落人伝説 1
「まりあ!」
呼ばれて振り返ると、そこには石田幸代が立っている。
思索に耽っている間に授業は終わってしまったらしい。勉強にも支障が出てしまっているのだ、この件は思っているよりも自分に根ざしてしまっているのかもしれない。深くため息を吐き、席を立って幸代の側へ歩み寄った。
「この間のこと謝りたいし、相談にも乗ってもらいたいんだ。その……まりあが怖い話を苦手なのは知ってるんだけどさ」
小柄な体をさらに縮こめるようにして、幸代は頭を下げた。続けて、渡部陽子には断られたと眉尻を下げる。確かに陽子は、こういったオカルト分野においては懐疑的な考えを持っていた。授業が終わった生徒たちが、まりあと幸代を避けるようにして教室を出て行く。幸代に約束を取り付ける前に、向こうから相談に来てくれてほっとした。
「幸代、頭を上げてよ」
顔を上げてこちらを見る、ふっくらとしていた頰が削げてしまっている。目元の辺りも心なしか、隈が濃い。
「幸代……私、本当に怖い話が苦手だから、殆どアテなんてないんだ。それでもいいかな?」
「まりあ!」
どこか舌足らずな発音で名前を呼ばれると、つい甘くなってしまう。小さな子供のように天真爛漫な幸代を無碍にはできないのだ。「ありがとう!」を繰り返しながら身を寄せてくる幸代の体は温かい。彼女が本当に助かってよかったと息を吐く。小松斎一郎に相談したのはやはり正解だった。幸代の中で、やはりこの問題は解決していなかったのだ。
「この間は本当にごめんね。それから、もうコックリさんみたいな危ないことはやらないからね」
「うん、そうしてほしい」
しっかりと頷く小さな顔に、夏の陽射しが濃い陰影を落とす。
「私からも提案があるんだ。実はね、この件を小松先生に相談してるんだ。幸代さえよければ、先生に相談しに行って見ない?」
幸代が倒れた夜からずっと考えていたことだ。素人である自分がどんなに頭をしぼっても、それは付け焼き刃に過ぎない。
民族学を独学で研究しているという噂が本当なら、きっとこれから力になってくれる。様子がおかしかった幸代が直接小松と話すことで、新たに分かることがあるかもしれない。
───先生は相談に乗ってくれると約束してくれた。
何より、それが心強いのだ。
「あー、そうだね。先生って、こういうの大好きなんだっけ? 聞いたことある」
「うん。私も噂だけど、そんな風に聞いたことがあるから」
「そうだね、するだけしてみよっか。ふたりで悩んでいるよりも、何か進展あるかもしれないよね」
幸代が乗り気になってくれてよかった。なんとかして助けたいけれど、怖い話を解決してくれそうな相談相手など小松以外にアテはない。そもそも、短い人生の中で一番避けてきた事柄なのだから、その件で相談に乗ってくれる知り合いなどいようはずがないのだ。
バンブーハンドルのカゴバックを持ち直して気合を入れる。小松の研究室は本館北棟にある。以前、頼まれてプリントを運んだときにこっそりと記憶していた。それからふたりは連れ立って小松の部屋がある本館北棟へ向かうことにしたのだった。




