥が残ったのだった。

 それ以来、潮崎の家は積極的に心臓外科の後援に当たりあたり、幸か不幸か心臓移植の話しが盛り上がる昨今に一躍医師会の顔役にのし上がって来ていた。

 その彼の意識が戻ったのだ。集中治療室の一角には人だかりができ

「良かったよ、露澪君。もうこれで一安心だね」

顔なじみの医師が彼に向かって微笑んだ。本当は意識を無くしたとはいえデータ上は問題の無い病状だった。それでも彼らは潮崎一家に恩を売るため派手に騒ぎ立てる。

「危うい所でした」

「露澪君の生命力が勝ちましたね。我々の力なんて微々たるものですよ」

母親は泣いて喜び、医師達を

「神様の様です」

と崇める。

「いえいえ、そんな事」

彼らは顔を見合わせて笑った。

「もしこれから露澪君の心臓移植をして成功したら、その時は私達を

“神”

と崇めてくださいね。それまでは、おこがましいですよ」

そんな彼らの有様を、露澪は冷めた目で見ていた。

 母親の反応から父親から樹里のことを聞かされていないという事は察していた露澪だった。そしてその後やって来た父親は案の定二人っきりになるとこう言った。

「二度とあの女には会うな」

と。

 携帯は

『倒れた時に壊れた』

と言われ、新しいものを渡された。無事に復帰したはずの高校生活では、いつの間にか

『僕は君の親友だよ』

としゃべる新しい友達につきまとわれ、そいつが何をするにもくっついて来る様になった。

「お前、うざい」

露澪は露骨に彼を嫌がったが、ニコニコと笑っていたはずの彼が物陰に隠れた瞬間

「お前に

“つきまとって”

“逐一報告”

しないと、俺の家族がえらい目にあうんだよ」

どす黒い顔で言われ

「そういうことかよ」

むしろ受け入れた。

「だったら最初からそう言えば良いんだよ。友達ぶるから腹が立つんだ」

露澪はちくちくと突き刺さる様な視線をかいくぐりながらなんとかして樹里に連絡をつけられないものか考えあぐねていた。なにしろ最後の記憶が彼の父親に殴られそうになっている樹里だった。彼女の無事を確かめたかった。

 その即席の親友、友延とものぶは有り得ない程仕事に忠実で、露澪の周りを嗅ぎ回る。

「お前、犬みたいだな」

露澪が囁く罵声に

「ああ、そうだよ、俺は犬だからな」

友延はじっとりとした目で答える。

「犬畜生は畜生なりのやり方をするんだよ」

その饐え(すえ)た言い方に彼は諦めを感じていた。携帯をわざと彼に渡しチェックもさせる。どうせだったら何もかもぶちまけた方が楽になる、そんな気がしたからだった。

 そんなある日の事、

「あの、潮崎先輩」

校門を出た所で彼の中学の制服を着た女の子がいきなり声をかけて来た。

「先輩のお誕生日、ですよね」

「ああ、そうだけど……」

それは今日何件目かの

“お祝い”

で、友延もその様子を皮肉そうな表情で見ていた。

「あの、これ、受け取ってください!」

見ず知らずの女の子はその紙袋を彼の手に渡すと脱兎のごとく逃げ出した。

「あ〜あ」

荷物持ちと化していた友延が呆れた声で笑う。

「逃げちゃいましたね」

なにしろ彼に露澪の魅力は分からない。金持ちの坊々。病弱で運動も出来ず馬鹿な女に騙され父親や母親の尻に敷かれるうつけ者。馬鹿正直でお人好し。

「うるさい」

露澪はドキドキしながら

“クイーン”

の名前の入った紙袋を友延に渡す。彼はそっと中を開け、中のメッセージを確かめる。

「“露澪先輩、だいすき!”ですか。可愛いですねぇ」

そのもの言いとは裏腹に彼は乱暴な仕草でメッセージを戻すと

「早く帰りましょう」

彼の背中を押し、迎えの車に乗り込んだ。


     続く


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