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黒ク蠢キ #4

 屋根裏部屋にいた彼らが騒ぎ出す。沢山の生ゴミを漁り、栄養をつけ、体中のテカリを増しながら。ブーンブーン。跳ねの音が冴えわたり、気持ちを高ぶらせてくれる。ブーンブーン。

「ママ!」

パパはあまりの薄気味の悪さに声を震わせながら台所に戻った。彼女は何をする事も出来ずただ呆然と立ちすくむ。

「大丈夫だから」

彼は毅然とした態度で冷蔵庫に向かい、そして……。ブーンブーン。彼よりもほんの少し先にやって来た数匹の羽音が小さくなってそして消え。

「これでもくらえ!」

叫びスプレーを構えかけたパパの口に

「うあぁつ!!!」

一斉に飛び立ったゴキブリがひょうのように飛び込んで来た。それは、わさわさと、わさわさと。黒い固まりがぶち当たる。

「ぐえっ!」

一瞬で口の中にゴキブリが溢れる。彼の声にならない叫びがこだまする。口を閉じれば良い? それも有りだろう。でもそれをしたら……

「ぐちゃっ!」

慌てた彼の奥歯がゴキブリを噛みしめる。どろりとした粘液、喉の下に落ちて行く

“かさかさっ”

その長い触角とよく動く足。

「ぐえええっ!!」

彼は全てを吐き出した。夕食はまだ食べておらず、出て来るのは胃液だけ。それでも彼は絞り出す。そしてついたその一息に

「っ!」

彼らは飛び込んでくる。

 彼らとて決意があった。と言っても本当に考えている訳ではなく、本能に従ったまでの事。

“こいつ、害虫。こいつ、害虫。だから始末しなければ”

そして彼らが出来るたった一つの武器を使い襲ったまでの事。

 ばちばちと襲って来る無数のゴキブリ、振り払えども振り払えどもいなくなる事は無く。

「きゃぁ〜〜〜!!」

後ろ手にママの悲鳴を聞きながら駆け寄ろうとし、パパは再び飛び込んで来たごくぶりを喰らう。その一匹は素早く胃の底まで落ち込み、蠢き、その下を狙い済まし、突き進む。胃に穴が開こうが、強い胃酸に焼かれようがどうでも良かった。なぜなら彼女は卵を抱えていたから。小さな卵、可愛い赤ちゃん。やがて死んだこの男の中、ゴキブリなればこその生命力で再び日の目を見てくれるものと信じながら、彼女は泳ぐ。泳ぐ。

 全身にゴキブリを纏ったパパを彼女は

『怖い』

と思った。悪夢の様なワンシーン。彼女は手を伸ばす彼から後ずさる。腕の中の赤ちゃんはそんなパパの様子を見ながら

『面白い』

と笑い、声を立てる。

「きゃっきゃっ、きゃっきゃつ!」

ちいさな

“戦闘員”

はそんな二人にも襲いかかる。その口元に、そのうなじに。Tシャツの脇の下、首筋。垂直でも逆さまでも構わない。ゴキブリに不可能は無い。服の小さな隙間から潜り込み、より小さな隙間に入り込む、より敏感な肌の奥。それはまるで流れ込んだ

“タール”

黒くヌメヌメと光沢をたたえ、肌にまとわりつく粘着質。隅々まで行き渡りべったりと張りつき、その不愉快な足跡は脳の隙間にさえもこびりつく。ただ違うのは彼らには意志が有り、動いているという点だ。それゆえ重力にも逆らい、自然の法則にも反する。まるで人間の様に。

 そして彼らはいつしか目的を忘れ、

“己のしたい事”

へと突き進む。快楽へ、快楽へ。大好きな

“小さな隙間”

より狭い所へ、より狭い所へ。そして程よく暖かく、柔らかな場所。それから暗がり。太陽の日の届かない、隠された場所。

「きゃぁぁ!!」

ママは精一杯ゴキブリを払う。同時に床に落とされる赤ちゃん。しかし彼女の頭の中にその事実は響かず、バウンドして転がった彼女はゴキブリの渦の最中へと飛び込んで。

「きゃっ、きゃっ!」

赤ちゃんははしゃぐ。手に触れる小さな動くものに目を細め、反射的に口へと含む。

“ばりっ!”

それは新しい玩具。口の中でぱたぱたと喘ぎ、刺激的。

“ばりっ!”

彼女は楽しそうに新たな一匹をくわえ込む。まだ離乳食は始まってはおらず、上手にごっくんは出来ないから

「だぁ〜」

といって口の端から垂れ流すのが関の山ではあるが……。彼女はこの新しい環境に大満足だった。


 どうやって行き延びたのか分からない。朝日の映えるリビングには一面の黒い固まりがまるで碁石を転がした様に波打っていた。ママは起き上がるとあたりを見渡し、もぞもぞと動いている自分の赤ちゃんを抱え上げた。

「無事だったのね……」

そして愛娘が口にくわえているゴキブリの羽がぶるぶると震えるのを見た。

「駄目ですよ、菜摘ちゃん」

ママはその子の口の中に指を入れ、優しい笑顔を浮かべた。

「菜摘にはまだ早いですよ」

そしてその指の先に摘まれたゴキブリを……。

「バリッバリッバリッ」

奥歯で噛みしめた。

 ママは静寂の時間を楽しんだ。口の中には香ばしい香り。まるで小さい頃にお婆ちゃんが作ってくれた

“イナゴの甘露煮”

を思い出し、

“でもこれは失敗作だわ。だって甘さが足りないもの”

そんな事を考えながら、ねっとりと舌に乗るタンパク質の美味しさを味わっていた。


『ねぇねぇ、どうして? どうして人間は僕達を嫌うの? 僕たちはこんなに人間が好きなのに』


それはゴキブリ達の永遠の謎。

 毎日人間達との戦いに明け暮れ、疲れた彼らの叫び声。 

 朝日が昇ると、眠気を覚えたゴキブリ達は巣穴へと帰る。屋根裏部屋へ、屋根裏部屋へ。

『今日は疲れた、沢山の仲間も死んだ』

『でも今はねぐらに帰って御馳走を食べよう』

『そして、寝て』

『繁殖をして』

『良い夢を見よう』

きっと今晩にもまた新しい命が供給され、彼らの繁栄は揺るがないのだから。



     黒ク蠢キ 夜ハ過ギ 心臓ヲトラマウ 第四話ヘ


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