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息モ苦ルシク #6

 8月13日はとても暑い日だった。クーラーをつけていても汗が流れる。そんな日に夫は遠く四時間のドライブを経て家に帰って来た。

「ただいま」

手には沢山のお土産。子供達は喜びマリコも微笑む。なにしろ好きで結婚した相手だし、悪い言い方をすれば

“略奪愛”

彼女は勝ち組だ。その事を彼女は信じていたはずだった。家族みんなで囲む食卓。ユカリは最近めきめきと偏差値を上げている事を自慢し、パパはニコニコと合図値を打つ。息子とパパが男同士で入るお風呂場にパジャマを持って行くと

「ママはね、とっても優しいんだよ」

シンの涙ぐむ様な声が聞こえ、マリコは満足して台所へ戻る。

「僕がおかしくなっちゃって暴れても許してくれるんだ。でもママもおかしくなって、狂った様になっちゃうんだよ。お姉ちゃんもそう。気味が悪い位、優しいんだ。何だか宇宙人と暮らしている気分だよ」

彼の本音を聞き逃しながら。

 そして半年ぶりに合わせた夫の肌に小さな痣を見つけた。

 何となく予感は有ったのだ。二人でベッドに入った直後、枕元に置いていた彼の携帯が振るえ

「多分会社からだ、出ない訳にはいかないな」

と言って彼は部屋を抜け出た。話している内容は聞こえない。でも声は聞こえる。ひそひそと、ひそひそと。まるで謝っている様な気配と、薄ら笑い。

 ベッドに戻った彼に彼女は素知らぬフリで声をかける

「どうだった? 大丈夫?」

彼は曇った声で答える。

「ああ、大丈夫。部下が分からない書類について聞いて来たんだよ、全く。こっちは休暇に入っているって言うのに、最近の子は使えなくて困るよなぁ」

微かに臭う男の嘘を

「大変ね、男の仕事って」

労うフリをする彼女に

「本当にそうだよ」

彼は騙せたと信じ込みニヤッと笑った。

 マリコは実の母と仲が悪かった。その人は酷い皮肉屋で、真面目なマリコをいつでもからかった。そして結婚式には

『あんたもヤルじゃない。でもね。浮気をする様な相手はまた浮気するんだよ。覚えときなさい』

の言葉を贈った。

 次の日の朝、彼女は例の発作と共に酷い頭痛に襲われていた。

「大丈夫か?」

彼は優しそうに彼女を気遣う。

「今まで頑張っていたから急に疲れが出たんだな」

そして

「たまにゆっくり休めば良い」

と彼がシンを遊園地に連れて行き、彼女を一人にしてくれた。

 マリコはぼんやりとキッチンに座って冷めたコーヒーを啜る。まさかそんなことが起こるなんて夢にも思っていなかった。彼女は完璧な妻で、完璧な母。

「何が悪いの?」

そう自問する。

「そうだ」

彼女は立ち上がり彼の持って帰って来た荷物を調べる事にした。

「まだ浮気って確定した訳じゃないしね」

と。確かに彼は年の割には童顔で、おっとりとした性格だった。しかし嫌われる性格ではないものの、モテるかと言うとそうじゃない。だから大丈夫。彼女は自分に言い聞かせた。母親が言った様な悲劇は起こるはずが無い。

 その晩の夕ご飯は夫の好きな茄子にひき肉を詰めて揚げた料理にした。

「おおっ、食べたかったんだ、これ」

彼は生姜醤油で味付けされ、だし汁をたっぷりと吸った茄子を口いっぱい頬張る。

「これこれ。この味だよ、な?」

子供達に笑いかける夫をマリコは満足げに見つめていた。

「だってあなたの大好物ですもの。喜んで欲しいから頑張って作りました」

本心から。

 彼の荷物からはそれらしい痕跡は出てこなかった。胸ポケットの領収書も、怪しいポイントカードも。特に増えた持ち物も無いし、化粧の移り香も無い。彼女は

“気のせい”

だった事に気をよくし、彼にビールを注いだ。

 息子にはいつものようにハルシオン。でも昨晩からはストッカーに入れず、普通にベッドで寝かした。お楽しみは減るけれど、今日は仕方が無かった。だって今日は、彼女達にとって

“いい子に”

していたのだから。

 幸いおねしょをする事も無く、朝起きた彼は

「あれ? 今日はベッドで寝ている」

不思議そうに首をかしげた。彼女は

「そう言う事も有るわよ」

と誤摩化し、夫はいぶかしい顔をしていた。


     続く

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