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黒ク蠢キ #2

 病院からの帰り道、彼女はため息をついた。娘の菜摘に別状は無く、

『“立っち”の練習をしていて頭を打った』

嘘をつく彼女にその医師は同情してくれた。

「赤ちゃんが頭を打ち付けるのはよくある事です」

 重く膨らんだマザーズバックを持ち直し、彼女はバスが来るまでの20分の間ため息をつき続けた。朝から降り出した今や雨は土砂降り。ずぶ濡れだ。

 帰宅したパパに彼女はやんわりと今日の出来事を聞かせた。

『横になって思わず寝ちゃってて、その上に菜摘が乗って来ちゃってね、びっくりしておき上がって、この子の事、突き飛ばす形になっちゃった』

あの正体不明な恐怖体験は話せなかった。


 その夜の間雨は降り続き、次の日は快晴ながらも蒸し暑い日になった。ママは気分を滅入らせていた。そこに遊びに来たのは

「晴れて良かったね」

学生時代からの古い友人。

「今度転職し占い師としてデビューする事にしたの」

来週からお店を開くと話し

「じゃぁ早速」

頼まれもしないのにおどけた仕草で占いを始める。

「今、心配事があるわね」

「えっ!」

ママは動揺を隠しながら

「どうしてそう思うのよ」

と切り返した。ソレは当たり前の

“テクニック”

と知りながら、彼女の心をかき乱す。

「だって占いにそう出ているもの」

友人はひょいっとタロットカードを裏返す。

「原因は……。この家でしょう」

そして綺麗にクロスを張り替えている壁をぐるりと見回した。そのしかめっ面の後、もう一枚カードをめくり、

「前にこの家に住んでいた人、ペット飼っていたね……」

彼女は言葉を濁した。そこでママは思い切って打ち明けた。あの気味の悪い音と金縛りの一件を。友人は誰も聞いてなどいないというのに、

「気をつけて」

ママの耳元で囁いた。

「これって聞いた話しだけど、人間よりも動物の恨みって怖いらしいよ」

細められた目の奥がぎらりと光った。

「この家の前の持ち主さん、亡くなったって言ったよね」

「う、うん。そう。でもお祓いはしてもらったって不動産屋さんは言ってたよ」

確かにそう言っていたはずだった。

「だからね」

両肩をすくめながら友人は続けた。

「ペットの方は成仏していないのかもよ」 

 ママは友人の話しを真に受ける事はしなかった。もともと霊魂なんか信じていない。でもだからといって気にならないはずがなく。

「お香でも炊いてみようかな」

彼女が帰った直後、ママは数年前にバリ島のお土産でもらった使うアテのないお香を焚いた。

 その結果、その夜からは何事も無くぐっすりと眠れたのだった。

「本当にそうなのかも……」

半信半疑のままお香を焚き続け、その間の10日間は確かに異常を感じる事は無く。

「怪しいよな」

日が過ぎる。そしてその日がやって来る。もらったお香は底をつき、でも霊魂を本気で信じていた訳ではないママは

「大丈夫」

と横になる。

 ブーン、ブーン。それは羽音だ。彼女は真夜中に目が覚め、ハッと飛び起きた。夢じゃない。確かに聞こえる。

「ねぇ、パパ、起きて」

思わず彼を揺り起こそうとし

「何だよぉ」

露骨に不機嫌な彼に腹を立てた。

「変なのよ、ねぇ、聞こえない?」

しかし彼は

「冷蔵庫、故障したんじゃないか?」

と言って笑い再び眠りについた。良い歳をした大人が

『怖い』

その一言を言えなくて、タオルケットを頭から被った。そして翌日から夫には内緒で毎日香を焚いて

“供養”

をする事にした。その甲斐有ってかあの音や金縛りは姿を消して、穏やかな日々を過ごす様になった。

 それ以外の事に関して新しい家は快適。あの屋根裏部屋は物置として使うだけではなく、二人のホビールームになり、パパはエヴァのフィギュア、ママはドールハウス。それらを飾って

“自分達の家”

の気分を盛り上げた。そして8月も半ばに入りお盆がやって来る。今年の帰省はパパの仕事が休めなくママと菜摘だけが彼女の実家に帰ることになった。

「しっかりお掃除して、ゴミはきちんと出してよね」

彼女のアドバイスはそれだけ。あの

“ブーン”

という音に気がつかなかったパパだし、お線香を焚いて供養してねと言ってもどうせ笑われるのがオチだと思った。

「気をつけて行っておいで」

パパは手を振り二人を見送ったその夜、内緒で借りて来たアダルトビデオとビールを片手に

“夜”

を満喫した。パラダイスな一週間。どんなにだらしなくてもおとがめ無し。テレビの音が大きすぎると文句を言うママも居ず、夜更かしも平気だ。子供の泣き声で目を覚ます事がない分、短い時間でぐっすりと眠れ。片付けをする必要も無く、ビールの空き缶もキッチンの流しに突っ込んだまま会社に行く。食事は新商品のコンビニ弁当やインスタントの大盛り焼きそばを食べ漁り、食べカスのこびりついた空容器は一番大きなゴミ袋をパンパンに溜め尽くした。そして問題が起きる。

「参ったな」

明日にはママが帰って来るというのに、今日の朝にゴミを出し忘れたのだ。これは絶対に怒られる。彼はどう誤摩化そうかと考えた挙げ句妙案を思いつく。あの屋根裏部屋に隠してしまえ。ゴミの日は月・水・金曜日。一日待ってこっそりと出せばバレやしない。そしてそれは一見上手くいったかの様に思えた。

 久しぶりの一家団欒。彼女はちょっと不安そうに

「何も無かった?」

と聞く。

「無かったよ、もちろん」

そのいかにも

“何も無かった”

口調にほっとし

「私の方はもう大変だったんだから」

ママは大げさに身振りをした。

「おじいちゃんもお婆ちゃんも菜摘に甘過ぎなのよね。振り切るのが大変だったわ」

 その夜みんなで食事をとろうとした時の事だ。買って来たお惣菜を広げ、冷蔵庫からまとめ買いしていた発泡酒を取り出そうたパパが最初に気がついた。

「あれ? 冷えていない?」

しかも開け放たれた冷蔵庫の中は明かりもつかず。

「おかしいなぁ」

彼は首を捻った。

「ねぇ、ママ。冷蔵庫の電源が切れているみたいなんだ」

「え〜、本当に?」

彼女は小走りに駆け寄り冷凍庫の引き戸を開けた。

「本当だ」

冷凍していた氷はもちろん、枝豆やミックスベジタブル、春巻きもひき肉もイカロールも全滅し、微かな異臭が漂った。

「嘘でしょう? もう、嫌だ! 何でこんな事になったの? もったいない!」

「おかしいなぁ。昨日の夜までは大丈夫だったのに……」

ママの態度に

“自分が悪い”

と言われている感じがしてパパは言い訳をする。

「何だか冷蔵庫そのものが動いていないって感じだよね」

確かに冷蔵庫に触れるとヒンヤリとし、動いている時特有の熱気を感じさせず。二人は全ての扉の開け閉めを何回か繰り返した。もちろんそんなものでは電源は通じない。

「コンセントを入れ直してリセットしてみようか」

思いついたパパ様にパパは言う。

「コンセントに埃がつまって接触不良を起こしているのかも」

ありがちな話しである。ママはもう食べれない食材をため息まじりに全て取り除く。パパは

『腕の見せ所』

と冷蔵庫をそっと動かした。旧式の冷蔵庫。家を買う資金を調達するため、今までずっと我慢して買い替えずにいた。

「もしかしたら新しいのを買えって神様が言っているのかもよ」

笑う彼の足下に

“ぽとり”

何かが引っかかって落ちて来た。その黒い固まりに

「きゃっ!」

慌てたのはママ。

「ゴキブリ!」

そうソレはまるまると太ったゴキブリで。

「大丈夫、死んでいるから」

一瞬焦ったもののパパは自分を取り戻し冷静に答える。

「大丈夫」

作業を中断しティッシュでくるんで捨ててからまた冷蔵庫を移動させる。じりっ、じりっ。彼女は

“何となく”

悪い予感を感じていて

「菜摘ちゃん、ほっといてごめんね」

一番正当性のある言い訳でそこから逃げ出し、パパに背を向けた。だって、だって。もしそうだとしたらあの

“音”

のつじつまが合う。そして

「うあぁぁぁ!!」

彼女はパパの悲鳴を耳にして、ソレを確信した。

「ちょっと、ママ! こっちに来て!」

パパは吐き気を堪えながら後ずさった。

「何?」

彼女は恐る恐る振り返る。そしてそこに見たのは、冷蔵庫の裏にびっしりと張り付いたゴキブリの大群だった。


     続く


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