マシェット現れる~1~
アボッカセでフェーデと最初に再会した時、彼は絵を描いてくれようとした。それを私が、こんな髪型では嫌だと言い張り、またケンカになりかけた。
「まあ、殿下ったら。なんてことを強要されているのです。ジャスティーは女の子ですよ? 描かれるなら、素敵な時、綺麗にしている時にしてもらいたい。それが女心です。女の子の気持ちが分からなくて、どうするのです」
偶然通りかかったレイネスさんが取り持ってくれたので、場は治まった。確かにフェーデは、もっと女心を理解するべきだと思う。私は援軍を背に、大きく頷いた。
対するフェーデは、ばつが悪いと思ったのか、黙った。
結局新しい絵を描く約束は、全てが解決したら果たされることになった。
「嫌だわ。殿下ったら、アローンに似てきたのかしら」
困ったように呟いたレイネスさんの言葉を、私は聞き逃さなかった。そう言えば髪を切った朝、『何年経っても、女心に関しては朴念仁』とアローンさんは言われていた。
フェーデが男として、アローンさんを憧れる気持ちは分かる。だけどレイネスさんの言う通り、『朴念仁』まで手本にしないでほしい。
私は十二歳となり、この約二年の間、捜査はずいぶん進んだ。結果、シューペス公爵家の他の者は、無関係とされ、マシェット・シューペス個人のみが金を得るため、悪事を働いていると結論が出された。
マシェットの父である公爵には、息子の悪行を陛下より伝えられ、今では家族もがマシェットを監視している状態。
ここまでくれば、マシェットの逮捕も近いだろう。あと少し、あと少し我慢すれば……。髪を伸ばして、フェーデに絵を描いてもらえる。そう考えると、いつも胸が温かくなる。
そして、マシェットの仲間である太ったおじさん。彼は、これまでの逮捕者の中に姿がなく、いまだ逃亡中。一体どこに潜んでいるのか、見当も掴めていない。
「あの男の本名? 知る訳がないだろう。私には、メッチェルと名乗ってきた。だから私にとって、それが奴の唯一の名前だ。偽名かどうかなど、知るものか。メッチェルは、メッチェルだ。
なに? どこの出身か? う、む……。それは聞いたことがない。いや、尋ねても話してくれなかった。外国の事情に明るいし、商売ルートを確保できるくらいだ。国に定住せず、国々を渡り歩く商売人かもしれん。
そうだ、あの男。マシェットなら、メッチェルの本名や出身地を知っているだろう。まだ捕まえていない? そんな馬鹿な! アイツこそが黒幕だと、何度も言っているだろう! なにを愚図愚図している! 一刻も早く捕まえろ!」
最近は己を棚に上げ、マシェット逮捕を声高に祖父は求めているそうだ。
祖父は捕まった当初、すぐにマシェットが助けてくれると信じていた。とこらが幾日過ぎても、釈放される気配はない。それでも、いつかはきっと……。期待を力にのらりくらりしつつ、連日の取り調べを受けたが、心はすり減っていく。
耐えられなくなった祖父は、ついにマシェットに助けを求める手紙を書いた。もちろん内容は検閲されると、承知の上で。まさになりふりかまわず。ところが待ちに待ったマシェットからの返事は、『名しか知らぬ男を助ける義理はない』と、冷たい内容だった。
これに祖父は怒り、以来一貫して自分は悪くないと言い、調べに応じるようになった。
きっと祖父は二人を信用していたのだろう。だが二人は……。特にマシェットは違っていた。彼にとって祖父は、なにかあれば簡単に切り捨てられる、そんな存在だった。
「メッチェルがある日、突然私を訪ねて来たのだ」
祖父が語るには、死招き草が生えているとは、領土を拝戴した当時は知らなかった。それを突然訪問したメッチェルがどこで知り得たのか存在を告げ、商売を持ちかけてきた。
「死招き草を売れば、大金を手に入れられます。すでに国内外での販売ルートも確保されております。それに私には、心強い仲間がおりまして。いや、その方が誰とはまだお教えできません。お互い堅い絆で結ばれましたら、その時、その方をご紹介しましょう」
大金が手に入る! その甘言に祖父はあっさりと乗った。今では騙されたと言っているが、話を持ちかけられた時点で断り、通報すべきだった。そのことに今も気がつかないのかと思うと、悲しくなる。
それから商売を始め、何年も過ぎ、全てが順調だった。まさにわが世の春だと祖父が勘違いしだした頃、マシェットを紹介された。
「やっと私もメッチェルと、信頼という絆を結べたのだと当時は喜んだ。奴の背後にいる権力者は、相当の大物だと思ってはいたが、よもや公爵家の子息とは! あの時の驚きは、今でも忘れられない」
祖父は同時に、これほど心強い味方はいないと、ますます商売に自信を持つようになった。
それが今では牢の中での暮らし。フェーデから、二度と外で生きて暮らすことはできないと言われている。祖父はそれを分かっているのか、私は知らない。
祖父との思い出は、悪いものばかり。
でも、いないと思っていた祖父母が生きていると知った時の喜びは、嘘じゃない……。
◇◇◇◇◇
この日も私は、訓練の合間を縫って、基地の中を掃除していた。
地下へ続く階段を掃いていると、バン! と階下から乱暴に扉が開く音が聞こえてきた。
ブーツの鳴る音が、早足で階段に近づいてくる。転送部屋で働いている人の中に、ブーツを履いている人はいない。誰が転送されてきたのだろうか。気になり手を止め、階下を覗く。
まだ一階に近い段にいた私にも、ようやくその姿が見えてきた瞬間、息をのむ。
肩より長い銀髪を一つに結い、するどい目は視力が悪いのか、あの晩と同じく眼鏡をかけている。長い足に似合うロングブーツを履きこなしている。その人は、マシェット・シューペスだった。




