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心臓ヲ捕ラマウ #1

露澪と樹里。二人はその名の通りいがみ合う両家の子供達。

そんな結ばれない運命を結びつける“赤い糸”のお話。ホラー率1%

 見事に敷き詰められた赤い絨毯を、残暑から逃れた柔らかな夕日が包む。山間の小道、遠くヒグラシのカナカナカナという擦れた恋鳴きが聴こえ、吹き抜けた風が彼の足下に咲く彼岸花を揺らした。

“少年”

というよりは少し大人かもしれない。顔の造作は奇妙に女性的で、背は高いもののひょろりとして青白く、その姿は浮世絵に出て来る柳の下の美人幽霊画の様だった。彼の手には不釣り合いな花のリース。薔薇、わすれな草、矢車草。向かう先の木立の中に吸い込まれる様に足を踏み入れ、そのひんやりとした空気の中、彼は

“彼女”

の鼓動を感じながら先へと向かう。

“ドクッドクッドクッ”

水の中にインクを垂らしたかの様に、鼓動の粒子は確実に手足の先まで届き体を満たしてゆく。それは思い過ごしでもなんでもないと彼は信じていた。今、ここで

“彼女の心臓”

が動いている。

 鼓動が最高潮に達したのは、彼がそこに着いたからなのか、それとも彼の気持ちが高ぶっていた所為なのだろうか。キチンと雑草の抜かれた小石の空間に浮き上がった白っぽい御影石はつるつると光ってこれ以上無い程無機質で、死者を弔うという風情よりもまるで映画のワンシーンのようだと彼は感じていた。少年は躊躇いながら、それでも細い指の先でしっかりと捕らえる様に墓石に刻まれた新しい彫り口をなぞる。両の人差し指が溝の嵌り

“潮崎”

それから

樹里じゅり享年18歳”

まだ若い死だ。彼の心臓はまるでつかまれたかの様にきゅっと縮み上がり

「済まなかった」

言葉が苔むした地面に落ち、同時に彼の膝も崩れた。

「こんな、こんなつもりじゃなかったんだよ」

彼の小さな心臓はこの半年の間に初めてと言う早さで鼓動を叩き、それは痛みになって彼の全身を支配した。

「許してくれ、樹里」

不思議な事に、許しを乞い胸元をかきむしる仕草の彼の唇の端には、まるで笑いとも取れる様な微妙な歪みが生じ、そう、笑っていた。

「うふふっ」

それはまるで

“女の様な”

笑い漏れ。それは彼の脳に直接語りかけて来る言葉だった。

『嬉しいの。私は嬉しいの。あなたと一緒にここに来る事が出来て、嬉しいの』

少年は大きく首を振り

“止めてくれ!”

その言葉を言いかけ、大きく飲み込んだ。彼女は死んでしまったのだから。彼は胸の痛みと共に取り返しのつかない罪悪感を抱え、

“愛シテイル”

そのとりとめの無い言葉を思い描いた。


 潮崎家はもともと薬問屋から派生した江戸中期まで家系を辿れる家柄だった。今も昔も人というものは己の生に執着するもので、その事で莫大な富を得、武士の世の中に隠れひっそりと贅を楽しんだ。その本家の末裔が潮崎樹里だった。

 彼女が12歳の春に二人は出会った。樹里の祖父が他界しその葬儀での事。彼女のセーラー服に結ばれた真紅のリボンは鯨幕(葬式の時に使う黒と白の幕)の中にひときわ鮮やかにたなびき、彼は思わず立ち止まってそんな彼女に見入ってしまっていた。すらりと伸びた細い手足。首筋で綺麗に切りそろえられたおかっぱの頭。瞬きもせず正面から見つめ返す真っ黒な瞳。冷たい表情をたたえる口元。まるで陶器で出来た人形の様だった。そのくせ

「樹里!」

父親らしい男に呼ばれ振り向いた仕草は

「はい、父さん」

まるで小リスの様に軽やか。

「今、行く」

静かな葬儀の中、彼女が翻したスカートの流れだけが生命に溢れていた。 


 露澪ろみお等と言うふざけた名前を息子につけてしまった事を彼の父は後に後悔した。それは母親が当時バレエに凝っていて

“ドラマティックな名前”

をつけたいと主張したからだった。何せ入り婿。彼女の意向に逆らえずつけたのだが、彼が産まれた半年後、本家に娘が産まれ、あろう事か

“樹里”

と名前を付けられ唖然としたものだ。そしてその父親に出産祝いを送った際に

『なぜ』

と聞き、

『妻がつけたのだよ』

でっぷりとしたその男がニヤニヤと笑うのを目にして言葉を失った。

『私の名前が喜一で妻の名前が里子だから、喜と里で樹里。こいつが縁起がいいと言うからね』

 彼の妻、つまり樹里の母親は当代きっての

“狂女”

と呼ばれていた女だった。彼女の母親はどこかの怪しい宗教関係の伝道師で、彼女自身、秘密裏に

“降臨”

と呼ばれる秘め事を執り行っていると言う噂だった。かといって醜い訳ではなく、むしろ男だったら誰でも惹き付けられてしまう様な誘蛾灯の様な魅力を持つ女で、このちいさな街で一見排除されつつも、根強く、したたかに生きて来た母娘一家だった。

 彼女はかつて

“潮崎の家を恨んでいる”と言ってはばからなかった。それは彼女の祖母が心臓を患った時、潮崎の家は薬を出してくれなかったからだと言う。

『でもね、そんな昔の事、忘れなさいって私の神様が言うの』

里子はちいさな口元で

『ほほほ』

と笑った。

『過去の事は水に流せって、ね。だからこうして潮崎の本家にお嫁に参りましたのよ』

どこまでも気味の悪い女だった。そして出産を終えたばかりの彼女は子供を床に転がしたまま夫にしなだれかかり、彼はそんな妻を見せびらかすかの様に膝に乗せ、目の前の分家の当主に言い放つのだった。

「まぁ、男と女の情を語っても、お前には分からんだろうがな。なにしろ金を持っているとはいえあんな醜女しこめを相手に出来るお前さんの事だ。いや、たいしたもんだ。これは褒めているぞ」

ニヤニヤと腹の底から笑い

「俺だったら起つモノも起たんわ」

彼女の手を握った。

 

 潮崎の本家と分家は暗に漏れず仲が悪かった。家分けしたのはずいぶん昔、江戸末期。きっかけはある代で弟が医師になった事。当時幅を利かせていたのは兄の本家筋で、分家の条件は

“薬を扱わない。医師業だけをする”

だった。が、昭和の始まりとともにその立場は逆転をする。陸軍の軍医になった分家はめきめきと頭角を現し、この街一番の権力者になった。そして次々とやって来る大手の市場参入に負けた本家は、ほそぼそと健康食品を販売し生計を立てるに至る。

 そのような経緯があり、潮崎の本家と分家の関係は血を分けていたからこその確執が有った。それは

“呪詛”

『あそこにだけは負けられない』

商売でも、学歴でも、結婚相手でも。暗い闇の底、ぽっかり開いた奈落から過去の亡霊が這い上がり、彼らの足首をつかみ地獄の淵へと誘う。

 露澪も樹里も物心ついたときからそんな大人達から

“見ず知らずの相手を”

呪う言葉を聞かされて育った。


 不幸な事に露澪には持病があった。左心室拡張型心筋症。普通に

“心臓病”

幼い頃から走る事を禁じられ、長くは生きられないと皆に言われながら、それでも奇跡的にすくすくと育った。その上不幸だったのは彼が素晴らしく才能に溢れた少年だった事。ピアノとバイオリンに始まり語学にもすぐれ、当然休みがちな学業でも群を抜き。

「東大か慶応の医学部を」

皆が期待していた。

『心臓さえ保てば』

 彼に必要だったのはたった一つ。

“移植できる心臓”

 彼は生きたいと願っていた。本心から医師になり、自分と同じ様な境遇の人達の助けになりたかったのだ。そんな思いを秘めながら

「僕は大丈夫」

彼は病弱な子供にありがちな

“卓越感”

で世の中を語った。

「僕だけが苦しんでいるんじゃないから。それに僕の所為で周りのみんなに迷惑をかけている。それが辛いんだ」

青ざめた顔で笑いながら、怒りも不満も宿さない瞳でそう言った。

 彼の心臓はタイムリミットを刻む。チックタック。彼の心臓の機能は彼の体の成長について来る事が出来ない。チックタック。送られなければいけない末梢の血液はいつか止まり、その

“成長”

故に脳幹が欲しがる酸素を送り出す力が無くなる。ポンンプの絶対的容量が足りない。その日は静かな足音と共に近づいていた。


 再び彼が樹里を見かけたのは、彼女の中学での学祭でのとこだった。二人は違う学校に通っていて、それぞれがそれぞれに有名人だった。

「ジュリエットが学祭で舞台やるらしい」

夏休み明け、彼の中学で聞いた噂だった。

「それって、誰?」

露澪は好奇心でそう聞いた。だって自分と

“対”

になる名前の持ち主だ。興味が有る。本ばかり読んでいて、いっその事破滅的なロマンスでも味わって死ねたら慰みだと思う身の上。聞かれた当人はばつが悪そうに口ごもり

「潮崎樹里」

そう答えた。彼らは子供ながら潮崎家の反発を知っていて、彼の耳にあからさまな噂が届かない様に気を使っていたのだった。



続く


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