第2話 暗殺者は竜を討滅する
「ハハハ、ボスのお出ましか。まったく、次から次へと勘弁してくれよ」
俺は窓の外を飛ぶドラゴンを見て笑う。
なんとも愉快な気分だった。
笑わずにはいられない。
映画のワンシーンのような光景が、現実として展開されているのだ。
何かの冗談かと思ってしまう。
もちろんそこについてを議論するつもりはない。
既にゴブリンを殺し回った後だ。
疑う余地なんてなかった。
飛行するドラゴンが咆哮を上げる。
鼓膜を破りかねない大音量に、俺は耳を押さえて顔を顰めた。
ボリュームのあまり、窓がびりびりと震えている。
急接近してきたドラゴンが、旅客機の翼にしがみ付く。
めり込んだ爪が表面を引き裂いた。
火花が散り、軽い爆発が起きる。
抉れた翼からは黒煙が昇っていた。
今の一撃だけで半壊している。
案の定、旅客機が傾いた。
乗客達は騒ぎながら転倒した。
放置された荷物が床を滑り、飲み物が倒れて床を濡らす。
「おっと」
俺は座席を掴んで耐えた。
そこからドラゴンの動きを観察し続ける。
こういう時こそ、目を離してはいけないのだ。
相手の立ち回りを知らなければ、ただ慌てることしかできない。
翼を伝って移動したドラゴンが、横から機体に噛み付いた。
金属が派手にひしゃげ、そこに穴が開いた。
気圧差によって巻き起こる猛風。
隙間からドラゴンの顔が覗く。
乗客達のパニックは臨界点を突破した。
秩序が失われた機内では、誰もが理性を欠いた行動に走っている。
そんな時、天井からチューブ付きの酸素マスクが降りてきた。
旅客機の破損を感知して作動したのだろう。
残念ながら、落ち着いて装着できる者はいなかった。
その間、ドラゴンはさらに牙を立てていた。
壁の穴は開いて、天井まで食い千切る勢いだった。
中にいる俺達を狙っているのだろう。
このまま待つだけでは、間違いなく成し遂げられる。
(リスキーだが、やるしかないな)
端に寄っていた俺は、機内の惨状を前に嘆息する。
生憎とトラブルは解決しそうにない。
それどころか際限なく悪化しつつあった。
ヒーローになりたいわけではないが、ここはもう少し働くべきだろう。
俺は座席を乗り越えてドラゴンに接近していく。
途中、座席に置かれた機内食からナイフを拝借した。
意識を研ぎ澄ませて、じっくりと移動を続ける。
そうしてベストポジションに辿り着くと、俺はドラゴンに向けて啖呵を切った。
「おいトカゲ野郎! こいつを受け取りなッ!」
挑発と共に振りかぶったナイフを投擲する。
ナイフは壁の穴に吸い込まれ、その奥にあるドラゴンの片目に当たった。
甲高い音を鳴らして弾かれるも、ドラゴンは絶叫する。
そこから怒り狂った様子で旅客機から距離を取った。
傷は付けられなかったが、痛みで怯ませることに成功したようだ。
俺は窓から外を覗く。
ドラゴンはやや遠くを飛んでいた。
殺気の漲った姿を見るに、まだ諦めていないだろう。
タイミングを見計らっているだけで、いずれ襲いかかってくるつもりである。
(こりゃ駄目だ。逃げるしかないな)
肩をすくめた俺は、あっさりと判断を下す。
いくら機内食用とは言え、勢いの付いたナイフを眼球で弾かれたのだ。
すなわち、鱗の部分はさらに強固ということになる。
機内にあるもので戦っても、勝ち目はないだろう。
加えて空の上というフィールドも圧倒的に不利だ。
せめて銃火器や爆弾でもあれば違うのだが、望みは叶いそうになかった。
本当はドラゴンを殺してやりたい。
しかし生身で怪獣に挑むほど、俺はクレイジーではないのである。
悔しいが、ここは逃げ出すのが賢明だった。
(そうと決まれば非常口だな)
旅客機にパラシュートは無いが、幸いにもここは現在地は海の上だ。
落下したところで、アスファルトに叩き付けられる心配はない。
ただ、それでも高度数万フィートからダイブすることになる。
常人ならば間違いなく死ぬだろう。
いくら海面でも関係ない。
細かいことは知らないが、地面に衝突するのと大差ないのではないか。
言ってしまえば自殺であった。
しかし、俺は生命力と悪運には自信がある。
今までも仕事中に数々の致命傷を受けてきた。
具体例を挙げるなら、機銃で蜂の巣にされた時や、斧で頭をかち割られた時だ。
どちらも満身創痍になったものの、無事に全治している。
このままだと、墜落する旅客機と運命を共にすることになる。
ドラゴンの攻撃を受けた挙句、爆発炎上でバーベキューといった具合だ。
大空に飛び出す方が、まだ生還の可能性があった。
(これまでもピンチを乗り越えてきた。やり切ってみせるさ)
考えを固めた俺は、最寄りの非常口へと向かう。
誤作動防止のカバーを割り、ロック解除のレバーに手をかける。
その時、少し離れた場所でエコノミークラスと繋がるカーテンの向こうから人影が現れる。
登場したのは、鋼鉄の鎧を全身に纏う男だ。
手には剣を持っており、切っ先からは鮮血を滴らせている。
風貌からして、まさに中世の騎士といった印象を受ける。
「今度はコスプレ野郎の登場か?」
呆れて眺めていると、騎士は突如として乗客を斬殺し始めた。
鮮やかな動きで次々と死体を築いていく。
先ほどのゴブリンとは比べるまでもないほどに強い。
コスプレではなく、実戦を経験した者の立ち回りである。
騎士を観察するうちにウィンドウが表示された。
俺はその内容に注目する。
カイン・ビーディルト Lv.48
脅威度:B+
状態:錯乱
表示された情報を信じるなら、あの騎士は錯乱しているらしい。
それであのような凶行に走ってしまったようだ。
レベルや脅威度も、ゴブリンに比べて高い。
納得の評価と言えよう。
(まあ、そんなことは俺に関係ないが……)
俺は騎士の殺戮をよそに非常口の開放手順を進める。
ついでに近くの荷物を漁り、クッションになりそうな物を探した。
外にはドラゴンがいるのだ。
いつ撃墜されるか分かったものではない。
さっさと脱出しなければいけない以上、騎士に構うべきではなかった。
刹那、機内がいきなり傾いた。
乗客と荷物が宙を舞い、或いは床を転がっていく。
数度の衝撃の末、そのまま上下が反転してしまった。
当然、俺は天井にぶつかる。
腰を押さえつつ、俺は近くの座席に掴まった。
(コックピットで何かあったな?)
ゴブリンや騎士が出現するような状況だ。
機長が何者かに襲われたのだろう。
この様子だと、自動操縦も利いていない様子である。
いよいよ墜落が現実味を帯びてきた。
立ち上がろうとした俺は、背後から殺気を感じた。
咄嗟に首を傾ける。
直前まで頭部のあった場所を、剣が突き抜けていった。
切っ先が壁に刺さる。
「過激な挨拶じゃないか。野蛮な文化だ、なっ」
俺は振り向きざまに蹴りを放つ。
背後にいた騎士に直撃し、よろめかせることに成功した。
鎧の上からでも十分にダメージが通ったようである。
俺は近くにあった機内食のナイフを掴み取った。
それを騎士の兜のスリットに突き込む。
先端から何かを抉る音がした。
位置的に目だろう。
「グォッ!?」
騎士がくぐもった呻き声を洩らした。
兜の隙間から血が垂れてくる。
俺は刺さったナイフに掌底を打ち込んだ。
ナイフが奥まで押し込まれ、はみ出ていた分が兜の中に消える。
騎士は固まり、機内の揺れで崩れ落ちた。
もう動くことはなかった。
>取得経験値が既定値を突破しました
>レベルが上昇しました
>スキル【英雄殺し B】を取得
よく分からないが、騎士は英雄とやらだったらしい。
それにしては弱かった。
錯乱するせいで、本来の実力が出せていなかったのではないだろうか。
今となっては真実も分からない。
(とにかく、これで邪魔者はいなくなった。ようやく脱出できる)
騎士の死体を蹴りどかし、壁に刺さった剣を引き抜く。
それを投げ捨てようとしたところで、俺はふと閃いて剣を注視した。
ほんのりと蒼い刃を持つ綺麗な剣だ。
じっと見つめていると、ウィンドウ表示が出現した。
竜殺剣ドゥーナ
総合評価:A
状態:良好
能力:竜系統の防御力を無視、威力増大。
専門知識を持たない俺でも、この剣が希少品であるのは分かった。
性能もかなり高いのだろう。
まるでゲームの中に登場する武器である。
そして気になるのが能力の欄だ。
英雄の武器だから何かないかと思ったが、思った以上の収穫だった。
ウィンドウによると、竜の殺害に特化しているらしい。
竜とはつまりドラゴンだろう。
現在進行形で旅客機の周りを飛び回るアイツのことだ。
この剣は、あのトカゲ野郎によく効くのだという。
(ラッキーだな。まさかこんな形でチャンスが巡ってくるとは……)
俺は静かに歓喜する。
海へ逃げ出そうという方針は、この時点で消滅した。
殺せるのならば是非とも殺してみたい。
剣を手にしたことで、ドラゴンに対する衝動は急速に高まっていた。
「おっと、噂をすれば来たか」
窓の外を見た俺は、ドラゴンの接近に気付く。
ドラゴンが咆哮を轟かせ、その口から火炎を吐いた。
火炎は旅客機の後部を包み込む。
連続する爆発音。
旅客機が前方に向けて大きく傾き、上下が何度も反転した。
明らかに墜落し始めている。
どこからともなくブザー音が鳴りだした。
等間隔で設置された液晶画面は、緊急時の映像を流している。
もっとも、それを悠長に観ている者など皆無だったが。
(さすがに不味いな。トンズラしよう)
俺はロックを外した非常口を開ける。
その瞬間、近くの荷物が外で吸い出されていった。
ついでに数名の不運な乗客が大空へと投棄されていく。
俺は近くの座席を掴んで踏ん張り、外に顔だけを出した。
ドラゴンはやや後方にいた。
墜落する旅客機を追うにようにして飛行している。
巻き添えを食わないようにしつつ、逃がす気はないようだ。
(大した執着心だが、それが敗因と教えてやろう)
俺は剣を持って外へと飛び出した。
激しく回転する視界。
強風に煽られる中、なんとか姿勢を制御する。
俺は目を細めて状況を確かめる。
進行方向には、炎上するジェットエンジンと旅客機の翼が見えた。
あのタービンに巻き込まれれば即死だろう。
一瞬でミンチの出来上がりである。
「うぉっと!」
衝突の間際、俺はジェットエンジンの縁に掴まった。
身体を反転させて、内部へ吸い込まれないようにする。
そのまま流れるようにして翼の上を転がり、再び空中へと身を投げる。
視線の先には、ドラゴンが待ち構えていた。
俺は剣を構えて舌なめずりをする。
高鳴る鼓動。
殺害の瞬間をこの上なく期待していた。
ドラゴンが息を吸うような動作をする。
口を開けた瞬間、そこから真っ赤な炎が放たれた。
「あっ」
回避することもできず、俺はその只中に飛び込んだ。
全身が圧倒的な灼熱に襲われる。
骨の髄まで焼き尽くされるような感覚だった。
いや、実際にそこまで火が通っているのかもしれない。
地獄のような苦痛を焼かれながらも、俺の意識は覚醒していた。
炎の先にいるドラゴンだけに集中できている。
狂いそうな熱さと痛みだが、死にそうな感じではなかった。
火炎放射器で焼かれた時と同じ感覚である。
気を強く持っておけば、耐えられないことはない。
やがて俺の身体は炎を突破した。
ぼやけた視界には、ドラゴンらしき輪郭が映っている。
熱で眼球がやられているため、詳細はほとんど分からない。
(――ここだ)
俺は直感に従って剣を掲げる。
ドラゴンの頭部に着地し、その額に刃を沈めていった。
硬い鱗は、まるで出来立てのパイのように割れた。
頭蓋を貫き、その奥にある脳を切り裂く感触が伝わってくる。
「炎のお返しだ。たっぷり味わえよ?」
掠れた声で呟きながら、俺は剣の柄を捻る。
するとドラゴンは、つんざくような声を上げた。
俺は構わず剣を動かす。
ぐりぐりと脳内を掻き混ぜていった。
ドラゴンが滅茶苦茶に飛行し、首を振りながら不格好な宙返りをする。
さすがの俺も耐え切れずに空中へと放り出された。
そこから重力に引かれて落下を始める。
「おっ」
彼方で旅客機が大爆発を起こした。
全体から炎を上げながら、海面に向けて墜落している。
ここからは悲鳴も聞こえないが、乗客はまず助からないだろう。
一方でドラゴンは、錐揉み回転しながら急降下していく。
既に意識がないのだろうか。
脳内をミキサーの要領で破壊したのだから仕方ない。
ドラゴンの生態なんて一つも知らないが、あれは致命傷だと思う。
「ざまあみろ、クソッタレのトカゲ野郎」
俺は笑みを湛えながら中指を立てる。
焼死体同然の姿にされてしまったが、報復は十分にできたと言えよう。
一本の剣だけで、あのデカブツを仕留めたのだ。
後世にまで語り継ぎたい功績である。
>取得経験値が既定値を突破しました
>レベルが上昇しました
>スキル【竜殺し B++】を取得
>スキル【下剋上 B】を取得
>スキル【一撃必殺 B】を取得
>スキル【奇襲 C】を取得
>スキル【急所突き C】を取得
>取得経験値が既定値を突破しました
>レベルが上昇しました
>取得経験値が既定値を突破しました
>レベルが上昇しました
>取得経験値が既定値を突破しました
>レベルが上昇しました
>取得経験値が既定値を……
先ほどからアナウンスがうるさい。
レベルが一気に上がりすぎて止まらなかった。
しばらくミュートにでもできればいいのだが、無感情な声は脳内で響き続ける。
(まあ、いいか。放っておくしかない)
そんなことより、俺はもうすぐ海面に激突する。
ドラゴンの殺害に気を取られたが、何の策も用意していなかった。
このまま身を任せる他あるまい。
(せっかく楽しい経験ができたんだ。死なないことを祈るかね……)
目を閉じた俺は、穏やかな顔で微笑む。
直後、想像を絶する衝撃で視界が暗転した。