第18話
そこは深き森の底。封印の地と呼ばれる場所の最後の地。辺りの草木は枯れつくしそこに石化したまま何千年と在り続ける。かつてこの場所では幾度となく封印を巡る戦いが繰り広げられ、つい先日もまた、この場所において、ダークエルフのフィグネリアによって魔界との封印が破られようとしたばかりである。
魔物たちを開放しようとした者たちの目的は、十人十色であろうが、歴史上、この中の異空間に存在するといわれる魔物たちが完全に解放されたことはなく、よって、彼らの夢は全て何らかの形において消失していた。
「さて、ついたけど……」
この場所についたからといって、エルヴィンにやるべきことが分かっている訳ではない。風が僅かに吹き付ける。木々は全く揺れず、代わりに微かな土埃が舞う。すっかり黒でおおわれた空が、ここら一帯は他の場所とは全く異なるということを示していた。
厳重に封印された大きすぎる岩。家一件では済まない大きさの岩が森の果てにあるというのは異様である。この岩の前において、フィグネリアとの戦いをしたのだということを思い出すエルヴィン。
「……ん」
そんなエルヴィンの耳に小さな呻き声が届く。それはりるのものだった。気持ち悪いものを感じたかのような呻き声であったが、何も反応がないよりはマシといえるだろうか。
「どうしたんだ!?」
「エルヴィン、ここに降ろしてあげて」
ミカルが荷物から適当に布をこしらえて寝場所を作る。エルヴィンは言われるがままそこへ降ろすと、りるは呻きながら横になる。
「さて、どうしようかしらね」
リーナスが辺りを歩きながら考えている。何か具体的なプランがあってここに来たという訳ではないのだ。
「ここなら、かなり、魔の力が多いのは確かだわ。だから、ここで寝ていたら回復する……って、そんな甘い訳もないわね。第一、使用した魔力の量を考えるに、こんな薄い魔の力だけでどうにかなるとは思えないもの」
「はぁ、どうしたらいいっていうんだ。封印を破るなんてこと出来る訳もないし……」
途方に暮れる三人。せっかくここまで来たのに、このまま打つ手は何もないのか、そう考えていた時、
「……あ」
りるの目が開いていることにエルヴィンが気づく。
「お、おい! 気が付いたのか!? 大丈夫か!?」
問いかけるも、りるは聞こえているのか聞こえていないのか、何も反応しない。ゆっくりゆっくりと瞬きをしているだけであり、ここがどこなのかを認識しようと努力しているように見えた。
「ええと、だな、俺たちは、お前に元気になって欲しいんだ。それで、だ。そのために、俺たちは何をしたらいい? 何をどうやったらお前は元気になってくれるんだ? お前の魔力は回復するんだ? 分かるか?」
りるは、ゆっくりゆっくりと首を動かし、エルヴィンへ視線を移したかと思うと、これまたゆっくりゆっくり首を横に振った。
「聞き方を変えるわ。私たちは、貴方が何者なのかを知りたいの」
リーナスがりるのそばに寄り添って問うが、りるは、再び首を横に振った。何も分からないというのである。
完全に行き場を失った三人は、どうしたものかと途方に暮れた。途方に暮れ、考えていた時。突如、リーナスは異様な魔力を感じる。
「……!」
リーナスがその魔力を感じた方を見ると、ごご、と地響きがした。地響きが大きくなり、土の中から、何者かが沸き上がる。数は三。敵は、ミノタウロスと呼ばれるかつてこの地にいた魔物。肌の色は茶。馬や牛を二足歩行にしたように見えるが、それとは恐ろしさが全く違う。その身体は人の二倍はあろうかというほどに大きく、体中が筋肉の塊で出来ているかのように見えた。戦闘するためだけに生まれたとでも言わんがごとく、表情には憎しみがこもっている。
「厄介だな」
エルヴィンの呟きに反応するように、ミノタウロスたちは咆哮を上げる。決して倒せない相手ではない。エルヴィンは剣を構えると三体に向けて駆け出す。
ミカルは弓をすぐに構え、牽制とばかりに素早く射る。ミノタウロスの一匹は、ミカルの射撃を腕で受け止め、刺さった矢を抜くと怒りに任せて引きちぎった。エルヴィンがミノタウロスらに到達するよりも前に、リーナスはエルヴィンの体へと強化魔法を放つ。いくらエルヴィンが戦えるといっても、相手は太古の魔物であり、その強さは未知である。打てる手は打っておくより他はない。
ミノタウロスたちは咆哮を上げながら、三体ともエルヴィンを攻撃しようとしてくる。近づいてきた脅威を排除する、という単純な本能に従っているように見えた。ミノタウロスの屈強な腕から繰り出される攻撃をするりするりとかわしながら、エルヴィンはその足へと一撃を加える。再び咆哮、一体が地面に両膝をつくが、他二体は仲間の損傷を全く気にすることなく、一瞥もせずにエルヴィンへの攻撃を続ける。
「くっ……!」
エルヴィンが徐々に劣勢に立たされていく。二対一であるのだから当然と言えよう。最初の一撃以降、攻撃を繰り出すこともできず、ただただミノタウロスたちの凶悪な一撃を避けることに専念する。
そこで差が出てくるのが、ミカルやリーナスの存在だ。エルヴィンに注意を集め過ぎているミノタウロスに対し、ミカルとリーナスは連携して攻撃を放った。ミカルの矢にリーナスが強い魔力を込める。放たれた一撃は正確にミノタウロス一体の頭を貫き、血しぶきをあげるとともに、その駆逐に成功する。
エルヴィンはまだ元気に動き回っている最後の一体に標準を定める。対峙し、睨む。この化け物がりると一緒? そんな訳がない。こいつは、ただ目の前にいる生命を奪おうとするだけの存在だ。そんなことを思いながら、それなら、俺が倒してやる、と一歩踏み込み、最後の攻撃を行おうとしたときのことだった。
「忘れていないかしら、私のこと」
白い髪が視界の片隅に入る。漆黒の衣装が視界の片隅にあった。そこから放たれた攻撃は、魔弾。魔弾はエルヴィンへとものすごい速さで迫る。
「あぶないっ!」
リーナスは反応しきれていないエルヴィンに警告しつつ、即座にその魔弾へ向けて対抗する魔法を放ち、二つの魔力は弾け、エルヴィンにはその衝撃が襲う。
フィグネリア。
彼女はどこからか現れたかと思うと、ミノタウロスの巨体の横へ立ち、無表情にエルヴィンを睨みつけていた。
「フィグネリアッ……! 生きて、いたのか」
「この大陸に再びダークエルフの力を見せつけるまで死ぬ訳にはいかないのよ」
フィグネリアは、エルヴィンたちを見渡す。
「あの忌々しい小娘はいないみたいね……。いや、違うか、いるけど、いない、といったところかしら」
くす、と笑い、
「今、この場所に近づかれるのは、目障りなのよ」
と言うと、フィグネリアはミノタウロスへ再び攻撃を仕掛けるように仕向ける。
絶体絶命。エルヴィンは一瞬そう考えた。かつて、この圧倒的な魔女の前に、自分たちは完全敗北しそうになったのであるからそう考えるのは当然のことであろう。しかしながら、エルヴィンは同時に疑問を覚えた。
ミノタウロスの攻撃を凌ぎつつ、すぐに、その疑問の正体に辿り着く。
「何故だ!? 何故、俺たちがここに来るまでに封印の地の封印を解かなかった!?」
一旦この場を離れていたとしても、エルヴィンたちがこの場に辿り着くには相当な時間があったはずだ。それにも関わらず、何故、彼女は敵がいない間に目的を達成させようとしなかったのか。
「…………」
しかし、フィグネリアはそれに返答することなく、エルヴィンの後方にいるミカルやリーナスに向かって攻撃を仕掛ける。それら攻撃をリーナスは懸命に凌ぎながらも、エルヴィン同様に強い違和感を覚えていた。
おかしい。何故、彼女は封印を解かなかったのか。その理由がないのだ。いや、ない訳がない。ある。彼女が自分たちが来るのを待っていて、自分たちを倒すまでは封印を解かないだなんて騎士道精神的なことを考えている訳がない。彼女は、目的を達成するためにすぐにでも封印を解かないといけないと考えているのだ。考えているのに、実行しなかった理由……。
リーナスは、何とかフィグネリアの攻撃を防ぎ切り、それと同時に気が付く。憎むべき敵の力が弱くなっているということに。いくらリーナスが本気で守ったからといって、あれほど苦戦した相手の攻撃を一つの傷もなく防げるわけがないのだ。この短い期間の間、リーナスは自らを鍛えた訳でもない。自分が、少なくとも、魔力の面においてフィグネリアよりも強くなっているということは考えにくい。となると、可能性は二つ。フィグネリアが手を抜いているか、それとも、力がないのか。そして、前者に関しては、ことフィグネリアにおいてある訳もない。答えは必然的に一つへと絞られた。
「エルヴィン、勝てるわよ、この勝負!」
リーナスの声にエルヴィンもまたその意味を察する。
「はっ! 何を愚かなっ!」
フィグネリアは、自らもミノタウロスと共にエルヴィンへと挑む。しかし、フィグネリアがエルヴィンに到達するよりも早く、ミカルがフィグネリアへと攻撃を加えるため、なかなか思うように近づけない。これまでならば、フィグネリアは、間違いなく、数多くのモンスターを呼び起こして対抗してきただろう。それをしないというのも、やはり、彼女の力がまだまだ回復するには程遠いということの証明になっている。回復しきっていないからこそ、封印を解くこともできなかったのだろう。話のつじつまがぴったりと合う。
ミカルとリーナスがフィグネリアの足止めをしていてくれるおかげで、エルヴィンはミノタウロス一体を相手にすることに集中できた。二体をなんとか行動不能にしたとはいえ、一体でも決して油断してはいけない相手だ。相手の攻撃は一撃必殺。まともに食らおうものなら命を簡単に奪われる。
対峙し、そして、ミノタウロスの攻撃を交わし、後ろからの鋭い一撃。一撃は正確に胸を貫き、ミノタウロスは倒れる。
「これで後はお前だけだな、フィグネリア!」
エルヴィンはフィグネリアに向かって言い放つ。フィグネリアは、眉間に皺を寄せてエルヴィンを睨みつける。
「くっ……! やるわね……。でもね、私は、負ける訳には、いかないのっ!!」
フィグネリアは、そう叫ぶと、エルヴィンに向かって走り出した。まるで、以前の戦いの時、エルヴィンがそうしたように。最後のチャンスを活かすため、彼女は賭けに出ているのだろう、とエルヴィンは本能的に直感した。
そうであれば、そうであるとするならば、慌てる必要などない。相手は結局モンスターを召喚してこなかった。それだけ疲弊しているのだ。それだけ、りるから受けた傷が癒えていないのだ。しかし、油断はしない。ここで油断をすることは死につながる。
エルヴィンはしっかりと身構え、そして、フィグネリアから繰り出された一撃を、リーナスとミカルの補助を受けつつしっかりと丁寧に受け止め──強く、強く弾き返した。フィグネリアはその衝撃をなんとか防御しようと試みるが、エルヴィンの剣による傷さえ防げてたものの攻撃の衝撃はもろに食らってしまう。
大きく突き飛ばされ、フィグネリアはその体を地面へと叩きつけられた。
フィグネリアの頭には、悔しさが浮かぶ。同族を救えなかった悔しさ。自分はあれほど期待されていたのに、その期待に答えることができなかった悔しさ。思いはそれにとどまらない。何故、こんな奴らに邪魔をされないといけないのか。憎い。強い思いは頭の中に次々に沸いてきたが、かといって、思いだけで体を動かすことは出来なかった。強い打撲が体の自由を奪い、そして、フィグネリアの目は、自分の顔の目の前に剣が突き付けられているのを目にした。
その刃は冷たいだろう。その刃は希望を奪う刃である。
自分の夢はここに絶えるのだと覚悟せざるを得なかった。叶えることの出来なかった夢。思い。それらは未だにずっと頭の中に渦巻いている。
エルヴィンはそんなことを思うフィグネリアに何かを言ってやろうと口を開きかけたが、すぐにその口を閉じた。ここで何を言っても、自分たちは分かり合うことのできない存在同士だということを知っていたからだ。何かを言ったところで、無意味でしかなく、そして、互いに取って虚しい。乾いた言葉に価値などない。エルヴィンはそう判断した。
これ以上は言葉は不要だ、とエルヴィンは覚悟を決める。剣を振り上げ、そして、フィグネリアに向けて振り下ろす。この世界を守るために。




