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心臓ヲ捕ラマウ #3

 検体は見つからない。検体は見つからない。生活は綱渡り。それでも露澪は

“変わりなく”

暮らしていた。学校への往復が自家用車になり、休日は家で本を読む。映画館も禁止、オーケストラも聴きにいけない。

「そのうち母親が日傘を持って歩くと言い出しそうだよ」

彼は数カ月ぶりのあの資料館の片隅でそう呟いていた。ここだったら館長さんも居て、親も許した場所だから監視はつく事がない。なにしろ資料館の持ち物の半分は本家分家に関わらず潮崎の家に由来するもので、ある意味一家にとっての聖域だ。

「大変ね」

外出もままならない露澪の為に今度は樹里がスコーンを買って来た。

「時々、死にたくなるよ」

彼は嘘とも本気とも着かない口調で呟いた。

「あたしも」

それに応える様に樹里も呟いた。

「えっ?」

あれ程快活な彼女の口から聞かされるとは思ってもいなかったセリフだったから。

「あたしもね、この前の2月に発作を起こしちゃったからさ」

彼女の白い顔が

「ふふふっ」

と笑った。

「節分でね、こう、飛んで来たの、ヒューってね」

手に持った細長い消しゴムを飛行機の様に飛ばしてみせた。

「落花生」

たったそれだけの事だった。

「あたしの場合、アナフィラキシーショックよ。だからそんなに簡単に死にゃしないけど、でも、怖いよ、正直言っちゃえば」

彼女は言葉を続けた。

「最初はむずむずって感じで頭に向かって血が昇って来てね、喉の内側にいきなり沢山の細い手が生えて来て、ギュイギュイって喉を締め付けて来るんだよね」

その目は遠くを見ていた。

「ヤバい、ヤバいって思ってもどうしようも無くって。気がついたら胸元掻きむしっちゃうんだよ」

彼女の白い指先がワンピースのフロントボタンをそっと開いた。

「あっ」

目を逸らそうとした彼を捕らえたのは、見るも無惨なミミズ腫れ。それはまるで山猫に引っ掻かれたかの様に群れをなしのたうっていた。

「今回、意識無くして呼吸停止しちゃったから、しばらく呼吸器をつけていた」

彼女は話した。彼は

『僕もだよ』

と言いかけて止めた。彼がつけた

“呼吸器”

とは酸素マスクの事で、彼女が言っているのは

“気管支挿管”

だと気がついたからだ。喉の奥に留置させられた太い管、白い空気。

 その夜彼は改めて

“アナフィラキシーショック”

について調べてみた。彼女が起こしたのは

“咽頭浮腫”

と呼ばれるもので、気道が腫れ上がり息が出来なくなるものらしかった。

“呼吸停止”

その言葉が彼の頭にこびりついて離れなかった。彼自身、何度も死を経験していた。それなのに、呼吸が出来ずに苦しむ彼女の姿というものは堪え難く、彼を陰鬱な気分にしてくれた。


 月に一度、彼らはこっそりと密会を繰り返す。彼女は自転車で乗り付け、したり顔で物陰に隠れ。彼を車で送って来た母親は、館長に彼を託し

「2時間後にね」

と去って行く。ここに来る事を疑われない様、彼は高校で郷土史のサークルに入り、持って帰った資料で黙々とレポートを仕上げる。彼女の家は樹里にはおかまい無しだった。

 やがて幼かった恋人達は大人への目覚めから目をそらす事が出来なくなっていった。

「ねぇ、樹里。樹里は僕の事、どう思ってるの?」

頬杖をつきながらさりげなく切り出す露澪。本当は数週間前から考えに考えて出たセリフ。

「ん〜」

彼女はイタズラっぽい目で彼を見つめた。

「露澪は私の事、どう思ってるの?」

当然言われると思っていた言葉だから

「そんな、質問に質問で返すっのって、どうだろう?」

彼もふざけて返事をした。

「だからさぁ」

彼女は白い手を真っ直ぐに彼に伸ばし、ふわふわと優しく踊る彼の柔らかな髪の毛をくしゃくしゃと揉みしだいた。

「露澪はこうやって触られるの、嫌な訳?」それは思ってもいなかった展開。

「あっ、そのっ」

年上の少年はたじろぎ、少女は立ち上がり彼の後ろに立った。

「ねぇ、露澪」

彼女の両手が彼の体の前でゆっくりとクロスする。露澪の背中には柔らかな彼女の体、そしてうなじにかかるコロンの香り。

「心臓、キツくない?」

彼女の手が彼の心臓を捕らえる。

「あっ、あっ」

口をぱくぱく開け、彼女の手のぬくもりを感じながらその手の上に自分の掌に重ねた。

「苦しいよ」

そして手を引こうとする彼女を押しとどめ

「苦しいけど、樹里の為だったら死ねるから」思わず漏らしてしまった本音に

「私も、よ」

しがみつく彼女が応えた。綺麗に切りそろえられた彼女の毛先が彼の耳元で揺れていて。そっと合わせられた唇が、彼の心臓に脅威をもたらす。それでも彼はその唇を離したいとは思わなかった。

 二人の恋は手探り。指先の感覚を合わせながら、じりじりと前に進み。一歩間違えば彼の心臓はオーバーワークで破綻する。でも先の進みたがったのは彼の方だった。

 そして

“破局”

が訪れる。

 その日に限って露澪を資料館まで送ったのは父だった。しかも車の時計は狂っていて、グリニッジ規格より15分も進んでいた。父はこれからの会合の都合で先を急ぎ資料館に到着したのはいつもより20分も早い時間。 鉢遭わせたのは正門を入ったすぐ脇の古井戸の角。脇には自転車置き場。

「あっ、君は……!!」

潮崎分家の事実上の当主は、大人特有の子狡さでアンテナを張り巡らせ、本家の娘について露澪以上に詳しく知っていたのだ。

 父は樹里の顔を見つけるや否や蒼白になり若い二人の顔を見合比べた。樹里はハスに構え素知らぬ顔をし、露澪は父親以上に真っ青になっていた。

「これは、どういう事だ?」

怒りに満ちた声がその場に響いた。

「お前達、まさかと思うがつき合っているのか?」

こんな時の為に言い訳になる口実を考えていた二人だった。だが

「どうした? 答えられんのか?」

彼の腕をつかみ鬼の形相で迫り来る父親の姿にたじたじとなり、その一方的な怒りが長い間彼の中で鬱積していた悶々とした感情に形を与えた。

「いい加減にしてくれよ、父さん!」

露澪は産まれて初めて声を荒げ、身をよじり、彼の手を振り払おうとした。

「これは僕と樹里との問題で、あんたなんかが出て来る事じゃ無い! 放っといてくれ!」

「ふざけるな!」

父の太い手が彼の両肩に食い込み威圧的に押さえつけようとする。

「こんな事が母さんにバレたらどうなると思っているんだ? ん? お前も俺も、ただじゃ済まされないぞ!」

その力はあまりにも強く、露澪をたじろがせると同時に新たな怒りを産み出した。

「大人の都合を僕たちに押し付けるな! 樹里の事好きで何が悪い!!」

「何を!」

拳を振り上げた父親の怒りは、冷静な少女の声によって向きを変えた。

「あなたって」

彼女が言う

“あなた”

は父親の事だ。

「噂通りの人ね」

母親によく似た赤い唇が言い放つ。その冷ややかな笑顔。

「この!」

父親はその腕を少女に向かって振り下ろした。


     続く


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