第5話 暗殺者は銃を手に入れる
俺は両手を上げた。
木製のバットも足元に落とし、朗らかな笑みで挨拶をする。
「やあ、お巡りさん。逆に訊くが、俺がゾンビに見えるかい?」
「いえ……見えません」
その女性警官は首を横に振る。
まあ、彼女が疑うのも無理はない。
海で洗ったとは言え、俺はゾンビの始末で血みどろになった。
アロハシャツや短パンは、返り血の色が染み込んでいる。
おまけに付近一帯にゾンビの死骸も転がっている状況だ。
拳銃を突き付けたとは言え、律儀に質問をする警官はお人好しだろう。
両手を上げた姿勢のまま、俺は前方を指差す。
「それより銃を貸してくれるかな。連中がお怒りのようだ」
車両に撥ねられたオーク達は、血を垂らしながらも起き上がろうとしていた。
彼らは一目で分かるほどに激昂している。
鼻息を荒くさせて殺気を漲らせていた。
まだまだ戦えるようで、すぐにでもこちらに駆けてきそうだ。
「くっ……!」
警官は苦い顔をして、拳銃の照準を俺からオーク達へと移した。
そして連続で発砲する。
弾丸はオークの胴体に命中し、彼らを僅かに怯ませた。
しかし、それだけだ。
銃創から少量の血を垂らしながらも、オーク達は起き上がってくる。
ダメージを与えるどころか、彼らの怒りを倍増させただけだった。
俺はその様子を見て感心する。
「ほほう、随分とタフだな。頭を狙った方がいいんじゃないか?」
「わ、分かってますっ!」
警官は慌てて拳銃のリロードを行う。
震える手で弾倉を交換しており、かなりもたついている。
その間にもオーク達は起き上がった。
彼らはこちらへの接近を開始する。
それが警官を余計に焦らせた。
おそらくこのペースでは間に合わない。
リロードが完了した頃には、オーク達は肉弾戦の間合いに入っているだろう。
俺は車内の警官に手を差し出す。
「ほら、貸してみな。手本を披露しよう」
「えっ、いや、あの……」
警官は目を逸らして言い淀む。
銃を渡すことに躊躇いを覚えているようだ。
相手は見知らぬ人間なのだから当然であった。
だが、このままではオーク達に攻撃されてしまう。
自分では迎撃できないことを、彼女は理解しているはずだ。
「迷っている暇はないぜ。どうするんだ?」
「……すみません。お願い、します」
警官は頭を下げる。
拳銃を手渡してくるかと思いきや、彼女はもう一方の手を差し出してきた。
そこに握られるのは、一挺のサブマシンガンだった。
各国の特殊部隊で採用されている銃である。
俺は受け取りながら眉を寄せる。
「今、どこから取り出したんだ?」
直前まで彼女の手は、何も持っていなかった。
急にサブマシンガンが出現したのだ。
隠し持てるようなサイズではなく、まるで手品を見せられたかのような気分であった。
一方で警官は、前方を指差しながら焦ったような声を発する。
「それは後で話しますから! 早くオークを――」
「了解。任せな」
俺は片手でサブマシンガンを構えると、接近するオーク達に向けて連射する。
銃口から迸るマズルフラッシュ。
銃撃は先頭を走るオークの顔面に炸裂した。
血飛沫が舞い上がり、そのオークは頭蓋と脳漿をぶちまける。
オークは何かに躓いたように転倒した。
今度は起き上がらない。
虚しく痙攣するのみだった。
(やはり弱点は頭部か)
いくらタフと言っても、脳味噌が吹き飛べば即死らしい。
それが分かれば、あとは簡単だ。
俺は狙いをずらしながらサブマシンガンを発砲し、最寄りのオークから順に頭部を撃ち抜いていく。
非常に慣れた作業だった。
何も難しいことはない。
残弾数に気を配りながら引き金を引くだけだ。
一発の無駄もないように的確な射撃を心掛ける。
「ふう、こんなものかね」
俺はサブマシンガンの弾切れを確認する。
前方には、オーク達の死体が折り重なっていた。
こちらに近付こうとした個体は、残らず頭部を撃ち抜いてやった。
胴体に弾を浴びせても、連中は平然と突進してきただろう。
だからこうするのが最も効率的だった。
俺はサブマシンガンを警官に投げ渡す。
「いい銃だ。助かったよ」
「あっ……」
彼女は呆然と銃を受け取った。
オークの死体と俺を交互に見ている。
おそらくは、俺の射撃の腕前に驚いているのだろう。
我ながら自慢できる程度のテクニックは持ち合わせている。
たとえ目隠しをしていたとしても、今のと遜色のない射撃が可能だった。
仕事の都合上、高い射撃能力が要求されてきた。
殺しの技術は常に磨いており、プロになっても地道に鍛練を重ねている。
見たところ、この警官は新人だ。
最低限の銃の扱いくらいは習っているだろうが、素人に毛が生えた程度に過ぎない。
俺は車両にもたれながら、警官に話しかける。
「ところで、少し訊きたいことがあるんだ。答えてくれるかな」
「わ、私で答えられる範囲でよければ……ただ、その前に移動しましょう。ここは危険ですから、どうぞ」
彼女は助手席を勧めてくる。
どうやら乗せてくれるらしい。
警戒されていると思ったが、意外とフレンドリーだった。
オークを相手に共闘したことで、親しみを感じているのかもしれない。
「サンキュー、恩に着るよ」
俺はドアを開けて助手席に座り、シートベルトを着用した。
付近を探索して物資調達をしたかったが、それは後回しでいいだろう。
その気になればいつでもできる上、ようやく出会えた人間の方が遥かに重要である。
ここで別れるという手は無かった。
探索の間、車両で待たせるのも悪いし、ここは大人しく従うのが得策と言えよう。
俺達を乗せた警察車両は発進した。
何度か切り返してから道沿いに進んでビーチを出ると、街の通りを走り始める。
通りは静まり返っていた。
全焼した建物や割られた窓ガラス、放置された車など、全体的に争いの形跡が散見される。
人間やモンスターの死体も転がっており、荒廃した雰囲気を醸し出していた。
ただ、パニック感は皆無である。
旅客機内のような惨状を想像していたのだがピークは過ぎたのだろうか。
異常発生から数日が経過している。
同じタイミングで各地にモンスターが発生したと仮定すると、こうした静けさにも納得できた。
生存能力の高い者は、ホットスポットと化した都市部を避けたがるだろう。
リスクを考慮すると、郊外に潜伏する者が多い気がする。
都市部は二次災害が馬鹿にできなかった。
モンスターについては、よく分からない。
ゾンビやオークのように徘徊する個体がいる以上、今はたまたま通りに出ていないだけという可能性がある。
路地裏に踏み込めば、たちまち襲われそうな予感がした。
「先ほどはすみませんでした。助けに入ったつもりが、反対に助けられてしまいましたね……」
ハンドルを握る警官が申し訳なさそうに言う。
彼女は暗い顔をしていた。
ともすれば泣き出しそうな有り様である。
だから俺は、軽い調子で会話に応じた。
「気にすることはないさ。あの状況で焦るのは仕方ない」
これは慰めではなく、純粋な事実だった。
殺気を放つモンスターを相手に冷静さを保つのは至難の業である。
そう簡単にできることではない。
俺のように平然としているのが異常なのだ。
警官のリアクションは、決して咎めるようなものではなかった。
窓の外を眺めていた俺は、ふと彼女に質問する。
「お巡りさん、名前は?」
「ケイト・マクシェーンです。階級は巡査です」
警官――ケイトは流暢に名乗る。
巡査ということは、やはり新人なのだろう。
年齢も二十代前半といったところか。
運転する彼女は、俺のことを一瞥した。
その眼差しから考えると、こちらの自己紹介を待っているようだ。
確かに真っ当な主張だろう。
ケイトにだけ名乗らせるのは失礼だ。
「俺の名前は……うーん、ちょっと待ってくれ」
腰を浮かせて尻ポケットを漁る。
そこから半乾きのパスポートを引っ張り出した。
濡れたページを慎重に開き、顔写真の貼られた箇所に注目する。
俺は記載された情報を読んだ。
「そうそう、ハンク。ハンク・テイラーだ。よろしく」
「……偽名、ですよね?」
ケイトは訝しげに尋ねてくる。
不信感がありありと伝わってくる表情だった。
俺は少し大げさに肩をすくめる。
「まさか。そんなわけないだろう。冗談はよしてくれよ」
そう言いつつ、パスポートを窓の外に捨てる。
海上の放流生活で拾ったものだ。
別に紛失したところで何も困らない。
「まあ、極端な話を言うなら、名前なんて個人の識別ができればそれでいい。真偽なんてどうでもいいものさ」
本名なんて、最後に使ったのがいつか覚えていない。
旅客機に乗る際のパスポートも偽造だった。
その偽造パスポートを作る時の身分も偽造である。
嘘に満ちた経歴だが、別に不便を感じたことはなかった。
むしろ、同じ身分を使い続ける方がトラブルに遭いやすい。
感覚的には、ちょっと髪を染めたり、高い服を買うようなものに近かった。
言うなれば気分転換みたいなものだろう。
しばらく無言だったケイトは、遠慮がちに意見を述べる。
「……偽名では、ちょっと信用しづらいですかね」
「ははは、真面目だねぇ。さすが警察官だ」
反論しようのない言葉を受けて、俺は呑気に笑った。