第9話
結果から言って、ケーキが人々の役に立ったか役に立たなかったか、といえば、答えは勿論、役に立った、である。
トゥリパ付近の農地は破壊し尽くされ、近隣から食料を入れようにも、その道さえ満足に復旧することのできていない状況下において、一時的とはいえ、圧倒的な量の食料供給は救済と言わざるを得ない。
「はいはいー、まだ沢山ありますからねー」
エルヴィンが率先して誘導し、何事かと駆けつけた国の人間たちへの説明はミカルが行う。そんな様子を、やり遂げた、という満足気な顔で見守っているのはりるに、リーナスもまた、同じようにそんな光景を見ながら、近づくとそのことにさえ気づいているのかいないのか、どうやらぼんやりしているらしいりるに話しかける。
「ねぇ、りるちゃん、本当に大丈夫なの?」
けれども、りるは、けろりんとした顔で、何が、と聞き返す。
「何が、ってさっきも言ったけれど、あなたの魔力のこと。私は、別にりるちゃんに特別好意を抱いている訳じゃないわ……けど、悔しいけれど、あなたの力は本物だもの。悔しいけれど、あなた以外に、あの女、フィグネリアに勝てる人は今のところいないと思うし。だから、あなたにここで力を使い切られては困るのよ」
普段のおしとやかな様子とは打って変わって、リーナスは真剣な顔をしている。重く、未来のことを嘆いているように見えた。
「何が? りるは大丈夫だよ?」
一方のりるは、けれど、なおも大丈夫と言い張る。
「あなたは、確かに、私よりも、フィグネリアよりも、はるかに大きな力を持っている。けれど、だからといって、魔力には限りがあるし、魔法の仕組みだって私たちと変わらないわよね。りるちゃんは、私が魔法について分かってないと思ってる? 私は、エルヴィンやミカルと違って、とても長い時間魔法に触れてきたの。だから、ケーキを作る、という魔法がいかに魔力を消費する行為かということは分かっているつもり」
りるは、リーナスの言葉に割って入ることない。リーナスはさらに続ける。
「例えば、ぬいぐるみへの変化。あれは、元ある物質の構成を変化させるために魔力を使った。サーカスについては言うまでもないわ。ぬいぐるみの出現といっても、あれは風を魔力によって変化させたものであって、直接的な物質を無から作り出した訳じゃない。でも今回については訳が違う。異空間もしくは付近のどこか見えないところからの物質の転移。その物質の構成を変化させて、人間が食べられるものにする。掛かっている不可、魔力の消費は格段に多いはずよ。違うかしら?」
リーナスの説明が終わり、リーナスはりるの返答を待った。りるは、視線をケーキからリーナスへと移すと、いつもより少しだけ薄い笑いをリーナスへと向けて、ただ一言だけ返答した。
「でも、これが必要なことだもん」
リーナスの胸を何かが打った気がした。それは、りるの言葉に他ならない。りるの言葉は、リーナスにそれ以上の反論や追及をさせることを明確に拒んでいた。故に、リーナスもまた、これ以上、りるに何かを言うことは出来なかった。
彼女が言った言葉は、短くも的確であり、間違っている、とは言い難かったのだ。
それでも、とリーナスは思いなおそうとする。ここで魔力を使い果たして、りるがフィグネリアを倒すことが出来なければどうなる、と。無論、トゥリパの人々を救うことも大切なことだ。そこに異論はない。しかしながら、それによって、フィグネリアを倒すことが出来なくなれば、トゥリパだけではなく、アヴァラ大陸全土が焦土と化すことが現実となり得るのである。多数の人間が救われるならば、一部の人間が救われなくてよい、という道理はない。そんな道理はない、が、しかし、リーナスは現実を見るべきだと強く思った。だから、苦しいながらも、りるに反論しようとした。しかし、
「おーい、リーナス、君も一口食べてみなよ~」
なんていう、笑顔満点のミカルの声に、反論の機会は奪われる。
もうっ、と小さく悪態をつくと、リーナスは仕方なくミカルのいるところへと足を向けた。
特筆すべきは、このケーキの出現の話だけではない。むしろ、それは序章に過ぎなかった。
なんと、驚くべきことに、りるは、更にこの後、数日、五度に渡り、何かしらの巨大な食べ物を生成するという行為を繰り返したのである。これらは、当然、トゥリパの市民たちからしたら非常にありがたいことであった。とはいえ、ミカルというこの街の権力者である王家との関わりを強く持つ者がいなければ、怪しい行為であるとされ、その恩恵は享受されなかったであろうことを考えると、ミカルがいて初めて成立した貢献行為だと言えよう。
しかしながら、ミカルがいたから、だとかそういった些細なことを差し引いたとしても、りるがこの街で人気を得るのに多くの時間は必要なかった。
そもそも、初日のケーキ事件の時点で姫愛りるの注目度は一気に高まった。ブベル王国に住む人々が、他種族や、その他、外からの訪問者に寛大な思考を持っているというのも一つの要因ではあるが、それ以上に、りるがどうにもこうにも役に立つことをしたという事実こそが大きいだろう。
そんな騒がしい毎日を送りながら、その中でも、りるは人々と交流を深めていった。食べ物を出した後、自らも、その分配作業に携わるのだ。
「はい~、どうぞ~、はい次の人も、どうぞ~」
ちょいちょい、と魔法を使って次々人々へ食料を分け与えていく。街全体からしてみれば、りるが生み出した食料の量は微々たるものではあったかもしれない。それでも、街中でいきなり大きな食料を魔法によって生み出して、それを分け与えるという行為は、誰が見ても圧巻の一言であった。その物凄い行為が、自分たちのために行われているのだ、ということを知るだけで、人々はどこか嬉しくなったのである。
そして、三日目にしてついに、
「おっ、あの子がりる様かぁ~」
「ありがたや、ありがたや……」
などとりるを神聖視するものが現れ初め、彼女は神の使いである、ブベルの救世主である、などともてはやす連中が出てくる。りるの行った奇想天外な行為が、口伝いにトゥリパの街中に広がり、一目見ようと多くの人がりるの元へと訪れてきたのだ。
りるは、そんなファンたちに向けてファンサービスも忘れない。
「あっ、そんなところいないでこっち来てよ~」
と、遠くで見るだけの人々に手を振り、近くへ来るよう呼び寄せる。瞬く間にりるは人々に囲まれ、色々な質問を受ける。
「あ、あのっ、どうして、こんなことをしてくださるのですか!? その白色の髪といい、特徴的な服といい、この国の人じゃないですよね」
「だってみんなの幸福度を上げたいから~」
「あなたの魔法はどうしてそこまですごい力を持っているのですか? やはり、それ相応の修行をした御身なのでしょうか」
「りるは何にもしてないよ~。りるの魔法は皆の奇跡なんだよ! マジカルッ、りるたん!」
決めポーズを取ることも忘れない。しゃきーん。わっ、とざわめく民衆たち。その喜ぶ姿、ありがたがる姿はまさにファンである。圧倒的人気を誇る現地の人々に直接接する系の魔法少女、ここに現る。
そうはいっても、ずっとこれを続けている訳にはいかない理由があった。三日目が過ぎ、四日目、五日目に差し掛かり、リーナスでなく、エルヴィンやミカルが見ても分かるほどに、りるの顔には疲労の色が見え始めたのだ。
そして、ついに、五日目、事件は起きる。
それはもう沢山の人がりるたちを取り囲む中、りるがいつものように食料出現魔法を放つ。辺りに食べ物の匂いが立ち込め、今日もまた、大盛況。そう思った次の瞬間、どさ、と誰かが倒れる音した。
「……! 姫愛りるさん!?」
倒れたのはりる。エルヴィンがすぐに駆け寄り、リーナス、ミカルがそれに続く。また、一時は食料に目を取られていた人々も、何事か、救世主が、とりるの周りを心配そうに囲む。彼らに悪気は勿論ないのだが、今ばかりは邪魔だと判断したエルヴィンは、ミカルとリーナスに野次馬をどけるように指示し、
「ほら、俺の背中に乗って」
そう言うと、りるを背負って、王宮へと向かう。
背中に背負ったりるの身体は驚く程に軽く、この少女は果たして本当に生きているのか、それさえも疑問に思えるほどだった。まるで、質量がないように思えるのは、気のせいではないだろう。軽いのだ。普段から、魔力による自動浮遊に近い行為で、跳ね回るようにして動いている彼女を鑑みるに、恐らく、自動で浮遊力が発生しているのだろうとは予想できたが、それが正しいのかということはエルヴィンには判断しかねた。
しかし、今は、そんなことはどうでもいい。むしろ、彼女が軽過ぎることは、非常に助かる。ここから王宮まで向かう時間が短くて済むのだから。
エルヴィンは、そのままりるを背負って、駆け足で王宮に急いだ。
「えぇとね、りるね、疲れちゃったみたい」
えへへ、と軽く笑うりるは、ミカルの部屋の一角にて横になっていた。その周りをエルヴィン他三名が囲い、傍に水など、看病用の道具などが用意されている。
「だから言ったでしょ!? なんで限界が来ると思ったなら途中でやめなかったの!」
リーナスが叱責する。
「リーナス、止めなよ。彼女が間違ったことをしていたという訳ではないんだから……」
ミカルが、少し後悔している顔で言う。彼は、少し反省していた。りるに食料の調達を行って欲しいと思い続けていたからだ。食料を出現させる魔法が、りるの魔力へ大きな影響を与えているという仕組みについて詳しく知らないとはいえ、リーナスは一度警鐘を鳴らしていたのである。それを聞かないふりをして、放置してしまった。自国民が救われているから、もう少しだけだから、とミカルは心のどこかで思っていたのである。
「止めなよ、じゃないわ、ミカル。これは、あなたの責任でもあるし、エルヴィンの責任でもあるし、それに……私の責任。私の責任が一番大きいんだもの……」
リーナスは、そう言うと、悔しそうな顔をして顔を下げる。誰と視線を合わせたくない、合わせられないという気持ちが見て取れた。
「そんなことないだろう、リーナス。俺だ、俺が悪かった。もっとリーナスの話を真剣に受け止めていれば。姫愛りるさんに、希望を持ち過ぎてしまったんだ、俺は。恥ずかしいことながら」
エルヴィンもまた後悔したように言う。そして、訪れるのは沈黙。これから先のことを話し合う気力はなかった。何はともあれ、りるの体調が戻らないことには何をすることもできないのだ。そんな沈黙の中、口を開いたのは、りるだった。
「なんでやめなかったのか、ってことを、皆は気にしてるのかなぁ?」
寝転がったままながら、その声には多少の元気、軽さが感じられた。誰が返事をするでもなく、少しの間が空く。
「私の魔法はみんなの奇跡。私は、みんなの幸福度を上げたかったからだよぉ~」
りるの口調は軽い。それは、別に無理しているからだとか、エルヴィンたちに心配をかけないようにしたいからだとか、そういった理由ではない。彼女が、今の彼女の気持ちをそのまま表しているだけであって、そこに嘘偽りはなかった。口調がいつもと同じだということは、りるが言った言葉は嘘偽りのない真実であるということを認識するのに大きな役割を果たす。
「もういい、分かったから、しばらく休むんだ」
「その通りだよ、ヒメア。君は、本当に、この国、この街にとって大きなことをしてくれた。僕からも、そして、第三皇子という身分からも、ヒメア、君に大きな感謝を伝えたいと思う。本当にありがとう。君のおかげで、きっと、この街の人たちは、救われた。これから、きっと、復旧だって、うまくいく、はずだ」
後半はミカルの理想である。理想ではあるが、そうなると、強く信じることが出来た。りるの行動によって、この街の人々にはより強い希望が湧いたはずなのだから。
「あ!」
唐突にりるが口を小さく開け、天井をじっと見つめて声を出す。何事か、と全員が注目して、りるが放った一言は、
「私ねっ、眠たいみたいっ! おやすみ~」
であった。エルヴィンらは互いに顔を見合わせる。一体何事か、と。そして、自由気ままに宣言をした当の本の人を確認すべく、さて、と三人一斉に視線を落としてりるを見ると、そこには、目を瞑って、すー、すーと寝息を立てるりるの姿があった。りるはその一瞬にして眠りについた。まるで眠り姫のように眠る様は、まさに、姫、といったところだろうか。