第16話
戦いの火ぶたは、数日後の明け方切って落とされた。本来ならば、スゾの集落全体を囲って持久戦というやり方をすれば軍側の犠牲は必要最小限となるだろう。しかし、スゾの集落付近にはモンスターが多く生息しており、いくら小さな規模の集落といっても、軍を大きく展開するにはあまりにもリスクが高かった。
特記すべきは、森林地帯へと入り込んだのは軍全体の十分の一ほどの数だということだろう。何故か。その理由は二つある。一つは、単純にそれほどの戦力は必要ないと考えられたこと。もう一つは、軍の中で士気の低い連中に戦いを任せる訳にはいかないとエルフたちが判断したことであった。
選ばれた者たちは、クレイテミスから出た軍隊の中でも、使命感に燃える者たち。彼らと真っ向から戦えば、ダークエルフたちはほぼ確実に敗北すると言ってよいだろう。一対一の実力ならば、ダークエルフらの方が高い可能性もある。しかし、多勢に無勢と言う言葉がまさに当てはまるこの状況において、いくら個の実力が高くても圧倒的な数の差による戦力の差は到底埋められるようなものではなかった。
彼ら本部隊は、真っ向からスゾの集落へと襲い掛かってきた。スゾの集落は周辺は、エルヴィンらが味わったように魔力による罠が数多く仕掛けられていたが、優秀なエルフの魔術師たちは勿論そのことを理解している。罠に対する防御魔術を展開しながら侵攻してくる。罠の中には威力が高く複雑に組み合わされたものもあり、エルフの中には罠により戦闘不能状態になるものは数名はいたが、しかし、そのほとんどは罠にかかってそのような状態に陥るというへまはしなかった。
エルフたちは、いつ、ダークエルフたちが奇襲を仕掛けてきても大丈夫なように慎重に進む。
本部隊の指揮官はこう考えていた。彼らは、罠が役に立たないことくらいは分かっている。故に、スゾの集落に侵入するより前で奇襲を仕掛けてくるか、打って出てくるか……あるいは、スゾの集落に入り込んだところでゲリラ的に攻撃を仕掛けてくるか……。
本来ならば、どちらかというところまで決めて作戦を実行すべきだろう。しかし、今、そのような判断は必要なかった。何故ならば、そのような判断が必要ないくらいに戦力差が開いているからである。そのような些細な決定をして、作戦をどちらかに絞り、それが外れたことによるリスクを背負う必要などない。無難な方向に、無難な方向に物事を運べば決して負けるはずがないのだ。
指揮官が懸念しているのはたった一つ。フィグネリアの魔力がどのくらい回復しているのか、ということだけであった。
エルヴィンらとゴルダは、集落の建物の一つの窓から迫りくるエルフの軍隊を目視していた。まだ相当に距離はある。流石、クレイテミスの本部隊だけあって、集落へ騎馬隊で突っ込んでくるような愚策は取らない。着実に、一歩、一歩、統率された歩兵が歩みを進めてくる。一見無防備に見えるが、これがエルフの軍隊である。遠距離攻撃からの防御なんてものは魔法ですればよい、その考えのもと、歩兵は行動しているのだ。
「さて、もう少し距離が詰まったら、始まるぞ」
ゴルダが相手の攻撃を読み切っていた。少し考えればわかることである。相手は、スゾの集落のほんの直前までほとんど無事に辿り着いたとしたら、取るべき行動はたった一つに絞られる。ゲリラ的な攻撃を警戒しての、遠距離攻撃だ。
戦においての定石とも言えよう。家屋を破壊し、あるいは、そこに潜む敵にある程度のダメージを与える。貧弱な魔力しか持たぬ種族同士の戦いでは、例えばこれは弓矢による攻撃だったり、攻城戦であれば、投石器による攻撃だったりというものになるだろう。手段は違えど、遠距離から一方的に攻撃することは、少しでも味方の犠牲を減らすためには必須なのである。
ゴルダの予想通り、エルフたちの軍隊は、ある程度の距離で軍を止めると、一部が呪文を唱え始める。詠唱は長い。それは即ち、集落を焼き尽くさんとしているとも見える。
ここにきて、本部隊の指揮官は違和感を覚え始めていた。
「妙だな」
その呟きは、横にいた部下の耳に入る。
「妙、とは?」
「分からないか。相手が打って出てこない」
「……?」
「出てくるはずだろう、相手は死ぬのが分かっているんだから。馬なりなんなりを使って奇襲でも仕掛けなければ、遠距離からの火力で嬲り殺されるだけだ」
さては、抜け殻か? 指揮官はそう考えた。いつの間にか別の場所に逃げた、という可能性がない訳ではない。ない訳ではない、が、そんなことをして何になるというのか。そして、ここ以外に逃げられる場所なんてある訳がない。指揮官の頭に僅かに浮かんだ疑問は、次の瞬間、そんなものは完全な杞憂であったという事実とともに意味のないものとなる。
「輝く魔法はみんなの奇跡! ぱらぱらるぃ~ん♪ まじかるッ、りるたんっ!」
戦場に響き渡る声。音量があまりに大きいことから、魔力による増幅がなされているということが分かる。
「な、なんだ!?」
当然、エルフの兵たちは皆動揺する。辺りをきょろきょろと見渡す。遠距離攻撃を仕掛けようとしていた者たちも、狙いをどこへ定めればよいのかわからず、指揮官へと指示を仰ごうとする。
指揮官は、動揺しつつも、冷静に全体へ指揮を飛ばす。
「関係ない! 攻撃しろ! スゾの集落を焼き尽くせ!」
指揮官の号令を受け、エルフたちの遠距離魔法がスゾの集落の建物へと打ち込まれる。放たれた魔力弾は、スゾに立ち並ぶおどろおどろしい建物群に命中し、その衝撃によって多数の犠牲が出る──と思われた。
けれど、それら魔力弾は全て何者かが展開した魔力壁によって受け止められ、ぷす、ぷす、と情けない音を立てて消滅していってしまう。それをした人間は誰か? りるである。りるは、軍勢の真正面に現れ、ステッキを軍勢にかざす。
「……なんだ、あいつは」
指揮官が呟いた。その呟きには誰も反応せず、彼らは皆、自分たちの目の前に現れた謎の魔法少女を見つめていた。複数の魔力弾を難なく受け止め消滅させるほどの力を持つような存在、それが誰か、ということに思考が走る。
「フィグネリアかっ!?」
指揮官は叫ぶ。しかし、
「いえ、違います、あれはダークエルフではない!」
隣の部下が答える。確かに、良く見れば良く見るほど、彼女がダークエルフではないことはその外見からして明らかだ。その特異な服装もまた、彼女が何物であるかを判断しかねる不可解な材料になっている。しかも、背丈は低く、まるで少女ではないか。一体、いつの間に、ダークエルフたちはこんな秘密兵器を用意していたというのか。
「ええい! 相手が誰であろうが構わんっ! 全力で叩き潰せ! 敵は一人だ。後方支援を行いつつ、歩兵、前進突撃ィイ!」
おぉおお、という声が上がり、部隊は突撃を決意する。
相手が強大な魔力の持ち主であるとなれば、遠距離で魔法を打ち合うということは愚策になる。何故ならば、相手は自分一人に降りかかってくる魔法を防げば良いのに対して、こちらは数が多いだけに相手の攻撃をより多く受けてしまうからだ。
より効果的に相手を攻撃するとなれば、接近戦を加える必要があるだろうと、指揮官は判断したのである。スゾの集落への攻撃は全く行われておらず、伏兵がいる可能性は十二分に考えられたが、それでもなお、数において圧倒的優位を保っている今、一気に勝負を仕掛けるべきだと判断したのである。
わぁああ、という自らを奮い立たせる声がスゾの集落を包む。りるは、自らに対して向けられる明確な殺意をひりひりと肌に感じていた。
怖い、恐ろしい、不安だ、そういった感情がりるの胸に渦巻いていることだろう。しかし、彼女は、決して一歩も引くことなく、向かってくる相手全員に向けて魔法ではなく言葉を放つ。
「だめー! みんなー! 止まってー!」
その声は、魔力によって拡声され、エルフたちの耳にしっかり届いていたはずだが、高揚している彼らがそんな言葉を聞く訳がない。何を言っているんだ、という疑問を抱きこそすれ、彼らはどんどんとりるとの間の距離を詰めてゆく。
後数秒後には、りるは交戦状態に入るだろう。そして、りるの魔力に頼れなくなれば、スゾの集落への攻撃を止めることが出来る者はもういなくなる。
「待って! ダメなの! 戦っちゃだめー!」
りるは叫ぶ。しかし、当然ながら、伝わらない。伝わる訳がない。言葉での解決が出来ないことは、とっくに誰もが分かっていた。
「……そろそろ、か。よし、全体に用意しろと通信しろ。合図とともに、飛び出すぞ」
ゴルダは集落の建物の一つに潜み、そう呟く。
「待って、話が違うじゃない!」
その場にいたリーナスがそれに噛みつく。
「違うもなにも、結局、あいつが言っていたことは夢物語だったっということだろう。いや、しかし、役には立ってくれた。相手からの遠距離からの火力を遮断したうえ、相手の主力部隊を集落内部に招き入れてくれたのだからな。ここで叩けば、多少は、相手にも損害を与えられるだろう」
「そんな」
「よし……いくぞ」
ゴルダが通信魔法を発するように命令──。この命令が通信魔法を発するダークエルフに受け入れられ、実行されれば、スゾの集落での本格的な戦闘、即ち、白兵戦による殺し合いが始まる。
血で血を洗う戦いが……。
始まろうとしたその時であった。
「ダメー!!」
りるの言葉が一際大きく流れた。そして、それが、魔力による音声の拡張によって起こった現象ではないということは、この場にいた、スゾの集落にいた誰もが──いや、それどころではない。スゾの集落から外、遠距離魔法による攻撃を行おうとしていた部隊に、それどころか、森の外へと待機していたエルフたちの軍隊全体にさえ、りるの声が届いたということによって明らかになる。
りるの声は、物理的な手段ではなくなっていた。りるの声は、物理の壁を越えていた。りるの声は、いつしか、争ってはいけない、争わないでほしいという意思を、エルフたち、いや、この場にいるすべての人々の脳へと直接届けた。
「な、なんだ、これは」
誰かがそう呟いた。
そして、誰もが、行動をやめた。ただただ、自分の頭に雪崩れ込んでくる思考の渦を理解することで精一杯であったからだ。
りるが、己の魔力のそのほとんどを使って行ったこと。それは、ゴルダに提案したことである。りるがしたかったのは、りるの意志によって、りるの思いによって、強制的に戦闘を止めることではなかった。
りるは、己の魔力のそのほとんどを使って、ダークエルフたちの脳に在る思考を、エルフたちの脳へ送り届けたのである。
それは言葉による伝達ではない。意思の伝達である。思いの伝達である。ダークエルフたちがいかなる思いでこの戦場に立っているか、その思考をこの場にいる全てのエルフに分かって欲しかったのだ。
分かり合えるかどうか、その答えを下すのはりるではない。エルフたちだ。
しかし、その前提として、正しくダークエルフたちの意志を伝えなければ正しい判断は行われないだろうとりるは思ったのだ。そして、その伝達手段として言葉を用いることをりるはしなかった。
無念、遺憾、そういった負の感情は、紛れもなく正確に、言葉によってでなく、感情をそのままに、エルフたちの脳へと送り込まれた。
ある者は泣き、ある者は叫んだ。
ある者は剣を捨て、ある者は地に膝をついた。
自分たちがやろうとしていることが、相手にどのような痛みを伴わせようとしているのかということを体感した。そして、嘆いた。自分自身の行いにではない。このようなことをしなければならないという世界に嘆いたのである。
どうしようもない、という思いは誰の頭にもあった。ダークエルフは、これは避けようがない戦いのなのだと思って挑んでいた。
それらの無念は、届かない思いとして心の奥底にそっと捨て置かれていた。りるはそういう思いも容赦なく伝えた。
伝えた先に何があるのか。こればかりは誰にも分からない、しかし、
「……良く分かったわ」
リーナスもまた、ダークエルフたちの思いを強く受信し、そっと、そう言葉にせざるを得なかったのである。
そして、その体にあったほとんどの魔力を使い果たしたりるは倒れた。




