第6話 暗殺者は世界事情を知る
明滅する信号機を無視して、警察車両が交差点を曲がった。
陥没した箇所や、放置車両を避けながら進んでいく。
地形的にあまりスピードは出せない。
ケイトは慎重に運転していた。
一方で彼女は、意識を周囲の警戒にも向けている。
戦闘時は焦りが目立っていたが、それなりに頑張っているようだ。
新人であることを加味すれば、よくやっている方だろう。
俺はそんな彼女に話を切り出す。
「ところで、こんな状況になった経緯を教えてほしい。できるだけ詳しい方がいい」
「経緯、ですか……」
ケイトは難しい表情をする。
こちらの質問の意図を掴めていないようだった。
「ああ、そうだ。さっき陸に上がったばかりでね。海を漂流していたせいで、何も知らないんだ」
「そ、そうなのですね」
補足を聞いたケイトは納得した顔になる。
漂流という部分が気になるようだが、それは後で話せばいい。
先に経緯を知っておきたかった。
俺に促された彼女は、ここ数日間の出来事について話し始める。
ある日、街中にモンスターが出現した。
もちろん人々はパニックに陥り、逃げ惑う羽目になる。
だいたい旅客機内の様子と同じだろう。
あれが数千倍の規模で起きたのである。
テレビやインターネットによると、全世界で同時刻に騒動が起きていたらしい。
どこもかしこも混乱状態だったという。
識者によると、異次元に存在する世界が地球に重なってしまったのが原因とのことだった。
同時に別世界の法則が混ざり込み、さらなる混沌を誘発した。
それがレベルやスキルといったものだろう。
騒動の原因は不明で、何のきっかけもなく始まった。
警察官の彼女は緊急出動し、人々の保護やモンスター討伐に尽力した。
それでも多大なる犠牲は防げず、現在でも街の機能は完全に麻痺している。
昼夜問わずモンスターが徘徊する危険地帯と化しているとのことだ。
生き残った人々は、街の各所に潜伏している。
或いは安全地帯を求めて脱出しており、表立った騒動は沈静化していた。
実質的には、モンスターに支配されてしまった状態だろう。
現在、警察署では生存者を保護し、モンスターとの防衛線を繰り広げている。
他にも街中の物資調達等も並行しているそうだ。
ケイトはその中でも生存者の保護の担当であった。
リスクの都合で誰もやりたがらない中、寝る間も惜しんで行っているという。
それを聞いた俺は素直に感心する。
「大した勇気だ。なかなかできることじゃない」
「同僚や上司からは、何度も止められているのですけどね。やっぱり危険なので……」
ケイトは照れ臭そうに苦笑する。
彼女のことだから、居ても立ってもいられなかったのだろう。
ビーチで俺のもとに現れたのも、保護活動の一環だったに違いない。
こうして警察車両で巡回して生存者を探しているらしい。
「それでも褒められたことだと思うぜ。人助けは良いことだ」
ケイトは決して強くない。
下手をすれば、すぐに殺されそうなほどだ。
それだというのに、彼女は誰かのために行動していた。
紛れもなく善人であり、俺からすると眩しい人物だった。
(それにしても、異次元の世界か……)
俺はケイトの話を振り返る。
途方もない話で、まるでSFか何かのようだ。
しかし、納得できるのも事実である。
そう判断せざるを得ない出来事が連続していた。
この辺りの真偽については、専門家に任せればいい。
俺にはよく分からないし、考察を重ねたところで解決できるわけではなかった。
正直、そこまで興味もない。
概要だけ理解しておけば十分だろう。
その時、フロントガラスに何かが落下してきた。
表面に亀裂が走り、落下物のせいで前方が見えなくなる。
へばり付くのは白骨死体だ。
顎骨を打ち鳴らしながら、フロントガラスを殴って割ろうとしている。
「う、わわっ!?」
ケイトが驚愕し、途端に運転が粗くなった。
前が見えなくなったことで動揺しているのだ。
このままだと、どこかに衝突しそうだった。
俺は白骨死体を観察する。
まるで生き物のように活動していた。
いきなり落下してきたが、建物の屋上から跳びかかってきたのだろう。
「へぇ、動く骨か。名前は何だろう」
「スケルトンですっ!」
ケイトは半ば悲鳴のように答える。
彼女はブレーキを踏まない。
動転して忘れているのだろうか。
もしくは、メインストリートで停車すると危険なのかもしれない。
俺は助手席の窓から身を乗り出し、スケルトンの頭部を掴んだ。
そのままフロントガラスから引き剥がす。
視界が復活したことで、車両は蛇行運転を終了した。
「悪いが、ヒッチハイクはよそでやってくれ」
そう告げて、俺は身体を席に戻す。
掴んだままのスケルトンは、自然と引きずられる形になった。
スケルトンは抵抗するも力は弱く、気にするほどではない。
俺は運転するケイトに指示する。
「車両をもう少し右に寄せてくれ」
「こ、これくらいですか?」
「いいね。上出来だ」
前方に街灯が見えた。
ちょうど真横を通過する位置である。
俺はすれ違いざまにスケルトンを街灯に叩き付けた。
衝撃でスケルトンが四散した。
ばらばらになって後方へと流れていく。
掴んでいた頭部だけが手元に残ったので、指に力を込めて頭蓋を粉砕して捨てた。
スケルトンの頭部は、道路にぶつかって軽い音を立てる。
俺は骨粉の付いた手を払った。
一部始終を見ていたケイトは、深く息を吐いて安堵する。
「テイラーさんは、度胸があるのですね」
「ハンクでいい。俺の場合は、度胸というより場数の関係だがね。慣れれば人でもモンスターでも大差ない」
「人、ですか……?」
ケイトは困惑気味に言う。
気を抜いて口を滑らせてしまった。
俺は話題を変えることにする。
「ところで、俺も警察署で保護してもらえるって認識でいいのかな」
「そうですね。ハンクさんはとても強いですし、こちらとしても頼もしいです。それで構わないですか?」
「ふむ……」
俺は腕組みをして考える。
ケイトの厚意は嬉しい。
拠点を探していた俺としては、警察署の守りは悪くない。
銃火器も大量に保管しているだろうから、是非ともいくつか拝借したかった。
ただ、俺の素性が問題として立ちはだかる。
警察署なら、基本データくらい載っているだろう。
顔を把握している者がいるかもしれない。
この非常事態なら目を瞑ってもらえる可能性もあるが、トラブルになる恐れは否定できない。
様々なパターンと損得を考慮し、その末に俺は頷く。
「ああ、いいよ。どこへ行こうか迷っていたところなんだ。警察署なら安全に休めるだろうからね」
面倒事に巻き込まれた場合は、その時に考えればいい。
断るほどでもないだろう。
警察署への立ち入りを断られるのなら、大人しく離れることもできる。
「ありがとうございます!」
ケイトは嬉しそうだった。
保護してもらう側が感謝すべきなのに、彼女は頭まで下げている。
やはり相当なお人好しらしい。
それで警官が勤まるのかと心配になるほどだ。
「ところでハンクさんのレベルはいくつなのですか?」
「レベル? 自分で確認できるのか」
「はい。ステータス画面から確かめられるはずです」
「ステータス……」
俺は首を傾げる。
ゲームなんかでは聞いた覚えがあるものの、このタイミングで言われても意味が分からない。
その様子から察したのか、ケイトがステータスについて説明してくれた。
ようするに俺の基本情報がまとめられたもので、意識を集中させることで表示されるようになっていた。
スキルだけでなく、他の情報も閲覧が可能とのことだった。
俺がスキル確認に使っていたウィンドウは、ステータスの一部だったらしい。
さっそくステータスを確かめると、モンスターを注視した時のような情報が並んでいた。
あれよりもう少しだけ詳しい。
俺の本名も、ばっちりと載っている。
その表記に懐かしさすら覚えた。
まあ、それはどうでもいい。
俺は彼女の質問に答える。
「レベルは……あー、53だ」
「え……本当ですかっ!?」
ケイトがこちらを向いた。
驚きのあまり、運転が大雑把になる。
街路樹にぶつかる寸前、彼女は慌ててハンドルを切った。
俺はそのリアクションを不思議に思って尋ねる。
「何か問題なのかい」
「い、いえ。この世界の人々は、全員がレベル1からスタートしているので、ハンクさんほどの高レベルは初めて見ました」
一律で1から始まるのはなんとなく分かっていた。
レベルが半端な数値から始まるのは不自然だ。
確認していていないので断定はできないが、俺も同じように始まっているのだろう。
「一般的なレベルはどれくらいなんだ?」
「積極的に戦っている人でレベル20前後ですかね。私だとレベル13です。主に戦闘補助で増えた経験値なので、討伐数は少ないです」
「そんなものなのか」
予想よりも低い。
モンスターを殺すのは、意外と難しいようだ。
俺が高レベルなのは、ドラゴンを倒したからだと思われる。
あそこで一気にレベルアップしていた。
死ぬような苦痛を味わったが、その甲斐はあったらしい。
振り返ると、幸運な出来事だったと言えよう。
「ハンクさんほどの実力者でしたら、上司や同僚も歓迎してくれるはずですよ! とても心強いです」
「……どうだろう。すぐに追い出されるんじゃないかな」
「え? それは一体どういう――」
ケイトが怪訝そうに尋ねようとする。
それを遮るように、後方から空気が破裂するような音がした。
俺はサイドミラーで確認する。
マンホールの蓋が、空中に高々と跳ね上がっていた。
付近の建物を越える位置にまで達している。
開いたマンホールから、何かの気配を感じた。
蠢くようにして現れる光沢。
そこから溢れ出したのは、薄緑色の粘液だった。