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息モ苦ルシク #5

 八月に入り、彼の反抗期は止むどころかエスカレートしていた。時に物を壊す程それは酷く、なだめていたはずのユカリの表情から笑顔が消え、表情が険しくなった。

「辛いよ、ママ」

それは受験を控えた彼女の心理と同時に、心底弟につくす母を見て思わず口から出てしまった言葉。母の喉の奥から聞こえて来るまるで死人の様な悲鳴は、全て弟の所為なのだ。

「あんな弟、居なくても良いのに。そうだ、いっその事パパと一緒に暮らせば良いんだ!」

「まぁ!」

母は驚き

「そんな事、言っちゃ駄目」

口先だけでたしなめた。そしてひっそりと顔を見合わせ、彼女達が親子である事を悟った。

「私ね、知っているんだ」

ユカリはシンの居ない居間で母親に向かってそっと呟く。

「ママの秘密、私、知ってるんだから」


 八年前、彼女は二人目を妊娠したと分かった瞬間、夫に騙されたと思ったものだった。ユカリがお腹にいた時、彼女は妊娠中毒症で入院し正に死ぬ思いをして産んだのだ。もう二度とあんな経験をしたくはなかった。それなのに

『大丈夫。妊娠しない様に上手くやるから』

彼はストックの無くなった避妊具の事をうやむやにし、最後まで行為に耽り二人目を妊娠させたのだった。青ざめた彼女が

『堕ろしたい』

そう相談を持ちかけた時、彼は

『あ〜、それじゃあおふくろにはマリコから説明してくれない?』

頭を掻きながら答えた。

『もう実家にはお前が妊娠したって話し、しちゃったからさ。ほら、女って嘘が上手だろう?』

彼はまるで今晩の夕ご飯のメニューを変える様な手軽さで話しを続けた。

『流産したって言えば済む事だから、な、頼むよ。オヤジもおふくろももう一人産まれるってかなり喜んでたから、俺の口からは言えないよ』

その週末、彼の実家からかかって来た電話は

『もう一人産む気になってくれたアナタはとても偉い』

という賞賛だった。

『もう子供は要らないなんて言って出て行ったあのあばずれとは天と地程も違うわね』

その事が彼女に子供を産む決心をさせてくれた。私は前妻とは違うのだと。自分の命をかけてでも子供を産んでやると心の決め、いざとなったら自分が死ぬ覚悟を胸に 

“我と我が身を犠牲にして”

子供を産むという行為は、夫やその両親の希望に応える事なのだから。

 そうして産まれた子供がシンだった。切迫流産をしそうになり、最後は帝王切開で。彼は産まれる以前から彼女の悩みの種だった。そう、今でも。


 娘に知られている。察してはいても、彼女は夜の儀式を止める事が出来なかった。午後七時になると彼は

“死んだ様に”

眠る。ハルシオンの増量も無く、世間の疑いも招かず。彼の寝息を聞いていると

『これは“勝利”だ』

そんな気持ちが彼女の中に湧き上がったものだった。そして繰り返される、

“人間椅子”

もちろんプラスチックの箱の中に入っていて彼が潰れる事は無いし、蓋をしたまま放っておく事もしない。さすがにそれをしたら窒息する。死んでしまう。それでもかなりヤバい状況が、

「うふっ、うふっ」

彼女に壮絶な

“気持ち良さ”

をもたらし、気がついた時には夜を楽しみにさえする様になっていた。シンが荒れれば荒れる程、彼女の行為は正当性を増し、辛い陰鬱とした心の下で数時間後に訪れるはずの快楽を夢見る様になった。彼を密閉しているジャスト5分。それ以上を望む事はしない。でもその短い間に彼女は完全に

“リセット”

され、新しい

“母親”

に生まれ変わる。

 パートで新しく入った女の子の時給が自分と変わらない事も。その子がまるで使えず、尻拭いでしている残業が

『さすがにそれは給料出せないよ』

とお店のオーナーに言われても頑張って仕事をしてしまう事も。肝心なその子が言った

『私がいたら邪魔ですよね。だから先帰ります』

の言葉に仕方が無いわねと納得している悲しい自分もオールクリア。

 ユカリの夏期講習に新しいコースが追加され、三日以内に申し込まなければいけない3万円の工面も。

 街で会ったシンの同級生の女の子の親に

『シンちゃんは少し乱暴が過ぎますよね』

と面と向かって言われた事も。

 全てリセット。

“頑張れる”

私に戻る。


 やがてユカリは昼寝をする様になった。あまりにうるさい弟から逃げる為。そしてぱっちりと目が覚めた夕方に、

「私も一緒にシンに絵本読んであげたいな」

えも言われぬ表情で彼女は母に相談を持ちかけた。

「ええ、良いわよ、ね、シン」

 二人は並んで座った。プラスチックの容器はたわみ、ぎちぎちと軋む。いつしか母娘でタイマーモードの携帯を握りしめる様になり、きっかり五分を計る様になった。二人同時に息を吸い込み、目を閉じる。きっかり五分。その間示し合わせたかの様に呼吸をひそめ、まるでスキンダイビングを楽しむかの様に意識の底に沈み込む。その長くて短い五分間を楽しみ、ぎりぎり一杯まで痺れる様な快楽を味わう。当然、罪悪感が無い訳じゃない。むしろそれが良いのだ。自分達の体の下に有る命が危険に晒されていても、それは彼の行いの悪さを懲らしめる為のもの。悪いのは彼。二人は悪くない。

 目を開けた瞬間、手元の残り時間を示す秒数が少なければ少ない程、二人は快楽を深め、明日への活力を身につけるのだった。


     続く

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