第3話
エルヴィン・フォン・ブロンベルクは精神的な強さを併せ持った戦士である。しばらく前までは、未来の見えない生活、やりがいもさして感じられない仕事、いくら市民を守る、といっても、市民に特別優しくされたことなんてない。ただ、生き延びるためだけに、雇われの一兵卒として、封印の地から出てくる獣程度の強さの魔物たちと戦ってきた。しかし、今の彼は違う。リーナスという守りたい存在が出来たからである。彼女との出会いは、一兵卒として、いつものように、アヴァラ西部共和国の、ウィシュトアリー聖国との国境付近において魔物との戦闘を行っていた時のこと──なんてことを思い出さざるを得ないほど、エルヴィンの精神状態は不安定であった。
「えっとね、りるは~、この世界をね、幸福にしにきたんだ~」
はぁー、とため息をつくエルヴィンに代わって、リーナスが言う。
「でも……あなたがいきなり来て、その、助かったには、助かったけれど……ほら、結果として、フィグネリアはどこかへ逃亡してしまったの」
辺りにぬいぐるみが複数個散らばっている森中。暗黒の魔力はそのほとんどが消え去り、森は本来あるべき姿を取り戻している。
「そうですよ。僕も国はあのフィグネリアたちダークエルフによって蹂躙され……今も、その爪痕と戦っているんです。その現況を逃してしまったということは、僕も納得できませんっ」
ミカルが、ぷんぷんと憤って言う。憤っているということは確かなのだが、戦闘を行っていた時のような凛々しさはどこにもなく、背の低い男の子が可愛らしく怒る様は、恐怖心を煽るどころか、どこか微笑ましくさえある──が、彼は本気だ。
「そんなこと言ったってー!」
ミカルと同じようなテンションで、ぷんぷん、として反論するのは、他でもない、りる。服のところどころについているフリルが、文字通り、フリフリと上下に動く。
「あのな、君が何者かは知らないが──」
エルヴィンが気を取り直して言う。そこにすかさず、
「姫愛りるだよ! さっき言ったでしょ~!」
と、りるが割り込んだため、
「あ、うん、姫愛りるさん、がね」
「りるでいいよ!」
「う、うん、姫愛りるさんがね……姫愛りるさんが何者なのかは知らないけど──」
「魔法少女だよ! まじかるッ、りるたんっ!」
しゃきーん、と決めポーズを取るりる。エルヴィンは、確かに、かつてやさぐれていたが、わりと生真面目な方であった。だからこそ、リーナスという少女が、魔物に襲われていた際に、すぐに助けるという行動に出たし、もっと言えば、不純な気持ちなしで、リーナスを自分の居住地へと匿ったり、あれやこれやと世話を焼き、彼女の話をよく聞き、この世界の危機を察知し、責任感を以て、使命を果たそうとしたのである。
と、いう訳なので、姫愛りるという謎の魔法少女が、いかに不可思議な存在であろうが、ちょっとばかし会話が成り立たないことがあろうが怒ったりはしない。どちらかといえば、そう──エルヴィンは、ふぅ~、と深呼吸をして、どうしたものかと再び考え込んでしまった。
仕方がないので代わりにリーナスが、謎の少女の正体を突き止めることに挑戦する。リーナスは思う、私は、エルヴィンほど甘くはないわよっ、と。念のため記載しておくが、勿論、リーナスもまた、生真面目な少女だ。祖国が、ダークエルフのクーデターによって転覆させられそうになった時、彼女は、自らの危険を顧みず、ウィシュトアリー聖国から、アヴァラ西部共和国へと亡命。そこで出会ったエルヴィンと共に、世界を、そして、祖国を救うために、尽力した彼女が、生真面目でない訳がない。
「えぇと、そう! りるりんがね──」
「りるでいいよ!」
ひたすら柔軟な姿勢を見せてくるりるにも、リーナスはくじけないっ!
「りるちゃんがね、魔法少女だというのは分かったけれど」
無事に、りるに発言を遮られることなく、自分の主張を言うことのできる場所までたどり着く。やったわ、リーナス、私はやればできる子よ、リーナスはそう言い聞かせながらさらに続ける。そう、エルヴィンも言いたかったであろうことを言わなければいけないのだ、彼女は。
「あなたの目的は一体何なの? 人の嫌がることをさせないこと……? そんなの、でも、納得できない、私も、そして、エルヴィンも、ミカルもっ!」
いけ、リーナス、負けるな、リーナス。エルヴィンも、ミカルもそう願う。今の君なら、この謎の少女の謎を解き明かせる、そう確信する。
「りるの目的~?」
りるは、少し考えてから、にこ~と笑って答える。
「皆の幸福度を上げたいのっ!」
さらっと繰り出される、これまでとは雰囲気の違う言葉。具体的に言うと、幸福度、などという若干お堅い単語。
「こ、こうふく……?」
戸惑うリーナスにとどめをさすかのようにりるは続ける。
「幸福の在り方は人によって違うよね。幸福、心が満ち足りること。それは、決して裕福さによってのみ達成されることはなくて、人類が追うべき目標の一つのはず。かつて人は言ったわ、幸福とは誰もが求める目標である、と。けれど、それは決して他人を貶めて達成されるものではないはずよ。例えば、人を殺すことでしか幸福を感じられない人がいたとして、私たち人類はその人を許してよいのかな? 答えは、ノーだよね。けれど、だからといって、その人は幸福を追い求めてはいけないの? それだって、ノーだってりるは思うな~! じゃあどうしたらいいのか、その答えは沢山あるわっ、例えば──」
いきなり繰り出される終わりの見えない長文によって、リーナスの精神ポイントはついにゼロ。もはやこのりるの暴走を止められるものなどこの場には──誰もがそう思った時、このりるの演説に待ったを打つのは、残された最後の一人、ミカルであった。
「分かった、分かったよ、ヒメア。よぉくわかった」
もちろんわかっていない。しかし、りるの言葉はようやく収まりを見せる。
「そう、この後! この後はどうするつもりなのかな?」
ミカルの問いに、りるは、にっこり笑顔を向けながら、
「もちろんっ、困ってる人たちを助けにいくよ! ここから一番近い街はどこ?」
ようやく精神力を多少回復させたエルヴィンが、ミカルの耳元で囁く。
「こいつが訳の分からない存在なのは確かだ、けど、こいつの力がなければ、恐らく、自分たちではフィグネリアを倒すことはできない……分かるな?」
ミカルは、エルヴィンの問いかけに、小さくうなずく。
「ひとまず、ここは、こいつの言うことを聞いて、なんとか、うまい具合に、フィグネリアを倒す方向へ持っていく、それがベストな気がする」
「たし、かに」
ひそひそ声で会話をする二人に、りるが近づく。
「何話してるの!?」
「うわぁ! こ、こっちの話だ、こっちの」
「そう? それで、ここから一番近い、一番人がたくさんいる街! 教えて!」
「トラウィストン、かな?」
近づかれたことによって驚いたエルヴィンは、何も思慮することが出来ず、嘘偽りなくその事実に答えてしまった。
「よぉ~し! じゃあ、その街へレッツ、ゴー! だね!!」
テンションを上げるりる。その迫力に押され、誰も反論することができない。勿論、三名としては、りるに着いていかないという選択肢がないことはないが、エルヴィンの提案通り、彼女の力を利用したいと考える三名は、りるに従うことにした。
アヴァラ西部共和国、東部に位置する街──トラウィストン。アヴァラ西部共和国の前進であるアヴァラ連邦時代から、この街は国の政治の中心であり、共和国議会が設置されている場所でもある。かつては、アヴァラ連邦議会として、アヴァラ西部共和国だけでなく、リーナスの出身地である現ウィシュトアリー聖国、皇子ミカルがいた現ブベル王国等多くの国々をまとめ上げる役割を担っていた議会の所在地だけあって、街は、それなりに繁栄している──ように見えなくはない。ちなみに、政治の中心部が国の東端付近に位置する理由は、ここがアヴァラ連邦としてはほぼ中心部に位置していたからである。
アヴァラ連邦の崩壊後、アヴァラ西部共和国は終わった国として、大陸の支配者的立ち位置から一線を退き、それ故に、このトラウィストンの街も、全盛期の活気から見れば程遠いほどに活気を失っていた。政治の中心地であるということと、街が栄えているはイコールとはならないし、さらに言えば、街が栄えていることと、街の人々に活気があることも、イコールであるとは断言出来ないだろう。
建物は街の中心部に行くに従って、石造りが増えるが、逆に、街の中心部から離れるに従って、木造のもの、簡素なもの、果ては小屋、といった具合にグレードダウンしてゆく。
一行が街に入るということは、当然ながら、外部の廃れた部分を真っ先に目にする訳で、中には道端で生気を失ったように座り込んでいるような人々さえいる。彼らは一様に希望を失っているのだ。楽しい、そんな感情とはまるで無縁の生活を行うものたち。無論、街を歩く人たちにも、あまり明るい顔は見られない。街はずれであるとはいえ、こんな人々の様子を真っ先に見たため、
「元気がないっ!」
りるが発した第一声はそれだった。周りの市民らにも聞こえるくらいに大きな、元気な声で言ってのけるが、市民らは、ちら、と一瞥する者がいるくらいで、何も気に留める様子はない。彼らは無関心なのだ。相手が魔物である訳でもなく、多少装備を纏ったくらいの人間であれば、この地を訪れることは珍しい訳でもない。だから、無関心。そんなことに対してエネルギーを割くつもりはないのである。
「元気がなぃ~! 街に元気がないよぉ~! ね? そう思わない? えぇ~とぉ~」
りるは他三名に呼びかけようとするが、ここで初めて、自分はこの三名の名前さえ知らないということに気づく。ん~、と首をひねり続けるので、仕方なくエルヴィンから順に、フルネームで自己紹介。りるは、腕を組んで、首をひねりながら天を仰ぐ。どうやら、記憶しているらしい。
「エル! ミカル! おっぱい! よろしくね!」
エルは恐らく、エルヴィンのことだろう。最後まで記憶できなかったのか、それとも、意図的に短く呼んでいるのかは明らかではないが、おおよそ納得できる結果である、とエルヴィンは考えた。
ミカルについては、何も問題はない。完璧だ。ミカルは、心の中で、僕は大丈夫、僕は大丈夫だった、と頷いた。
さて、この一連の発言の中で問題なのは、言うまでもなかろう。
「~~~~ッ!?」
声にならない悲鳴を上げながら、胸を覆い隠すポーズを取って、僅かに赤面しながらりるを睨むリーナスについての言及である。普段おっとりしている彼女の目がまるで戦闘中、呪文を敵に向かって唱える時のような険しいものになる。戦闘中との違いといえば、顔が紅潮していることだろう。
「な、っ、うっ、ま」
おっぱい、という単語はリーナスに向けて発せられたことによって、エルヴィンとミカルは思わずリーナスの胸──いや、リーナスを見る。リーナスは、服装については露出が少なく、髪の色は淡い金色と若干派手ながらも、体のラインをほとんど表さない服装によって、貞淑という印象が強く与えられる外見である。そのリーナスに向かって、おっぱい、と口にする。
「──見抜いたか……ッ!」
エルヴィンが呟くその小さな小さな音量は、けれども、残念なことにリーナスの耳に入り、エルヴィンの頬をビンタが襲う。リーナスはそれによってようやく己のテンポを取り戻し、
「私はッ、リーナス・アンナ・ウルリカッ、ですッ!」
と、ぷんぷん怒って言う。
「ありゃ! ごめんなさいっ! かつて人は言ったわ、おっぱいって、いや、大きいおっぱいは平和の証だっ、て。りるにはね、ほら、ないからさ~」
てへへ~、と舌を出す。リーナスは、この目の前の少女の思考回路がどのように形成されているのかということについて小一時間話し合いたい気持ちを抑え、問うた。
「もうっ、そんなことよりっ、りるちゃんは、ここに来て、何をどうするつもりなの!?」
ちなみに、ポーズは未だに胸を隠すようなポーズになっている。男ども二人の視線が気になっているのだろう。そんなリーナスに自らが放ったおっぱい発言なんてものはまるでなかったとでも言うように、りるは平然と、そして、実にあいまいで先の見えない内容を答える。
「そんなの決まってるでしょ~! 街の人を元気にするんだよー!」
にっこー、と笑うりるの笑顔に屈託はなく、どうやら、嘘偽りなく、その目標を本当に果たそうとしているようであると強く感じられた。