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第2話 郷愁は傍らに

「なんだよ、人のことじろじろ見て」

 しばしぼんやりと、夜鷹湊と名乗った少年のことを見つめていた栞は、わたわたと慌てながら名を告げた。

「わたし、白鳥栞です」

 よろしくおねがいします、と栞がお辞儀するのを、湊はなにやら複雑そうな顔で眺める。眉をひそめた後、眼鏡のフレームをくいと上げる。傍らに置かれていた学校指定の鞄を手にして、栞の視線から逃れるように少年は足早にリビングを去ろうとする。

「……じゃあ譲、オレ今日夜までバイトだから」

「はいよ。いってこい」

  一言、譲にそれだけを告げる。ぶっきらぼうにドアをばたりと閉めて、少年は出かけていってしまった。その様子を見た栞が眉根をひそめながら、譲に呆然と尋ねる。

「……わたし、何か悪いこと、しました?」

「緊張してるんじゃねえかな。普段は女の影も姿もないし」

 にやにやと笑う譲はとても楽しそうだった。ふと、女がいないという単語が引っかかった。

「あれ、譲、奥さんは……?」

「ん? ああ、俺は結婚してないよ。湊も預かりモンだしな」

 親戚である栞ならまだしも、知り合いからまでも子供を預かってくるとは。ひょっとして譲はとってもお人よしなんだろうか。そんなことをにこにこと考えていると、譲がぽんと肩に手を置いてくる。

「栞ちゃん」

「は、はい」

 なんですか、と言う前に、譲は真顔になる。そして、無精ひげをいじりながら呟いた。

「脱ぎな」

 刹那、ぽふりと頬を高潮させて、栞は勢いよく席を立ち上がった。

「ヨコシマなことしないってさっき言ったじゃねーですか! 嘘だったんですか!?」

「落ち着け、健診だ健診」

「はい?」

 譲を指差しながら糾弾する栞を、どうどうと落ち着かせながら彼は言う。

「俺は魔術師専門の医者なんだよ、栞ちゃん」




 私服に着替えて、譲の部屋をノックする。どうぞぉと間延びした声に扉を開けると、白衣を纏って聴診器を手にした譲が待っていた。椅子に座らされ、少々羞恥を伴いながらもTシャツをたくし上げる。真剣な眼差しになった譲が、聴診器のイヤーピースを耳にはめた。

 なんでも、この町に住んでいる魔術師達は、己に異常が起きていないかを確認するために一年おきに彼に診察されに行くのだという。本来ならば栞もその対象に含まれているはずなのだが、白鳥の家は独自のやり方で栞の体調を管理していたために彼に診てもらう必要がなかったのだと、譲は言う。ある種、自立のためにやる儀式みたいなもんだと、男はからからと快活に笑った。

 心臓の音、肺の音。さらには血圧まで計られる。問診で聞かれた項目――身長、体重、視力など――に異常なし。カルテにすらすらと書き込んでいく様子をぽんやりと眺めながら、栞はほう、と溜息をついた。

「ひょっとして注射もします?」

「するぞ」

 空のシリンジを注射器にセットして、譲は栞の左腕を出させる。おちついて、おちついて。栞は努めて、深く、ゆっくりと呼吸をする。ちくん、と痛みがはしって、血が吸いだされていく。プラスチックの中に収められた、さっきまで己に流れていた赤い血を眺めて、少し眩暈がした。

 譲はその血液を試験管へと何滴か垂らし、色の変化を見ているようだった。栞の血がぽたり、ぽたりと透明な試薬の中に垂らされると、にわかに蛍光を発し始める。ピーコックグリーンの、美しい光だった。

「やっぱ優秀だな、栞ちゃん。ふつうはこんな綺麗な色にはならないんだぜ」

「そう、なんです?」

「この試薬は俺達魔術師に流れる力を視覚的に示してくれるもんだ。言詠の魔術師なら、だいたいの連中は濁緑色を呈するんだが……お嬢ちゃんは特別、研ぎ澄まされた力だな。さすがは言詠最高位プリンシパル候補」

「……嬉しくないです」

「どうして」

「どうして、でしょう。わたしは確かに、この力を渇望していたはずなのに……」

「やめるか? なら、今のうちだ。普通の女の子として生きたいなら、その選択肢を選べるのは、今がラストチャンスだぜ」

「……でも、やめません」

「いいのか?」

「友達と、大事な約束をしたんです。だから」

 学校の裏手に生えている桜の樹の根元で、かつて、大切な人と約束をした。その願いを叶える為に、栞はなんとしても言詠最高位プリンシパルにならなければならなかった。

「それは、命を賭してでも果たさなきゃならない約束か?」

「……はい」

「なら、絶対守れ。どんなことがあっても、だ」 

 ぽん、と頭に手を置かれる。わしわし、と撫ぜられて、焦りが落ち着きに換わる。気がつけば窓の外は夕暮れ時の色に変化していた。窓の外を覗けば、烏が伝線に二羽とまって、かあかあと鳴いている。

「さて、いい加減飯にするか。今日は日曜だから湊も帰ってこないだろうし……栞ちゃん、なんか作れるか」

 料理は苦手でね、と譲は頭をかいていた。普段は湊が作っているのだという。歳の近い少年が料理上手と聞いて、負けていられないなあと栞は遠い目になった。

「カレーくらいなら、なんとか」

「おっ、いいねえ。んじゃ、買い物任せた」

「そこからですか!?」

「ほれ、財布だ持ってけ」

 医者の持つ財布にしてはぼろっちい、年季の入った皮の財布を投げて寄越される。栞はほぅ、と溜息をついて踵を返そうとする。

「おっと忘れてた。これ、栞ちゃんの鍵」

 銀色の鍵をぽいっと投げられ、またしてもキャッチする。

「大事なものを投げて寄越すんじゃねーですっ!」

「ははは、悪ぃ悪ぃ」

 ごはん炊いておいてくださいね、と譲に言い残して、栞もまた外へ出かけていく。




 近場のスーパーでカレーのための買い物を済ませた帰り道。折角学校近く、徒歩十分圏内に家があるのだ。ちょこっとくらい遠回りしても夕飯が遅くなるだけで罰は当たるまい。譲には少し待っていてもらおうと、星謳学園を遠目に眺めながらもうすっかり藍色に染まった空の下を歩いていく。新しい家、新しい生活。祖母のいる家に帰らなきゃならないという抑圧から解放されただけで、栞の足取りは自然と軽くなる。

 両親がまだ目覚めていた頃、カレーを作る母親の手際を眺めながら、やりかたはなんとなく覚えている。買うべきルーも、使う野菜の量も。

 ふんふんふん、と鼻歌を歌いながら歩いていると、交差点から現れた人影に、思わず足を止める。

「……お前」

 驚いて目を丸くしているのは、バイトに行くといって家を出て行った湊だった。

「み、湊さんっ!? バイトでは……?」

「客が来なくてね。今日は帰れって、店長に言われちまった。……それ、夕飯の材料か」

「そうです。カレー作ろうと思って」

 カレー、と言葉を舌の上に乗せて、転がす。湊は僅かに表情を和らげて、栞に向けて小さく笑った。

「……そうか。じゃあ、手伝う」

「お願いするです」

 どうやら思ったよりもぶっきらぼうな人じゃないらしい。栞はなぜだかとても懐かしい気持ちが湧き上がるのを感じた。郷愁、とでも呼ぶべきだろうか。すこしだけ目にじわりと滲むものをぬぐって、自分よりも背の高い居候と、とてとてと帰り道を歩いていく。

 二人を見守るように、夜の星がちかちかと瞬いていた。

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