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第7話 紡ぎ手はチェシャ猫のように

 『本の栞(ブックマーク)』。それは齢十歳の時、栞に授けられた言詠としての称号である。物語に挟まる栞のごとく、あるいはその導き手としての活躍を期待してのものだ。

 その名で栞を呼ぶのなら、相手の少女は言詠だろう。ひょろりとした体躯を持て余し気味に、ぱち、ぱちと手を叩いてみせる。

「いやいやー、この間は見事な活躍だったね! アタシ、感心しちゃった」

 猫の尻尾のように三つ編みを揺らしながら、女生徒は面白い本を見つけた幼い子供のような無邪気な笑みを向けてくる。丸い眼鏡の奥の瞳はキラキラと、眩しいくらいに輝いていた。

「え、ええと……あなたは……」

「アタシは創、差羽創。高等部三年、文芸部部長だよ。--ああ、それとも、差羽家の次期当主って言った方がわかりやすいかな」

 ニッ、と唇で弧を描いて、創はどかりとパイプ椅子に座る。長いセーラー服の裾が扇状に広がった。キミも座るといい、と顎で椅子を示され、言われるがままに栞は席に着く。ポットから急須にお湯を注ぎ、煎茶を作りながら世間話でもする口調で、

「烏丸一強かと思って完璧やる気なくしてたんだけどねー。でも、キミが来て一気にテンションがマックスまであがったよ。いい、最高。可哀想な生い立ち、可愛い顔、主人公にふさわしい」

 そんな風に少女はのんびりと語る。遠回しに貶されているんだろうか、訝しげな表情になる栞だったが、そんなことよりも気になることがあった。

「この話を書いたのは、あなたです?」

「んー、半分アタリで半分ハズレ。書いたっていうより、書かされたって言う方が正しいからね」

「書かされた……?」

「そ。……ね、判子あげるかわりに、アタシの話に付き合ってよ。退屈してたんだ」

「話、です……?」

 はい、お茶。と淹れた煎茶を渡されて、どうも、と受け取る。ずず、と口をつけると、それを肯定の意と受け取ったのか、創は楽しげに語り始める。

「差羽の家はね、言詠の中でも小説とかそういった物語を紡ぐ力が特に強くてね。アタシの力は『意図紡ぎ(ミーン・ウィーバー)』、お話を語ることに特化してる。だからそこにあるお話を書いたのはアタシだよ。でも、お話を生み出したのはアタシじゃない。己の能力に言詠関連の話を書かされているのさ。どうにも、うまくコントロールできなくてね」

「コントロール出来ないなんて、大変じゃないですか」

 ありのままの感想を呟くと、創はぱちぱち、と瞬く。その後、くすくすと意味深な笑みを漏らした。何がおかしいんですか、栞が深く眉根を寄せると、なんでもないという返答が返ってくる。

「まぁ、制御できなかろうと、それが結果として利になるならいいのさ。……ところで、少し話は逸れるけど。キミもわかるとは思うけど、アタシたち言詠が語る物語は"ホントウ"になりやすい。それって、とても恐ろしいこととは思わないかい?」

 なんでもわけないだろう、追求しようとした栞の言の葉はしかし、創の次の話題で封じ込められる。

 ぎくり、とした。お茶を持つ手がわずかに震え、心拍数がわずかに上がる。まだ正式に称号をもらう以前、少しだけ経験したことがある。幼い頃から、栞はあまり足が速くない。体力もそこまではない。体を動かすことに関して、平均よりは少し劣るだろう。だから運動神経の良し悪しを比較される運動会が嫌で、体育祭の前日にこう呟いてしまったことがあった。『校庭がうみになるほど、あめがふらないかしら』、と。そのままぼんやり窓を見ていたら、気がつけばバケツをひっくり返したような土砂降りの雨。結局雨天順延で運動会は行われたが、雨の日の翌日はとんでもない大きさの水たまりがぽっかりとグラウンドにできていた。

 それと同じように、さっき目にした一連の物語が、もしもホントウになるというのなら。あるいは、"ホントウに起こってしまったことである"というのなら。それはきっと、思い出すことのできない己の記憶の蓋をこじ開ける行為に違いない。五年前、一体何があったのか。ぽっかりと抜け落ちた記憶を取り戻すことが、栞にとって重大な変化をもたらすことは間違いない。そんな漠然とした予感に、少女はゴクリと息を呑む。

「アタシもそれは例外じゃないよ。……物語が現実を蝕むなんて、随分な悪夢だよね」

「でも、悪いことばかりじゃねーと思います、けど」

 例えば能力に負けないよう研鑽を積んで、逆に物語を左右してしまえば、こちら側からの働きかけで皆を幸せにできるのでは。そんな栞の提案を、創はやれやれと肩をすくめて軽く流す。

「それは捉え方と、力を使うニンゲン次第だよ。キミの幸せが、他のヒトの幸せとは限らない……なんて、ざらにあることでしょ? 万人の幸福を希う物語なんて、そうやすやすと紡げやしまいさ」

「な、なるほど……考えてもみませんでした」

「でしょうね。キミ、そのあたりをしっかり考える余裕なんてなさそうだもの。……ま、最高位を目指せっていうのは、一つにはそういった"己の意志を貫き通せるように"ってコトなんだろうけど」

 指摘されて、ぐう、と黙り込む。確かに、と納得させられるところが栞には多々あった。例えば悲しい結末の物語があったとして、それを捻じ曲げようとしたところで、栞の望む終わりにしようとすれば、結局自分の幸せに収束してしまう。最高位を目指す理由だって、結局は自分のためだ。そんなわがままな人間が、一番上を目指していいものか。ずん、と沈み込んだ気持ちのまま、ふと気になって、創に問いかけてみる。

「どうして、わざわざそんなこと教えてくれるんですか」

「ん? そりゃ、キミがいいヤツだってわかってるから」

「いいやつ」

「そう。はみ出しものとか、困ってる人とか、放って置けないタイプでしょ。アタシ、そういう子のことは全面的に信頼してるし。どうせ従うならそっちの方が心地いい。今の話聞いてたら、キミの考える幸福像ってのも興味が湧いてきたし」

 複雑そうな顔してるけど、キミは本質的には単純構造でしょ。と言われてしまえば、栞がそれを否定する言葉など持ち合わせていなかった。初対面のはずなのに、実態を見抜かれていてどきりとする。

「差羽先輩は、最高位を目指さなくていいんですか。お見受けしたところ、強い力がありそうですけど」

 思わず誤魔化すように話題をそらせば、創は、にはは、と乾いた笑いを漏らす。

「んー、アタシは興味ないし、一番上になりたい気持ちもないし。それより、最高位を真剣に目指してる子をどれか選べって言われたときに、やっぱり推しを応援しておきたいじゃん?」

「推し」

 どこかからか持ってきた黒字のうちわに、蛍光色で栞の名前が書かれている。実に楽しげに、それらをぱたぱたと横に振りながら、あ、と何かを思い出してその動きを止める。

「あんまり他家に肩入れすると理事長に怒られるから、この話は内密にね」

「理事長?」

 どうしていきなりそんな役職が出てくるのか。星謳学園の理事長がどんな人物か、心当たりはなかった。首をかしげる栞に、先ほどとは打って変わって、真剣な眼差しで創は語る。

「うん。烏丸理事。今回の儀の管理役だよ」

 知りませんでした、呆然と栞が呟く。烏丸家が継承の儀の管理を取り仕切るのならば、ますます白鳥家は不利になってしまうんじゃないだろうか。栞は不安げな心持ちで創の顔を見つめる。

「キミには意図的に隠されてる情報がたくさんあるから。……まあ、その話はアタシのすることじゃないから」

「気になるんですけど」

「いつかキミのそばの人が話してくれるさ。それより聞かせたいことがあるから、そっちが優先だ」

 しぶしぶ栞がはい、と頷くと、創はよし、と机の上に置かれていた美しい装丁の絵本を手に取り、開いてみせる。

「言詠の誰かの話を"書かされる"とさっき語ったね。アタシはその現象を『自動筆記(ゴーストライター)』って呼んでるんだ。--ああ、ほら、まただ。アタシのゴーストが、君に聞かせたがってる話がある」

 壁の本棚から、オレンジ色の装丁の本を手に取る。真っ白で何も書かれていないページを開いて、創は目を閉じる。スゥ、と目を開ければ、その瞳は明るいライムグリーンに煌めいている。

「『トゥララララ、トゥララララ。ここに紡ぐは昔の語り、埋もれた話を暴き晒すは我らが差羽の意図なりて』」

 胸ポケットにしまわれていた万年筆を手にとって、創は語りながらさらさらと白紙を埋めていく。ライムグリーンのインクが染み込むように、創の声が沁み込んでくる。

「『むかしむかし、とある楽園に、群れて暮らすアトリの雛たちがおりました。理想のために集められた、未来をあらかじめ決められた雛は、"かつて、鳥の一族の中でもっとも美しく羽ばたいた、優れたアトリそのものになれ"と、自由を奪われ生きています。一羽の雛の願いの果てにその群れの楽園は滅びました。けれど、その雛の望みは、己を彼らが望んだアトリそのものにすること。可能性を捨て、希望を捨て、一族の妄執に則った恋をする雛は、幸せそうに笑うといいます』」

 胸が締め付けられるようだった。知らないはずなのに、なぜだか聞いたことがあるような気がする。自分の境遇にどこか近いような、けれど、もっと悲惨な想いが込められた物語。知らず、落涙が頬を伝った。




「……白鳥家の承認判が、それなりに収集されているようだが」

 薄暗い部屋に、二人の人影があった。陽が沈みかけた生徒会室。副会長の席に座る少年の、銀色の眼鏡の奥のフレームから覗く瞳の色は天鵞絨。相対する少女の瞳もまた、美しいペリドットの色をしている。ひとつ歳下の従姉妹に向かって、砂糖の入っていないコーヒーを片手に、男--生徒会副会長、斑鳩篩はにまりと笑みをこぼす。

「烏丸会長はもう七つも認印を集めたそうだ。このままだとお前の願いは果たせないぞ、偲」

 偲と呼ばれた少女は、鼻を鳴らして篩に怜悧な眼差しを向ける。表情は乏しく、けれど目にはどこか焦りの色の浮かぶ。強気な語調で彼女は言い放つ。

「わかっているわ、誰に言われずともね。……私が、最高位になるの」

 小柄な少女は拳を握りしめる。薄茶の髪をなびかせて、踵を返して去って行く。

「……まぁ、期待しているぞ」

 ひとりごちたその声は、誰にも聞かれることはなく。少年は腕を組んでパイプ椅子にもたれかかり、天井を仰ぐ。篩の小さなため息もまた、空虚な部屋に吸い込まれていった。

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