真夜中の客人~2~
三人がサロンに入り、オーベンスさんが飲み物などを運び下がったことを見届けると、ゆっくり階段を下りる。
柔らかく深い赤色をした絨毯が、私の足音を吸い込んでくれる。それでも慎重に歩を進める。
「それで? その間者は誰から頼まれたと?」
魔法使いとどんな会話をしているのかだろう。その答えを知りたくて、ドアに耳を当てる。
「口を割る前に、隠し持っていた毒で自殺されましてね。分からないのです」
「事前に持ち物を確認しないから、そんなことになるのだ」
「いやはや、ゼバル様のおっしゃる通りです」
「それで? そいつは、どこまで掴んでいた? 私たちの関係も掴んでいたのか?」
「はて、どうでしょう。単純に商売の噂を確認しに来たような感じでしたが……。ただ、貴方様はともかく、ゼバル様については調べている可能性が高いでしょう」
「うむぅ……」
祖父が面白くなさそうに呻く声が聞こえる。
「私たちがどこから物を仕入れているか、調べない訳がありませんから。栽培先を調べれば、ゼバル様が関与していると疑うのが普通でしょう。取引先も、どこまで漏れているのやら……。それでですね、今日はお二人にご相談がありまして。しばらく商売を控えようと考えているのですが……」
「それで私も呼んだのか」
「はい。商売を控えたら、貴方様に売上を渡すこともできませんので。人に見られる危険があっても話したい、大事な話だと申しましたでしょう?」
三人の会話はドアの向こうに漏れて聞こえてくる。
「……最近、アボッカセで荷物検査が厳しくなっていると聞く。物を持ってあの町からホーベル王国へ渡り、商売していることにも気付かれているかもしれないな」
アボッカセ……。ここから王都から南東に位置する、国境の町だ。
「はい。最近は大量に運び出すのが難しい状況です。枕の中に紛れさせたりして、運び出していましたが……。一度、検査だと言われ枕を切り裂かれた時は、冷や汗が出ましたよ。あの時は枕でなく、馬車の座席に隠していたので事無きを得ましたが…」
「アボッカセか……。数年前、あの男が着任した町だな。忌々しい男だ。どこまでも私の邪魔をする!」
ダン! と、テーブルを叩く音が聞こえ、私は震えあがった。おそらく怒った祖父が、テーブルに拳を打ち付けたのだろう。
「枕を切り裂いたのならば、隠し場所まで漏れているのではないか? どこまで間者に潜入されているんだ、情けない。聞く限り、最悪の状況ではないか。確かに一旦商売を止めることが最善かもしれん」
「国内も同じ措置で、よろしいでしょうか?」
太ったおじさんが伺う。
「昔からの馴染み客なら大丈夫だろうが、新規や付き合いの浅い相手とは手を切るべきだろう。誰が間者で、誰がおとり捜査官か分からない。疑いのある相手と取引を行うのは危険だ。まずは間者と、その主人を調べることに専念しよう」
「それでは本当に、しばらく大金を手に入れられんではないですか」
「仕方がないだろう。誰が敵か分からないのでは、私も手の打ちようがない。我々の取り扱う商品を考えてみたまえ。最悪、王家や世界連合も関わっていると考えねばなるまい。」
「う、む……」
「あと、最近国内の取引先で、転売している輩がいるという噂も聞いたが?」
「何人か確認が取れています。そいつらには、他より高く売りつけていますが……。奴ら、それを買値の倍以上で売っているのです。そんな高額になっても買う馬鹿がいるから、驚きですよ」
「ではその不届きな転売屋どもに、我々の隠れ蓑になってもらおうではないか」
「と、言いますと?」
「私たちが国内での商売を止めたら、そやつらが好機とばかりに精を出すと思わないか?」
「浅はかな奴らです、その可能性は高いでしょう。外国でも商売したがっている様子ですし」
「君の部下を、そやつらの手の者だと偽装を行うのだ。調べれば、転売屋どもに捜査が向かうようにな」
「なるほど。私たちがいる場所にそいつらがいるように見せかけ、私たちは捜査を逃れる訳ですか」
捜査を逃れる? なにかよくない話をしている……?
これは私が聞いていたと知られたら、大変だ。すぐに部屋に戻ろうと振り返ると、いつの間にか祖母が背後に立っていた。
「……っ」
悲鳴をあげないよう、自分で口を押さえる。
祖母は無言で私の手を取ると、歩き出した。
「この子の新しい寝間着を持ってきなさい」
途中、女中に寝間着の用意を指示すると、そのまま浴室に連れ込まれる。
中に入ると、桶に入っていた水を下半身にかけられた。
「……盗み聞きなど、なんて愚かな……」
いつものように無表情なのに、今は怒っていると分かる。体が震えるのは水で濡れたからなのか、怒りに当てられたからなのか……。
祖母は水をかけるだけでは足りないらしく、私の前に立つと平手打ちをしてきた。
祖父に殴られたことは何度もあるが、祖母に叩かれたのはこれが初めてだった。
「いいですか。今夜の貴女はなにも聞いていない、部屋で朝まで寝ていたのです。彼らのことなど知らない、忘れるのです。今後は二度と、絶対に、夜中に部屋を出ないこと。分かりましたね?」
「は、はい……」
下半身を濡らしたまま、震えながら頷く。
用意された寝間着に着替え、祖母に腕を掴まれ浴室から出ると、オーベンスさんと出くわした。
「こんな夜中にどうなさいました?」
寝間着を用意した女中が見下した視線を私に向け、とんでもない説明を始めた。
「お嬢様がおねしょをされたのです。ベッドも汚れたので、今夜は奥様と一緒に寝ることになりました。はあ……。朝になったら干さないと……」
私はおねしょなんてしていない! そう言いたいのに、握られている祖母の手の力が強くなる。なにもしゃべるなと視線を向けられた。
祖母と女中がなにを考えているのか分からないが、逆らえばまた叩かれるかもしれない。私は黙って俯いた。
オーベンスさんはわざとらしくため息をつくと、仕事仲間に労いの言葉をかける。
「大変ですね、貴女も」
「貴方もでしょう? まだ終わらないの? 無理しないようにね」
「行きますよ、ジャスティー」
二人を置いて祖母は寝室へ向かう。この間、会話はなにもなかった。
寝室に入ってからも、一言「寝なさい」と言うだけで、後はなにも語らない。
眠れる訳がない。だけど早く朝になれと祈りながら、私は強くぎゅっと両目を閉じた。




