第4話
「元気にする、って言ったってなぁ……」
りるの言葉に、全く賛同できないエルヴィンではない。彼は元々この国の出身。確かに、この国の居心地の悪さというか、閉塞感というか、希望の無さ、そういったものは生まれてからずっと感じてきた。
隣国のウィシュトアリー聖国は領土の開拓、魔法技術の発展目覚ましく、どんどん豊かになっている、力をつけてきていると聞く中、かつての宗主国であるアヴァラ西部共和国は、日に日に衰退していっている、という印象がぬぐえなかった。領土拡大は、ウィシュトアリー聖国と同盟関係にあるため、そちら方向に行うことはできず、かといって逆方向に行こうと考えようともそこにあるのは海。その先に何があるとも分からない。その先を開拓するほどの活力はもはやこの国には残っていなかったのだ。
そんな中で感じる閉塞感は、エルヴィンがだけが感じるものではなく、恐らく、国全土の国民が感じているものだろう。上位階級は既得権益の保護に躍起になるばかりで、現状を打破する気はなく、維持するので精いっぱい。とにかく、先行きは暗い、と言わざるを得ないような現状なのだ。
「──ちょっといいですか?」
すっ、と右手を小さく上げ、意見を申し入れてきたのはリーナス。若干遠慮気味なのは、エルヴィンがひどく考え込むような様子だったからだろう。
「ん、なに?」
エルヴィンは、くるりと表情を変えてリーナスを見る。
「えと……ほら、エルヴィン、報告に行った方がいいんじゃないかしら? 一応……」
報告、という言葉を聞いて、エルヴィンは思い出す。そういえば、自分は、今でも一応、一兵卒としてこの国に仕えているのだ。足を向ける先は、トラウィストンの城。大昔は軍事施設として機能していた城である。
かつての面影はなく、その城は、灰色の空の下、ひっそりと建っていた。城門には二人の兵士。こんなところに兵士がいる意味もないのだ。受付の役割を兼ねている。エルヴィンは彼らに話しかける。
「エルヴィン・フォン・ブロンベルク。ただいま、魔物討伐から戻りました。どうしても上に報告しなければならない事項がありまして──」
表向き、彼の任務は魔物の討伐。そのまま後ろにいる三人も案内され、魔物討伐を指揮する──といっても、ただ、上にのさばっているだけの名ばかりの軍人がいる部屋へと通される。
通された先の部屋は、薄暗く、まるで尋問部屋かのように狭い。窓はあるのに──。この狭さは、決して、この部屋の物理的なものではない。空気が重たいのだ。そのことには、エルヴィンだけでなく、ミカル、リーナスもまた気づいているようだった。
「──ふぅ、それで、報告とは……?」
部屋の奥で腰深く椅子に腰かけているのは、指揮官だ。軍服に袖を通しているが、そのだらりと下がる贅肉を隠しきることはできず、およそ、民から吸い上げた税で私腹を肥やしているお偉いさんだということが見て取れた。
エルヴィンらが四人もいるということに対しては、何一つ言及してこない。面倒くさいのだ。この指揮官が思う事はただ一つ。平穏無事であれ、ということのみ。誰が来ようが関係がない。そんなものはどうでもいいから、自分はただただここで仕事の時間を潰したい、そういった思考しか彼には存在しない。だから、そこにエルフの少女がいようが、ホビットの少年がいようが、はたまた、良く分からないひらひらとした衣装を着た目をぱちくりさせ、辺りを興味深そうにぐるぐると見まわしている落ち着きのない魔法少女がいようが、そんなものは関係ないのだ。とてもとてもずぶといメンタルの持ち主なのだ。そのとき──
「あー! はげあたま! かっこいいー!」
その重苦しい空気を唐突に引き裂く強烈な一言がこだまする!
確かに禿げ頭である。指揮官はその贅肉のたっぷりのった体の上に禿げ頭を携えている。しかし、彼の名誉のために言っておこう。彼ほどの歳になれば、頭部の髪が抜け落ちるというのは極々自然なことであり、もっといえば、妻子を持つ彼にとってしてみれば、ここまでの地位を獲得した彼にしてみれば、そんなことなど実にどうでもいいことである。故に、本人は、そんなことをあまり気にしていない。
だが、さらに言うなれば、こういう状況の時、最もこの魔法少女の空気を切り裂くような一言を気にするのは本人ではないということだ。
「なっ、なっ! や、やめなさい! やめろ! 姫愛りるさん! だめ!」
エルヴィンが物凄い勢いで慌てて止めに入る。当事者が気になるのはそこである。何をそこまで慌てるのか、何のつもりで慌てるのか、貴様は一体私に対してどういう感情をもって接しようとしていたのか、指揮官の頭にもはやはげあたま呼ばわりした少女のことなどなく、あるのは、この、エルヴィン・フォン・ブロンベルクという若造のことのみ。ギン、と睨みつけると、しかし、一つ、大きなため息をつく。
こんな若造に怒ってどうなる、と。彼は達観していた。こんなところに怒るためのエネルギーを使う必要なんてどこにもないんだ、と自らを鎮める。鎮める、というよりは、自然と、そういう方向へと思考が移る。
ちなみに、余談ではあるが、皇子ミカルは、ぷぐっ、ぷぅっ、と笑いを堪えていた。メンタルが強靭なのである。さすが皇子。さすが男の子。強いぞっ。
けれど、エルヴィンは別だ。あぁ、とか、えぇと、とか、しどろもどろ。見かねた指揮官は、ごほんと一つ咳ばらいをして言う。
「あー、いいから……早く言いたいことを言いたまえ、私は忙しいんだ」
その言葉に我を取り戻したエルヴィンは、キリ、と顔を引き締める。りるを後ろへ下がらせ、ミカルへ目くばせ、こいつを抑えといてくれ、という意味だ。その上で、いよいよ言わねば、と息を吸いこむ。
「進言しますっ! ウィシュトアリー聖国が、いえ──ダークエルフたちが、封印の地より古代の魔物らを蘇らせ、大陸に混乱を招こうとしているのです!」
リーナスが続く。
「そ、そう! 私が証言します。私は、ウィシュトアリー聖国の神官として国に仕えていたリーナス・アンナ・ウルリカです。今、我が国は──」
その言葉の途中で、指揮官は、片方の手の平をエルヴィンらに向ける。もういい、待て、というジェスチャーだ。その顔つきは、実に面倒くさい物を見るような目であり、退屈そうに、ため息を一つついた。
「あー……下らん。ウィシュトアリーは我らの盟友、封印の地から魔物が解き放たれたら、彼らもまた滅びの道を歩む、違うかね? そんな下らないことを報告しに来たのか? ……んん? いや、あー、そういえば、そんな報告がしばらく前にも来ていたな? なんだ? またいたずらか? もういいだろう、私は忙しいんだ」
エルヴィンは、ぐっと拳を握りしめた。そう、彼はもう既に何か所もこの国内の色々な組織に、ウィシュトアリー聖国のダークエルフらが企む計画を報告し、支援を仰いでいたのだ。けれども、どこもかしこも門前払いか、この指揮官のように、下らない、あり得ない、といって話を聞かなかった。
だから、彼らは三人で、フィグネリアとの対決をせざるを得なかったのである。今回も、また、か。エルヴィンの頭には、失望という二文字が渦巻いていた。
エルヴィンが反論しないのを見て、見かねたミカルが発言する。
「僕はブベル王国の第三皇子、ミカル・ラピスです! 証言します、僕の国、ブベルは、ウィシュトアリーの率いる魔物らによって蹂躙されました。この事実があってもなお、アヴァラは動いてくれないというのですか!?」
ミカルが懸命に訴えるも、指揮官の反応は極めて薄い。
「ああ、聞いているよ、ブベルに魔物の大群が押し寄せた、と。その件については災難だった。……が、君が、第三皇子? ブベルの魔物がウィシュトアリーの仕業? そもそも、ブベル王国の皇子が我が国に来るというのなら、きちんとした正式なルートから話が来ているはずだろう? それに、穏健派のエルフたちが政権を握るウィシュトアリー、魔物を操るなぞ誰が行えるというのだね。そんなすぐにばれるような嘘はやめたまえ。反論するのさえバカバカしい……」
「そ、それはっ、ですから、ウィッシュトアリー聖国では、ダークエルフらがクーデターを起こしてですね……!」
リーナスが反論するもの、
「それならば、もっと事が公になっているはずだろう? 今も我が国は、ウィシュトアリーとは同盟関係にある。ブベル王国とも、同じ、旧アヴァラ連邦を構成してきた一員として友好関係を結んでいるはずで、それはウィシュトアリーとて同じこと。……もういいかね、意味の分からない妄言に付き合っている時間などないんだ」
あくまで穏便に──事を済ませようとする指揮官。その態度に改善を要求するのはあまりにも無謀で、そして、無駄なことであった。
「……分かりました」
指揮官は、その返答を聞くと、がたん、と立ち上がり、エルヴィンらの脇を通り抜けて、部屋を出ていってしまった。後は、もう自分たちの好きなタイミングで帰ってくれて構わない、という訳だ。
「ばいば~い」
その背中を手を振ってお見送りをするりる。一人だけ異様な明るさを見せているが、彼女以外の三名は、どんよりと落ち込んでいた。
自分たちがなんとかしなくてはならない──そういう思いは勿論ある。しかしながら、唯一頼れる国であるはずのこの国の人間がここまで力を貸してくれないというのは残念でならなかった。
もっとも、指揮官は、彼らの言うことを全く信じていない訳ではない。けれど、彼は信じたくないのだ。そんな大事が起きているはずがない、とそう思いたいのである。その思いが、僅かに信じようとしていた彼の心を押しつぶしてしまったのだ。なかったことにしてしまったのだ。もみ消してしまえばいい、という思考に至らせてしまったのだ。
部屋に残るのは四名。重苦しい空気。
「……どうしろって言うんだよ」
エルヴィンが呟いた。そして、続ける。誰に言うでもない、心のつぶやきを外に漏らさずにはいられなかったのだ。
「ウィシュトアリー聖国はダークエルフに影から掌握されている、ブベル王国は壊滅状態で軍を外に出せるような状況じゃない、この国は──腐ってる。だから、街の人たちだって元気がないんだ、そうだろ、そうだよな」
リーナスも、ミカルも、その声に反論は出来なかった。
「元気にしたいよね~」
エルヴィンの声に答えているのかどうかは不明だが、ひときわ元気そうな、何故かうきうきとした声でりるが言う。エルヴィンは、この時ばかりは、りるに苛立ちを覚えた。何も知らないお前が、何も分かっていないのに、この国の何を知っているんだ、そんな思いが渦巻く。けれど、りるに怒ったところで何が変わる訳でもないのもまた事実であった。故に、
「元気にしたいよ、そりゃあ。この城でも攻め落とすか? それでクーデターでもするか? そうだな、議会も一気に制圧して、それなら、上にのさばっている何もしないような、国の活力を吸い取っているような奴らだって──」
「エルヴィン、ダメだ、そんなことは」
ミカルに止められる。
「分かってるさ、分かってるけども、だったら! だったらどうすればいいっていうだよ。どうやったらこの閉塞感溢れる国を変えることができるんだ!?」
「そ、それは……」
ミカルは反論できない。何も思いつかないのだ、この閉塞感を打破する方法を。
出ない。
三人からは何も案は出ない。彼らは目の前のことを考えすぎていた。フィグネリアをなんとかしないといけない、という思いもあったし、一方で、先ほどの指揮官の様子から見て、この国をどうにかするには、上位階級の人間をどうにかしないといけない、けれど、何ともできない、といったような思いもあった。とにかく、それらの事項に囚われていたのだ。
そんな停滞を引き裂くように、りるが、そうだーっ! と何か閃いたように言う。三名の注目がりるに集まる。何を言う、と考える。城の爆破? 議会を攻め落とす? そのくらいの提案をいきなりしてもおかしくないくらいの突発性がこの少女にはあるのだ。三名は、僅かながらに、りるの提案に期待していた。彼女がその気になれば、大体のことは可能であろう。それくらいの力があるし、行動力があるのだと思った。何故なら、彼女は、明らかにイレギュラーな存在なのだ。何かとんでもないことをしてくれるかもしれない、そういう空気を少なからず出しているのだ。
しかしながら、りるが思いついたのは、三名が考えていたこととは、全く異なる──思いもよらない提案であった。




