第17話
エルヴィンたちは、未だにスゾの集落に滞在していた。滞在を余儀なくされた、と言った方が正しかろう。りるが膨大な魔力を消費し、とんでもない事態に陥っていたからである。
一つ屋根の下、横たわるりるを囲むようにして、エルヴィン、リーナス、ミカル、そして、ゴルダが居た。
エルヴィンたちがここに滞在できた理由がある。それは、この場にフィグネリアはいないということからであった。リーナスが最も警戒していた事であったが、その事実は、エルフの軍勢の総大将とゴルダとの間での言葉による交渉の最中に明らかになったことであった。
エルフ側の最大の要請はただ一つ、フィグネリアを葬り去るということであった。エルフ側総大将は、スゾの集落のちょうど入口において、ゴルダと交渉をした。その際、
「しかし、フィグネリアだけは、許すことはできない。彼女が生きていることを知れば、我々以外の軍を全て差し向けてでも議会はその命を狙うだろう。彼女だけは引き渡してもらいたい」
と述べたのであるが、それに対してゴルダは、真剣な表情をもって、
「彼女はここにはいない」
と返答したのである。嘘、ということも十二分に考えられる。しかし、スゾの村は決して広い訳ではなく、いくら隠したところでエルフたちが本気になって探し出せば簡単に嘘は嘘とばれてしまうだろう。そんな状況下で、交渉を望んできた人々がそんな嘘をつく訳がないと判断したエルフたちは、その噂を信じたという訳だ。
その後、リーナスが気になって詳しく聞いた話では、そもそも、フィグネリアは、ここにいないより以前に、封印の地での最後のモンスター解放の儀に失敗した後、行方不明だというのである。
というのだから、倒すべき相手がいない場所であればとどまっても良いだろうと判断したのだ。
「──それで、りるの状態は、どうなんだ」
エルヴィンがリーナスやらゴルダやらに問う。エルヴィン自身に魔力に関する知識はあまりない。確かに戦いにおいて、エルヴィンは魔力を使いこそすれ、技術的な面や学術的な魔力の意義などについては全く知識がないのである。それはミカルも同様であり、その解答を知る必要があった。
「詳しいことは分からないわ」
「そうだな、正直、自分にも分からん。大体、この子は一体何者なんだ? 自分はダークエルフだ。これでも、多少は、魔の力に対して知識や体験がある。この子があの時、ものすごく強力な魔力を消費した時──確かに、この子から魔の力を感じたんだ」
ゴルダが深刻そうに言い、その言葉に驚きを覚えるエルヴィン。
「ということは、なんだ? 姫愛りるさんは、魔物だ、っていうこと、か……?」
「ない、ことはない、わね」
エルヴィンの驚きの声に答えたのはリーナスだった。
「なっ、そんな、そんなことがある訳ないでしょ!」
祖国を魔物に襲われ強い恨みを感じているミカルが反発する。しかし、彼に何の根拠がある訳でもない。ミカルは、ただ、りるは魔物なんかじゃないということを願いたいに過ぎなかった。そうはいっても、りるの姿かたちは人間のそれであり、彼女が魔物であると言われても、この場にいる誰もが、はいそうですか、と思える訳もない。
「ないことはない、と言ったのは、あくまで、客観的に状況を見ての話よ。だって、私たちがこの子と出会った場所は、封印の地だもの。そこで、強い魔力を持った少女が、フィグネリアの儀の途中で出てきた……ね、なんとなく、つじつまがあいそうじゃない? この子の正体が不明であるということと併せてね」
リーナスの言葉に、けれどもミカルはくってかかる。
「そんなはずない! リーナスだって見てきただろう。ヒメアは何回も人々を救った。今回なんて特にそうだ。人に人の思いを伝えるだなんてこと、並々の術者に出来ることじゃないし、現にこうしてヒメアは倒れている。自分のことを犠牲にしてまで人々を救う理由が、魔物なんかに在る訳ないじゃないか!」
興奮するミカルをエルヴィンが抑える。リーナスが、難しそうな顔をして答える。
「……それじゃあ、私たちは、魔物の一体何を知っているっていうの?」
その言葉に強く反応したのはエルヴィンだった。
「何を、だって? 馬鹿なこと言うなよ、リーナス。俺は何度も見てきた、魔物が人々の生活を壊すところを。魔物が人々の幸せを奪うところを。姫愛りるさんを、そんな奴らと一緒にするなよな。りるさんのおかげでどれだけの人々に幸福がもたらされたのか、少し考えれば分かるだろ? それに、だ。封印の地で現れたから? 魔の力を感じるから? そんな小さな理由で、魔物だなんて分かる訳ないだろ。だって、見てみろよ、この姿を、顔を。紛れもなく人類だよ、違うか?」
エルヴィンの問いに、そうだ、と答えられるものは誰もいなかったが、ミカルだけは小さく、けれど、力強く頷いていた。
興奮を収めるようにエルヴィンは、深呼吸すると、息を整えてリーナスらに問う。
「で。ええと、りるは、どうやったら治るんだ? この前みたいに一晩寝れば治るのか?」
その問いに、リーナスは首を振った。
「この前の様子を見ていた上で言うけれど、恐らく、答えはノー。明らかに魔力の残りが少ないでしょうし、何より、人の意志を直接他の人の頭へ送り込むだなんてことは並々ならない規模の転移魔法よ。形あるもの以外を扱う魔法というのは他にもあるわ、例えば、そう、詐欺師がよく使うような相手の感情を制御する魔法だったり、催眠下に相手を置いてコントロールする魔法だったり……人の感情もまた自然の理の中にある。その理を曲げることは魔力によって可能だわ。だけど、人の思考を他の人に送るというのはそんな簡単なものじゃない。下手をすれば、相手の心を破壊してしまうかもしれないような繊細さを伴った、且つ、エルフの軍勢相手というとても多くの人間を相手にするという膨大な魔力を消費する魔法……想像するだけで、りるちゃんの負荷がとてつもないものだということが分かるわ」
リーナスの説明にはゴルダも同意する。
「このままだったら、どうなるの?」
ミカルが聞く。
「正直、それは私にも分からないわ。けど、呼吸が徐々に弱くなっていることや、何より、りるちゃんの体から感じられる魔力も徐々に弱く、ゼロに近づいていっていることから……最悪の事態になる可能性は高い、でしょうね」
「そんな……でも、だって、おかしくない? いくら大きな魔力を使ったからって、例えばリーナス、君は魔力を使い果たしても休めば回復できる、だったら、やっぱり、りるだって、そうだって考えるの普通だろ?」
ミカルの疑問に、エルヴィンもまた同意する。けれど、リーナスは首を横に振った。
「ええ、あっているわ。だけど、半分間違ってる。確かに、私は回復する。けれど、それは、私自身の力で回復している訳じゃない。私はこの大地にあふれている魔力を少しずつ取り込むことによって回復している。それは、エルフだろうが、ダークエルフだろうが、それに、人間だろうが、ホビットだろうが……人と呼ばれる生物で魔法を扱う者なら誰でも自然にやっていることよ」
頷くエルヴィンらを見て、リーナスは続けた。
「だけどね、私がりるちゃんを見てきた限りでは、彼女は自らの魔力をほとんど回復していない。確かに、ブベルで大きな魔力を使った後、彼女は一晩寝て回復した。けれど、その後のりるちゃんにはあまり元気がなかったとは思わない? 彼女はどんどん魔力を消耗して、回復が出来ていない。それは、予想に過ぎないけれど、彼女の魔力が私たちとは異なる世界のものだから、と考えれば納得がいくわ。魔力の性質が異なるということは、彼女の圧倒的な強さを見れば考えられなくはない話……」
そう、だから、とリーナスはさらに続ける。
「この前みたいに自然い治るとはとても思えない。ブベルで寝て治ったのは、あくまで体力的な問題とまだ魔力の消費量がギリギリ限度を超えていなかったからでしょうね。今回はそれとは違う……彼女を治す方法は、その可能性があるとするなら、その正しい何かしらの魔力を供給するしかない。だけど──」
リーナスはゴルダを見る。ここから先の説明は任せた、と言っているようだった。ゴルダはそれを悟り、代わりにエルヴィンらに説明するべく口を開いた。
「この子の正体を見極めなければならない、ということだ。もし、この子がエルフであれば、同じ波長を持つアンナ、いや、リーナス殿の魔力を注げば何とかなるかもしれない。しかし、だ。例えばの話、この子が魔物だったとしたら、リーナス殿の魔力を注ぐことは害になるだろう」
「そういうこと。そして、私の魔力の波長は、間違いなく、この子とは違う」
沈黙。じゃあ、どうしたら、というミカルの小さな力ない呟きが終わり。りるの苦しそうな微かな、今にも止まりそうな息音だけがこの空間に響く。
「この子をなんとかしたいなら、この子の正体を突き止めるしかないだろう。となれば──この子が現れた場所である封印の地へ行くしかないだろうな」
ゴルダの言葉が放たれ、再び一瞬の沈黙。
「よし、行こう」
決断を即座に下したのはエルヴィンだった。
「そうね」
「行こう」
エルヴィンの決断に異を唱える者はなく、エルヴィンたちは封印の地へ向けて、足を進めることとなった。
封印の地へ行ったらどうにかなるという訳ではない。そこにあるかもしれないヒントを探しに行くに過ぎない。そんな小さな可能性だとしても、エルヴィンたちはそれを諦める訳にはいかなかった。
エルヴィンは、背中にりるを背負いながら歩き、考える。いつからだろうか、と。
いつから、自分は、この少女にこんな思い入れをしていただろうか、と。
最初は、フィグネリアに対抗するためという理由であったはずだ。それが、いつしか、そうではなくなっていたらしい。もうりるの力は必要ないはずなのだ。しかし、エルヴィンは、いや、彼だけでなく、リーナスも、ミカルも、彼女を助けたい、何とかしてあげたいと思っていた。
道のりは決して楽ではないし、封印の地周辺には凶暴なモンスターが多くいる。フィグネリアの手によって一度は開きかけていた扉は、彼女の魔力の消失により、再び閉ざされているはずであったが、それでも危険性は以前より高まっているだろうことが予想できた。
エルヴィンの心には、なんだか少しだけもやもやとしたものがあった。りるが魔物かもしれないという可能性についてである。
その葛藤は、けれど、過酷な道中の中で徐々にエルヴィンの思考から薄れていく。
りるを守り、そして、りるの不調を何とかする。エルヴィンの目の前には明確な目標がしっかりと垂れ下がっており、そこへ向かって突き進むのみであった。
道中襲い来る魔物たちを倒しつつ、エルヴィンらは封印の地の奥へと進んでいく。木々が徐々に痩せ細り、大地の力が減りつつあることを示してくれる方向へ向かっていけばいいのだから、さほど道には困らない。
徐々に、空からの光は木々によってではなく、暗黒の魔力によって遮られていく。進むにつれ、空間は暗くなり、まるで夕方か、曇りの日のような居心地の悪さが四人を襲う。
りるは、エルヴィンの背中で苦しそうに眠っていた。眠っていのか、それとも、起きているが目も開けられない程に苦しいのか……どちらかは定かではなかったが、エルヴィンは僅かにりるの声を聞いた気がした。
「皆、元気に……」
そんな呟きに、エルヴィンはどうしても返答をせざるを得なかった。
「お前が元気になるんだ」
と。




