第19話
エルヴィンの剣は、いつでも振り下ろすことができる状態にあった。この剣を振り下ろせばすべては終わった。フィグネリアは、既に戦闘力を喪失しており、反抗できる状態ではない。
「…………」
沈黙し、エルヴィンは、その最後の一撃を放つ。放とうとした。そして、放った。
けれど、その剣は弾き飛ばされる。剣はエルヴィンの手を離れるとキン、キン、と地面に何度かぶつかり、落ちた。
「なっ」
しかし、エルヴィンが驚いたのと同時に、フィグネリアはさらに驚いていた。彼女がやったのではないのだ。この場に誰か、エルヴィンのとどめを妨害したものがいる。エルヴィンは、フィグネリアから目を離すのを少しためらいながらも、リーナスとミカルを見る。しかし、彼らも、エルヴィン同様、剣が吹き飛ばされたことに驚いているばかりで、何が起きたのか分かっていないようだった。さて、一体何者だ、その正体を突き止めようとするよりも先に、エルヴィンの視界には一つの人影が目に入る。
驚く。
そこに居たのは、りるだった。立ち上がり、ステッキをエルヴィンに向け、恐らく、魔力を放ったらしかった。
「どういうつもりだ!?」
エルヴィンの声で、リーナスもミカルも、犯人がりるであることを知り、同じく糾弾するような目でりるを見た。まさに、エルヴィンたちにとって、いや、この場において、りる以外にすべての人々にとって、りるの存在は実に不可解なものとなった瞬間であった。エルヴィンの問いに、りるは、エルヴィンを睨みつけるだけで何も答えない。
エルヴィンらにとって、驚くべきなのは、そもそも、りるが魔法を使えるまでに体力が回復していたこともであったが、今、この時においては、彼女がとった行動こそが真に不可解なものであり、エルヴィンたちはまずそれを理解する必要があった。けれども、りるは返事をしない。
「くっ」
エルヴィンは相手をしていられるものかと考えると、弾き飛ばされた剣のところへと駆け、それを手にする。
その隙に、なんと、りるは、エルヴィンの横を潜り抜けるようにして移動し、フィグネリアの前へと仁王立ちした。もう誰にも触れさせないとばかりに、りるはフィグネリアとエルヴィンたちとの間にたち、エルヴィンらを睨みつける。口をへの字にして。
「おい、どういうつもりだ。訳の分からないことはやめろ」
「そうよ。そもそも、あなたがフィグネリアから私たちを守ってくれたんでしょ? それに、あなたがフィグネリアの魔力のほとんどを奪ったんでしょ? 今更何をやっているの?」
リーナスも必死にりるを説得しようとするが、りるは微動だにしない。キッ、とエルヴィンたちを睨みつけて、言い放った。
「みんな! 仲良く!」
その言葉に迷いはなく、彼女は自分が間違ったことを言っているだなんてことは微塵も思っていなかった。
エルヴィンらがどうするべきかと迷っていると、りるの背後から声が出る。
「馬鹿に、するな、小娘ぇ!」
フィグネリアは、這いつくばるようにして、りるに近づき、その足根っこを掴んだ。
「馬鹿にするな、仲良くだと? 何が仲良くだ。何が奇跡だ。何が……!」
フィグネリアはりるを見上げた。りるは、フィグネリアを見下ろした。そして、りるは、笑った。りるは、かつて、自分が完膚なきまでに打倒した相手に対して、笑みを見せたのである。誰にとっても意味不明であったが、ただ一人、りるだけは、その表情を間違っているとは思っていなかった。
「何の、つもりだ」
フィグネリアにもうりるを攻撃するだけの力は残っていない。
「ええ、と」
「何のつもりだと聞いているんだ!」
フィグネリアは叫んだ。りるを睨みつけて叫んだ。この少女のせいで、自分の夢は絶たれた。この少女のせいで、ダークエルフの未来は潰えた。この少女のせいで、私たちは死んだ。あらゆる恨みがフィグネリアの腹の底から、心の底からふつふつと湧いてきて、それらは全て怒りとなってりるへぶつけられる。攻撃を受けているため、体の自由が全く利かないにも関わらず、それでも、フィグネリアはりるの足から手を放そうとしなかった。
りるは、視線を落とした。足をたたみ膝をつき、フィグネリアの恨みの篭った腕をそっと自らの足から離し、言った。
「りるもあなたも一人だということ」
一人。
「りるは、自分が一人なのを知っているわ。だって、りるは、きっと魔物だから。だけど、りるは知ってるの、別に一人でもいいってことを。そしてね、あなたもまた、一人。みんな、みんな、一人なんだよ? かつて、すごい人が言ったのよ、人は一人で生まれてきて皆一人で死んでいく、ってね」
「な、何を言っているんだ」
フィグネリアは戸惑った。この少女は一体何を言っているんだ、と。同時に、胸の奥の重たい重たい何かがズルリと動いた気がした。
「ううん、いいの。りるは、りるがしたいことをするだけなんだから」
りるはそういうと、再び立ち上がり、エルヴィンたちを見る。
「姫愛りるさん! どういうつもりだ! そいつをかばって一体どうなるっていうんだ!」
エルヴィンの問いに、りるは、ぷくぅと口を膨らませてから、より大きな声で答えた。
「そんなの! 知らないよぉ! でも、この人を助けられるのはりるだけでしょ! りるが好きでやってるの!」
「そ、そんな、そんなことを聞いてるんじゃないっ!」
「りるはみんなの奇跡なのっ!」
大きく叫んだりるは、けれども、ふら、とふらつく。誰が支えることもできず、りるは、その場に倒れた。フィグネリアの横に。
「……ここまでみたいね」
フィグネリアは呟く。そもそも、もうとっくの昔に命を奪われていても仕方がなかったのだから、と覚悟を決めた。一度感情を爆発させた後だったからか、フィグネリアは、強い無念を抱きながらも、このまま諦めるということを選ばざるを得なかった。
エルヴィンやリーナス、ミカルが黙々と近づいてくる。その足音の一歩一歩が、死神が近づく音であった。エルヴィンらはフィグネリアを見下ろしていた。
いや、違った。彼らは、りるを見下ろしていた。フィグネリアに見向きもせず、りるの周りを囲み、そして、体を揺さぶる。
「おい、おい、どうした、しっかりしろ!」
フィグネリアは自分がいないことにでもされているかのような扱いに、思わず失笑した。
「なぁ、おい、なんでそんな無理して動いたんだよ」
エルヴィンが言う。しかし、りるは返答しない。リーナスもミカルも、必死に呼びかけるが、りるは体を動かすことさえしなかった。目は閉じられ、まるで死に絶えたかのように動かず、エルヴィンに揺すられるがままに体を振動させていた。
「……リーナス、どうしたらいいと思う?」
「分からない、分からないわよ、そんなの、私にだって」
けれど、リーナスはそういいながら、チラと、フィグネリアの方を見る。
「……」
フィグネリアとリーナスの目が合う。覚悟を決めていたフィグネリアは、思いがけず目を合わせられ、不思議そうな顔をし、そして、すぐに敵対の意志を目つきで表した。
「……彼女、なら」
リーナスが呟く。
「フィグネリア、あなた、魔の力を操れるわね?」
唐突な問い。その問いで、エルヴィンもミカルもピンとくる。故に、
「おい、リーナス、いくらなんでも無茶苦茶だろ!」
「そうだよ、リーナス! 大陸を混沌に貶めようとしていたフィグネリアに一体何を頼ることがあるっていうんだ!」
「二人とも、黙ってて!」
リーナスにぴしゃりと叱りつけられ、エルヴィンたちは口を閉じる。反論はしなければならないと思っていたが、一方で、そこに僅かな可能性でもあるというのなら、賭けてみたいという思いもあったから、大人しく口を閉じたのだ。
「ねぇ、フィグネリア。あなた、魔の力を操ることができるわよね。出来ない、とは言わせないわよ。そんなこと分かっているのだから」
フィグネリアは何がなんだか分からないが、心底面倒くさそうに、言葉を発することなく首の動きだけで肯定を示す。
リーナスは、はぁ、と大きく大きく息を吐いて、心の中で、何かしらの覚悟を決め、口を開いた。
「あなたに提案があるわ」
途端、エルヴィンとミカルが再度抗議の声を上げようとするが、リーナスがそれを視線で黙らせる。
「この子は、恐らく、魔の力を強く体内に取り込むことが出来れば助かる。助けて欲しい」
リーナスの提案。そして、それは、フィグネリアを激怒させるのにはあまりにも十分過ぎる内容だった。理屈も何もない。勿論、僅かに命を助けられていたことは確かであったが、それ以上に、それより先に、この少女に夢を、希望を──そこまで考えて、フィグネリアは、考えるのを止めた。
何故だか、無性に馬鹿馬鹿しくなってしまったのである。
何を馬鹿なことを言っているんだ、と思ったのだ。それは、リーナスだけにではない。彼女の発言も、少し前のりるの行動も、そもそも、こんな敵に対して助けを求めてくる訳のわからない連中のことも、いやいや、もっといえば、もう何もかもが。
そして、思わず、フィグネリアは笑ってしまった。あっはっは、と腹を真っ黒な天に向け仰向けに寝転がって、笑った。こんな馬鹿なことがあっていいものか、何を一体必死になっているというのだ、こいつらは、と。
その様子を見たエルヴィンたちは、一瞬何事か、思考回路が焼き切れてしまったのか、それとも、何か秘策でも見つけたのか、と警戒したが、どうやらそうでもないらしい。対応に困っていると、フィグネリアがそのまま、天を見上げた姿勢のまま口を開いた。
「馬鹿か!? お前たちは。大馬鹿ものか!? 私が、仮に、そこの小娘の命を助けられたとして、私が、その小娘に細工をしない理由なんてどこにある? 私はどんな手段を使ってでも、ダークエルフの権力を確かなものにするために動くぞ。分かっているのか? 私は、そのために、封印の地の封印を解こうとまでしたのだ。この大陸全土に魔物を解き放とうとしたのだ。他の種族がどうなろうと、ダークエルフがエルフに勝つために行動しようとしたのだ。この小娘に負けた後、地を這いつくばって、この地に留まり魔力の回復を行っていたのだ。そんな私に助けを求めるだなんて、そこの意味の分からない小娘と一緒にいたから、どうかしてしまったんじゃないのかしら?」
フィグネリアの挑発的な物言いにも、リーナスの意志は変わらない。それだけでなく、エルヴィン、ミカルもフィグネリアを見つめていた。
「……何、本気なの?」
フィグネリアが問うと、三者ともが力強く頷く。
「でも残念、それは無理。私の魔力が底を尽きているというのもあるわ。だけどね、それ以上に、なんで私がその小娘を助けないといけないの? 私に何のメリットがあるというのかしら? ないわ。何もない。一つたりともね」
「……あるわ」
リーナスがにこりと笑って言う。
「私が、あなたの身柄を拘束して、ダークエルフの地位向上のために活動する。これでどうかしら」
リーナスは思っていた。ゴルダと接した時、そして、りるの大規模な魔法によって、ダークエルフたちの意志を汲み取った時、エルフとダークエルフはある程度は共存するべきだと。
もちろん、リーナス一人で何か大きなことが出来る訳ではないが、フィグネリアの身柄を拘束したという行為があれば、彼女はある程度の地位に優遇されるであろうことはフィグネリア本人が良く分かっていた。つまり、リーナスが言っていること自体は実行可能である。可能である、が──
「そんなことを信じろというの?」
可能であるかどうかということと、それが実行されるかどうかということは話が別であろう。
「ええ」
しかし、リーナスはそんなフィグネリアへ肯定せよと突き付ける。そんな馬鹿なことはない、とフィグネリアは考えた。何故そんなことを信じることができようか、と。しかし、しかしである。ここで、彼女の言葉を信じようが、信じまいが、フィグネリアにもう抗う術など残っていない。ここで息絶えるか、はたまた、拘束されて連れていかれるか、どちらにせよ、もうフィグネリアは自分自身がダークエルフの地位向上に対して何ら貢献できないであろうことを悟る。
それに加えて、もしここで命を奪われるのならば、それこそもはや何もかもの希望が失われると言っても過言ではないだろう。であるとするなら、とフィグネリアの心は惑い続けた。そこに付け込むようにして、次はミカルが言う。
「僕も、協力しましょう。憎い。確かに、僕は、僕の国の民を踏みにじったあなたが憎い。でも、だけどね、僕が憎むべきは、きっと君じゃない。敢えて言うならこの世界の歪とでも言おうか。感情的に君を許すことはできないけれど、りるが救われるというのなら、話は別だ。許しはしない。許しはしないが、憎むべきは世界であってダークエルフじゃないはずだ。僕が、ブベル王国の皇子として、正式に、ウィシュトアリー聖国にダークエルフの地位向上、いや、エルフと対等な扱いをするよう申し入れましょう。ウィシュトアリーはブベルに大きな大きな返しきれないほどの貸しがある。その国の皇子がそう言うとあっては、放ってはおけないでしょう」
ミカルの言葉に、フィグネリアの心は大きく揺れた。




