第10話 暗殺者は警部と交渉する
拳銃の照準は俺に固定されている。
引き金は今にも絞られようとしていた。
笑みを浮かべたまま、俺は肩をすくめてみせる。
「冗談さ。その物騒な物を下げてくれよ」
「フン……」
不服そうな警部は、ひとまず拳銃を下ろす。
しかし、依然として引き金に指はかかったままだった。
いつでも俺を撃てる体勢である。
彼女の銃捌きなら、外すことはないだろう。
足を組んだ俺は、過去を懐かしみながら呟く。
「それにしても、何年ぶりだろうな。順調に昇進しているじゃないか」
警部と出会ったのは、とある仕事の最中だった。
護送中だった政治犯を暗殺する仕事で、その時の警備の一人が彼女だったのだ。
仕事を成し遂げた俺を、彼女は単独で執拗に追跡してきた。
鬼気迫る姿は、今でも記憶に新しい。
当時はとんでもない警官がいるものだと思ったものだ。
彼女の年齢を考えると、新人時代だったろう。
ひょっとすると今のケイトくらいではないだろうか。
他の警官を圧倒する勢いで、彼女は俺のことを追い詰めてきた。
結局、振り切って逃走に成功したが、未だに印象に残っているほどの人物である。
その後は出会うこともなく年月が経過した。
特に素性や経歴も調べていなかったが、まさかこのようなリゾート地で再会するとは面白い偶然だと思う。
「五年と三カ月だ。忘れるはずがない。生涯で唯一の敗北だった」
警部は歯噛みして唸る。
あの時、俺を逃がしたことが悔しいようだ。
よほどの負けず嫌いらしい。
まあ、長い人生において失敗や挫折を知っておくのは悪くない。
率先して経験する必要はないものの、それを糧に這い上がる気概は欲しい。
目の前に立つ警部は、五年前に比べてより屈強な姿となっていた。
制服を着ていなければ、警官だと分からないほどだ。
きっと総合的な戦闘能力も大きく向上している。
こうして対峙しているだけでも、その辺りがひしひしと伝わってきた。
俺と同業者になれば、さぞ大成しているのではないだろうか。
少なくとも、死ぬまで豪遊できるほどに稼げるはずだ。
それをしないのは、ひとえに正義感によるものに違いない。
警部の双眸は、勧善懲悪の炎で滾っている。
「あの日から貴様の行方を調べていた。まったく足取りが掴めなかったが、まさか自ら現れるとは予想外だ」
「再会を待ちわびていたのは分かった。それで、次はどうする? ハグでもするかい。端末を用意してくれるのなら、友達登録をしたっていいぜ」
俺が冗談を交えて返すと、警部は怒気を発した。
しかし爆発することはなく、彼女は低い声で言う。
「貴様は一つ、勘違いをしている。世界は在り方を変えたが、私は依然として警察官だ」
「つまり?」
「貴様を逮捕するということだ。抵抗するなら射殺する」
警部は前に踏み出す。
ボンネットに座る俺からだと、彼女の顔は見上げる位置となった。
有無を言わさない迫力だ。
小心者なら、見つめ合うだけで気絶すると思う。
(本当に警官なのか?)
下手な犯罪組織のボスより威圧感がある。
これで警部なのだから、上司はさぞ苦労しているのではないだろうか。
それはともかく、彼女は俺を逮捕するつもりらしい。
射殺宣言も脅しではない。
躊躇いなく実行してくるだろう。
警察署に来たらトラブルが起きかねないと思っていたが、想像の何十倍も厄介なことになってしまった。
彼女がいると知っていれば、ケイトに同行するのは避けたに違いない。
俺は微笑し、彼女に問いかける。
「いいのかい。生涯二度目の敗北になっちまうぜ?」
「…………ッ」
警部が激昂し、顔を真っ赤にする。
すぐさま拳銃を俺の額に押し付けてきた。
怒りのあまり銃口が震えている。
その姿勢のまま、俺達は視線をぶつけ合う。
しばらく硬直していた警部だったが、やがて息を吐いて拳銃を下げた。
殺気は幾分か薄れている。
俺は首を傾げて尋ねた。
「どうした。撃たないのか?」
「……私は、人々の命を預かる立場だ。私怨で余計な混乱を招くわけにはいかない」
「優等生になったじゃないか。尊敬するよ」
まさかそのような結論を下すとは、意外と理性的な一面も有しているらしい。
俺は思わず拍手を送る。
すると警部は嫌悪感を露わにした。
「貴様は相変わらずだな。マクシェーンは保護したと言っていたが、そのような軟弱者ではあるまい。どうせモンスターを殺し回っていたのだろう」
「ははは、当たりだよ。白昼堂々と暴れられるのが楽しくてね。ついつい夢中になってしまった」
俺は手を打って笑う。
飛行機の墜落から楽しいことばかりだった。
我ながら変貌した世界を満喫している。
それにしても、警部の口ぶりから察するに、俺のことはしっかりと調べているようだ。
二つ名である"不死身"についても知っていた。
自身が唯一敗北した人間として、徹底的に調査したのだろう。
俺の主な情報は、警察のデータベースに保管されている。
そこで勉強したものと思われる。
「なぜ警察署に来た。今度は人間狩りでも始めるつもりか」
「まさか。安心して寝泊まりできる拠点を探していただけさ。誰も殺すつもりはない」
「――本当だな?」
警部は敵意を隠さずに睨み付けてくる。
完全に疑われている。
誤解されているようだが、俺は別に快楽殺人者ではない。
常人に比べて箍は外れ気味であるものの、あくまでもビジネスライクな殺しがメインだ。
自分に向いた仕事で稼いでいるだけである。
だから俺は警部に宣言する。
「ここに暮らす生存者は殺さない。神には誓えないが、努力はするよ」
「……貴様はどこまでも信用ならない男だ」
「それが取り柄なのさ。諦めてくれ」
何事もケースバイケースだ。
例外はつきものである。
俺は聖人ではないので、状況によっては殺してしまうかもしれないし、約束を破ってしまう可能性は否定できない。
「…………」
警部は考え込む。
時折、銃口がぴくりと跳ねた。
彼女はそれを意志の力で留めている。
強い葛藤を抱いて、揺れ動いているようだった。
数分ほど熟考した末、警部は拳銃をホルスターに収める。
彼女は少し疲れた顔で俺に宣告する。
「滞在は許可する。衣食住に関しても、こちらから配給する。ただし、問題を起こすようなら出て行ってもらう。場合によっては処刑する」
「了解。肝に銘じておくよ」
俺が敬礼すると、警部はまたも嫌そうな顔をした。
彼女は踵を返そうとして、俺を指差す。
「言っておくが、貴様を許したわけではない。その力が役に立つと判断しただけだ。有事の際は前線にも立ってもらう」
「任せときな。宿代だと考えたら安いものさ」
俺はそう言いながら手を差し出した。
警部の顔を見て、改めて名乗る。
「あ、そうそう。今の名前はハンク・テイラーだ。改めてよろしく」
「…………」
警部は無言で俺の手を弾いた。
彼女はそのまま警察署内へと戻っていく。
俺は叩かれた手を見る。
鈍い痛みがじりじりと肌を刺した。
「まったく、愉快な共同生活になりそうだ」
ひとまず拠点となる場所が確保できた。
ここならゆっくりと休めるだろう。
警部の後ろ姿を見て、俺は軽く嘆息した。




