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第12話 想い出は水底に

 深い、深い夢を見ていると少女は思った。体は重く、ただただ沈みゆくばかりだ。

 体はさかさまで、沈んで行く速度が早いのか遅いのかわからない。不思議の国に至るための穴を落ちていくのに似ている。もっとも、浮遊している小瓶やらチェス盤やらはあたりに見当たらなかったが。

 どこまでも世界は真っ暗で、時々、想い出が灯りとなって微かに光っている。柔らかな灯りもあれば、どこか冷たい輝きの光もあった。ふと、青白い冷光に目を惹かれると、栞の体は緩やかにその方向へと向かっていく。灯火に触れれば、ぱちり、爆ぜるような痛みが指先からはしる。そのまま光に飲み込まれ、眩しさのあまりに目を閉じる。




「その子はあまりにも出来損ないです」

 着物を身に纏った老婆が、眉間に皺を寄せながら憎々しいと言わんばかりの表情をしていた。対峙する男の後ろには、怯えながら老婆を見上げる子供が二人いた。男はそうですか」と生返事を返す。俯瞰視点から眺めるその想い出に、栞は心当たりがあった。忘れもしない、五年前の雨の日。栞の両親が意識を失い、死んだように眠り続けるようになった頃だ。

 老婆--白鳥綴は、厳しい口調で男に告げる。否、正確には男ではなく、その後ろにいる二人の子供に告げている。

「劣っているということは、みにくいという事。そんな出来損ないの鳥など、この白鳥家には要りません」

 要らない、と言われて背後の少女がびくりと反応した。青年は悲しげに眉根を寄せ、子供達の方にちらりと視線をやる。少年の方が、諦めたように笑っている。老婆が言いたいのは“みにくいアヒルの子”の話だろう。醜く生まれたが故に家族から除け者にされ、ついには追い出される哀れな雛鳥の童話だ。譲は再び綴に視線を戻すと、意を決したように口を開いた。

「じゃあ、俺がもらってもいいかい」

「捨てたごみをどうしようと貴方の勝手です。……けれど、その娘はまだ私達のもの」

 視線を向けられ、青年の足に少女がぎゅうとしがみついた。いかないで、と目で訴えられる。けれど青年はどちらか一人しか選ぶことができなかったし、二人ともを連れて行ける力は、まだ彼には備わっていなかった。

「引き剝がしなさい。そして、しかるべき処置を施しなさい。夜鷹譲、貴方にはそれができるはず」

「嫌だ、なんて言わせてもらえないんだろ? いいさ、やるよ」

 夜鷹譲の姿はまだ若かった。無精髭も生えていないその面差しは幼く、けれど瞳の奥には疲弊の色が滲んでいた。譲は子供達の方に向き直ると、しゃがみこみ、少年と目線を合わせる。くしゃりと悲しそうに笑って、頭を撫でようと手を伸ばす。ぼう、と柳緑の光がその手に宿る。

「だめ、お兄ちゃんに何するの、譲さん!」

「よせ、栞!」

 幼い栞が夜鷹湊を突き飛ばして、咄嗟に間に割り込んだ。止める兄の言葉も聞かぬまま、光に触れる。びりびり、と音を立てて栞の体が小さく痙攣する。そのまま崩れ落ちるように、少女は気を失った。一瞬、驚きで目を見開いていた譲はしかし、次の瞬間には冷静な口調で老婆に向き合う。

「……"処置"、したぞ」

 幼い少年をかばうように立って、幼い少女を抱きかかえて、譲は悲しげに眉を寄せる。

「私が命じたのはそこの醜い鳥の記憶を奪うことですが」

「もう一度記憶を消せというなら追加料金だ。身内と言えどもタダ働きはしない主義でね。……それに、栞の記憶を封印しておいたほうが、あなたにとっても好都合なんじゃないんですか」

 譲は抱きかかえていた栞をそっと玄関に横たえさせる。まだ使用人が働いていた時期だから、慌てて奥から何人か人がやって来て、眠る栞の体を部屋へ運んで行く。譲は湊の手を引いて、白鳥の本邸を出て行った。かすかに、譲の口もとが動いていたけれど、栞の耳に言葉は届かず。

 ばちん、と音がして、再び辺りが闇に包まれた。




 涙を流しながら目を覚ますと、天井の照明がゆらゆらと揺れている。世界が滲んで、ぼやけている。そっと溢れる雫を拭って、ぱちぱちと瞬く。譲の家のリビングにあるソファに寝かされていたようだ。桃色の毛布がかけられている。

 気だるいまま耳をすまし視線を彷徨わせると、譲と湊がテーブルに座って何かを話していた。聞きたいことも、言いたいことも、たくさんあるけれど。とりあえず寝たふりをして、少し聞き耳を立ててみようと、栞はぼんやり考えた。

「あの鎌を使うなと言ったろうに、湊」

「悪いなオッさん、でも今が使いどきだと思ったんだ。《星の女神の導き(うんめい)》ってヤツ……わかるだろ?」

「だからって自分の命を削るやつがあるか」

 ごつん、と音がした。譲がげんこつで湊の頭を小突いていた。

「ってて……怪我人には優しくしろよ、医者のくせに」

「死に急ぎ野郎にげんこで済ませてやってんだ、充分優しいよ」

「ごめん、譲」

「お前を引き取ると決めたときに、覚悟はしてたから構わんよ。……ほら、点滴するぞ。そのままだと半身不随だの麻痺だのになりかねない」

 何やら物騒な単語が聞こえてきて、思わずがばりと身を起こす。半身不随、麻痺、なんて恐ろしい言葉が体を震わせた。なんの話だろうか。

「目が覚めたかい、栞ちゃん」

 譲が近寄ってきて、栞の手首を掴んで脈をとる。何ヶ所か体の様子を診て「異常ないな」と呟く叔父の顔は、夢で見たよりもさらに疲れていたけれど。あの時よりは、どこか幸せそうだった。

「記憶、ちょっとはもどったか」

「はい。あの、譲。半身不随って、麻痺って、何事ですか。湊さん……湊お兄ちゃん、死にませんよね」

 浮かんだ疑問を矢継ぎ早に言えば、譲は落ち着け、と栞の肩をトントンと叩く。

「死なせないための点滴だ、大丈夫。な、湊」

 ああ、と返事がくる。栞にお兄ちゃん、と呼ばれた湊は複雑そうな顔をしていた。ややあって、おもむろに口を開く。

「オレは、魔術師として出来損ないなんだ」

 なんの話だ、と栞は首を傾げた。そんな言葉、兄の口から聞きたくはなかった。が、湊が何かを語りたそうだったので少女は大人しく口をつぐむ。

「先天的に魔素回路がイカれてて、魔術を使うとデカい反動がくる。体内に魔素が蓄積しやすいから、こうして点滴したり薬飲んだりしないと、死にかける。ただそれだけの話だ」

「それだけって……!」

 命がけで栞を助け出した男は、なんでもないことのようにそう言った。自分のことなどどうなってもいいという物言いに、栞はぶんぶんと首を振る。自分よりも、自分を家から追い出した妹の方が大切なんて、そんなのあんまりです。栞はそう言おうとして、けれど喉に言葉がつっかえてしまう。

 そんな栞の様子を、湊は眼鏡の向こう側から柔らかな色で見つめる。失われた五年間の繋がりを確かめるような、そんな表情だった。

「オレはお前をみすみす失いたくない。だから力を使った」

 湊の手首に、よく見ると無色の宝石がついたブレスレットがついている。ブン、と音がすると、それは漆黒の大鎌に変化した。なんですか、と栞が尋ねると、特殊な魔道具だという返事があった。

「普通のやり方じゃ魔術をろくに使えないオレでも、この鎌を通じてならなんとか戦える。全ての魔術を断ち切る刃だから」

 死神から借りている、と湊は冗談なのか本当なのかわからないことを口にした。

「魔術自体はまた、使えるようになる。点滴が終われば、体内に蓄積した魔素があらかた取り除かれるからな。溝に溜まったゴミを洗い流すようなもんだ」

 でも、と兄は続ける。

「お前を助けてやれるのはこれっきりだ」

 どういうことですか、と栞の声が震えた。湊はおもむろにキッチンの方へと向かうと、紅茶のティーバッグを手に取った。

「オレも譲も、お前に負い目がある。お前に隠していることがある。けど、いい加減話すべきだろうな。聞きたいこと、たくさんあるだろ」

 電気ケトルで沸かしたお湯をマグカップに注ぎ、蓋をして栞の前に置く。

「……わたしの記憶を封印していたのは、あなただったんですね」

 か細い問いかけに、頷いたのは譲だった。

「ああ、綴さんからの依頼でね。当時の俺はまだ力のないガキだったから、断りきれずにこのザマだ。灯姉さん--栞ちゃんのお母さんも眠っちまったし、後ろ盾のない夜鷹を庇ってやってるんだ、これくらいの仕事はしろって白鳥家の当主に言われたら断れなくてなぁ」

 夜鷹家はもう衰退してしまっている、と譲は語った。譲の両親はもう魔術師としてやっていけるほどの体力はなく、親戚巻きに魔術的な才に恵まれているものはいない。言詠は大半の家が似たような状態に陥りつつあるから、まだ血脈の保たれている家とつながりを作って、なんとか家系に伝わる魔術を伝承しようと躍起になっているのだと、男は語った。夜鷹家も例外ではなく、白鳥に輿入れした姉--栞の母親も、その目的を抱いていた部分があると、譲は苦笑しながら話した。

「もっとも、姉貴は昴さんとうまくやってたみたいだけどな」

「そういう事情があった割には、母さんと父さんはバカップルしてた気がするぞ」

 呆れた顔をしながら湊がそう語る。ああ、この人は本当に自分の兄なのだなぁという想い出が不意に蘇って、再び涙がこみ上げる。忘れてしまったことへの申し訳なさと、記憶が蘇ったことの嬉しさ。それから、譲への八つ当たりのような感情。そんなものがごちゃまぜになって、しらず、胸が苦しくなる。

「ほんとに、お兄ちゃんなんですね」

「おう。……黙ってて、ごめんな」

 大丈夫です、と呟きながら、栞はマグカップの蓋をとった。ほわり、湯気の温かさと共に、思い出されるのは湊の態度。初めて会った時の複雑そうな表情も、時折感じた旨をかきむしるような郷愁も、全ては家族であるということの証だった。

「自分が、世界にひとりぼっちじゃないってわかったから、怒ってません」

 そいつはいいな、と湊が笑った。違いないと譲もにやりと口の端を上げる。こくり、喉を鳴らして飲む紅茶の味は、いつもよりも甘く優しいものだった。

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